アルハイゼンがそのよく知った、懐かしい姿を見たのはなんてことない平凡な一日も終盤にさしかかったときであった。
場所は行きつけの酒場で――先に言っておくと、アルハイゼンがその酒場に行く目的はたいていが酒を飲むためではなく、夕食を買うためであった――もちろん前触れなんてものは一切なかった。
アルハイゼンが酒場に入ったとき、既に店内は賑わいを見せていた。その酒場はテイクアウトもやっている店だったためか、仕事帰りに夕食を調達にきているらしき人々が大勢いた。それに加え、仲間同士で集まって宴会をしようとしている者も見受けられる。店員たちは皆、忙しなく動きまわり、ただ夕食をテイクアウトで買いにきただけのアルハイゼンにとってはどこか居心地の悪い空間であった。
アルハイゼンはこの混雑している時間帯をなるべく避けて来るようにしているのだが、今日はたまたまそれができなかった日だった。理由は単純で、今日中に処理すべき仕事が定時時間内に終わらず、残業をしたからだ。
早く夕食を買ってこの場所から退散しようと、注文内容を決めていなかったが、アルハイゼンはカウンターから延びる注文待ちの列の最後尾に並んだ。順番がまわってくるのを待つ間に注文するものを考える。この店のメニューは全て把握しているということもあり、そう時間はかからない。
アルハイゼンの順番がやってくると、列に並んでいる間にあらかじめ決めておいたものを注文し代金を支払った。釣り銭を受け取った後は素早く、注文した品が用意されるのを待っている人々が列をなしている方へ移動する。店員に手をわずらわせないような、完璧な所作だ。そしてそのまま、アルハイゼンの注文したものが用意されるのを待った。
今度の待ち時間はなにか決めなければならないものがあるわけでもないので、家に帰った後のことを考えた。夕食を食べながら昨日の夜に途中まで目を通した論文の続きを読んで、夕食の後は一ヶ月前に買ったがまだ読めていない本を読んで――そのようなことをアルハイゼンが考えていると、彼の耳は聞き覚えのある声を聞きとった。
「ピタを二つ。あとはコーヒーをひとつ。持ち帰りで」
その声に聞き覚えはあるが、よく思いだせない。アルハイゼンの記憶力は普通の人よりかなり良い方であるので、そんな彼がすぐに思い出すことができないというのなら、少なくとも数ヶ月は会っていない人物の声だろう。暗闇の中にあるなにかをつかみとろうとしてとれないような――なんともいえないもやもやした感情をアルハイゼンは抱いた。気づけば、アルハイゼンは自然とその声の主を探し出そうと声が聞こえてきたカウンターの辺りに目線を向け、その人物の存在を探っていた。行き場もなければ消すこともできないこの感情をどうにかしてしまいたいと思ったのだ。
アルハイゼンがその聞き覚えのある声の主であろうと見当づけたのは、フォンテーヌ風の服装に身をつつんだ男だった。髪の色は金で、アルハイゼンから見えるのは背中だけであったため、顔まではわからない。
ここはスメールだが、フォンテーヌ人がいることに関してはおかしくない。旅行等でスメールを訪れる外国人は大勢いる。けれども、アルハイゼンが記憶する限り、フォンテーヌ人の知り合いはいないのだ。正確にいうと、仕事で関わったことのあるフォンテーヌ人なら何人か存在した。だが、仕事で少し関わった程度の人間に対して『聞き覚えのある声だ』などと感じるであろうか。アルハイゼンは気のせいだとは思えないほどはっきりとした違和感を覚えていた。
注文を終えた男がアルハイゼンのいる方を向く。そのことによって男の顔がアルハイゼンのいる方からもわかるようになった。
「カーヴェ」とアルハイゼンは思わずつぶやいた。
あれは間違えなくアルハイゼンの知るカーヴェ以外の何者でもなかった。
カーヴェという男はアルハイゼンがまだ教令院の学生だった頃の先輩であり、元ルームメイトでもあり――さらには、共同研究者だったこともあった。一般的な言葉で表すと、友人という関係であろうか。けれども、『友人』という一言で表すにはアルハイゼンとカーヴェの関係というのはあまりにも複雑すぎた。さらに事態をややこしくするのは、カーヴェがフォンテーヌへ渡ってからというもの、アルハイゼンは彼とほとんど連絡をとっていないことだ。友人の定義を考えると、現在の彼らは友人ではなく、昔の知り合い程度の関係なのかもしれなかった。
彼らが疎遠になってしまったのは、カーヴェが全くといっていいほど故郷へ帰ってこないためである。アルハイゼンの知る限り、カーヴェがフォンテーヌへ移住してから最初の二年は数ヶ月に一回スメールへ戻ってきていたのだが、三年目からはそれもなくなってしまっていた。おそらく、彼にとって故郷というのはその程度の存在なのであろう。カーヴェがそのように思うのも無理はなかった。彼から見て、たしかにスメールは故郷ではあるが、良くない思い出もたくさん詰まった場所であることをアルハイゼンは知っていた。
そんな状況であったから、アルハイゼンがスメールの酒場でカーヴェを見たというのは驚くべきことだった。
注文を終えたカーヴェは品物が用意される待機の列の横を通った。彼の注文を受けた店員の様子からいって、カーヴェは店内で夕食を食べようとしているのだろう。店内が混雑しているのもあって客席へ向かうにはここを通らざるを得なかったので、アルハイゼンにとって幸運なことにカーヴェが近くを通り過ぎようとしているのだ。
カーヴェとアルハイゼンの距離がちょうど一メートルほどになったとき、アルハイゼンは意を決して彼に聞こえるような声の大きさで、「カーヴェ」と彼に向かって呼びかけた。
「アルハイゼン?」とカーヴェはアルハイゼンの存在に気がつくと、確認するかのようにそう尋ねた。
「ああ」
「久しぶりだな」アルハイゼンがうなずいたのを見ると、カーヴェは思いがけない再会が嬉しいといった口調でそう言った。その後、彼はアルハイゼンが並ぶ列の様子を見て尋ねた。「君も夕食を買いにきたのかい」
「そうだ」
「君の生活は変わっていないのだな。昔から仕事の日はいつもここへ夕食を買いにきていた。そして注文するものもだいたい決まっている――」
ちょうどそこへ店員が番号を読み上げる声が聞こえる。アルハイゼンは渡された番号札を確認するまでもなく、その読みあげられた番号が自分のものであることがわかった。頭の中に、番号札を開いた状態の映像がはっきりと記憶されていたからだ。アルハイゼンは覚えたいものによって記憶する際に用いる方法を使いわけている。今回使ったのもその
アルハイゼンは片手を軽く挙げて自分のだ、ということを店員に示すと品を受け取りにカウンターへ向かおうとした。そんなアルハイゼンの行動を引き止めたのはカーヴェの声だった。
「なあ、君の家に行ってもいいかい。久しぶりに会ったんだ。まだ話したいことがあるだろう」
アルハイゼンは「俺にはない」と言いかけて、久しぶりに会った友人へ向かって言うことではないな、と思い直した。「ああ。そうだな」とうなずく。
「ちょっと待ってくれ。僕の注文した品をテイクアウトに変更できないか頼んでくるから。それにしても、君がすんなりとうなずくとはね。理由をつけて断られるかと思っていたから」
「本当に久しぶりに会ったのに、断るはずがないだろう。元ルームメイトからの誘いをね」
店員の元へ頼むためにカウンターの方に向かい出したカーヴェの後ろを追うように歩きつつ、アルハイゼンはつぶやくようにして言った。カーヴェにはそのつぶやきは聞こえなかったのか、返答は彼からなにもこない。カーヴェがこのつぶやきへ気がつかなかったことに少しだけ安堵しつつ、アルハイゼンは店員と交渉をするカーヴェの隣で注文した品を受けとった。
彼らが会うのは実に八年ぶりのことで、アルハイゼンは旧友と再会できたことによる喜びで気分が
アルハイゼンの家の玄関扉を潜りぬけると、カーヴェは部屋の中を見渡した。
「ここにくるのは久しぶりだ。僕がこの場所に住んでいたのは何年くらい前だっけ?」
アルハイゼンは腕に抱えていた夕食が入った袋をリビングルームのテーブルに置くと、カーヴェの方を振り返って彼の質問に答えた。
「君がフォンテーヌへ渡らなければならなかったときだから、ちょうど十年前だろう」
「そうだった」言いながら、カーヴェはアルハイゼンに続いてテーブルの上に夕食の入った袋を置いた。テーブルの位置はカーヴェがここに住んでいたときと寸分たがわず変わっていなかった。「母さんが死んで、僕が母さんの仕事を継がなければならなかったからね。義父さんと母さんとの間に子どもはいなかったし、僕にはそうする以外の選択肢はなかった」
「俺はそう思わないな。血縁でなくとも仕事を引き継ぐことはできるだろう」
アルハイゼンは腕を組むとはっきりとそう言った。途端にカーヴェは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「その話は当時――十年前にさんざんしただろう。久しぶりに会った元ルームメイトとする話じゃない」
「それもそうだな」
アルハイゼンはカーヴェの意見にうなずくと、買ってきた夕食をテーブルの上へ広げ出した。カーヴェもアルハイゼンへ従うようにして夕食の仕度を始める。
二人の夕食の準備にそれほど時間はかからない。買ってきたできあいの料理が入った容器の蓋を開けたら終わりだからだ。彼らは向き合う位置に座ると、各々が買ってきたものを食べ始めた。
「本場のスメール料理を食べるのは久しぶりだ。どうしてもフォンテーヌで食べるスメール料理は少し違ったものになってしまうから。これぞ故郷の味ってやつだ」
「もっと頻繁に戻ってくればよいだけではないか。こっちには知り合いもたくさんいるだろう」
「そうかもしれないが。僕にも色々あるんだ」
「で、急にスメールに戻ってきたのはどういった理由なんだ?」
そう言いながら、アルハイゼンは夕食のシャワルマサンドが包んであった紙を丸めると、店から家へ運ぶ際に使っていた使い捨ての袋へ入れた。
「スメールは僕の故郷だ。理由なんてなくとも戻ってくることだってあるだろう」
「八年」
「なんだ?」
「俺は君と八年間会っていない。俺が会っていないだけで、こちらにはこれまでも来ていたのか?」
カーヴェは大きく息を吐いた。アルハイゼンにはなにも隠し事をできそうにもないとでも言いたげな様子で、彼は白状しだした。
「来ていない。僕がスメールにきたのは君の予想どおり八年ぶりだよ。仕事が忙しくてまとまった時間がとれなくてね。スメールに行くタイミングがなかったんだ」
「なるほど」言いながら、アルハイゼンはソファの背もたれに寄りかかった。「噂は聞いている」
「どんな?」
「君がフォンテーヌにおいて、一位二位を争うくらい有名な建築デザイナーだという噂だ。設計デザインの依頼をしたくとも、予約をとるのがかなり先になってしまうという話も聞いた」
「概ねあっているよ」
カーヴェはそう言うと、夕食として買ってきていたピタの最後の一切れを口に入れた。
「それと、こんな噂も聞いた――君がドリーへ借金を全て返し終わったと」
それを聞いて、カーヴェは口の中に入れていたものを吹き出しそうになってしまった。それを押しとどめるように、なんとか口の中にあるものを飲み込む。たいして
「それって誰から聞いたんだい。僕の借金のことは限られた人しか知らなかったはずだ」
カーヴェは水を飲んで落ち着くと、アルハイゼンに向かってそう言った。
「ドリー本人だ」
「なんだそういうことか。おどかさないでくれよ」カーヴェはほっとしたような様子で言った。「その情報を先に出してほしかった。僕の借金のことがフォンテーヌからスメールへ届くくらいの大きな噂になっていると思ったじゃないか」
「君が早とちりしただけだ」アルハイゼンは腕を組んでそう言った後、「おめでとう」と続けた。
カーヴェからの反応はすぐに返ってこない。彼の周りだけ時間が止まったかのように、身体も表情さえもまったく動かさずにいる。
「おめでとう」
アルハイゼンはもう一度繰り返した。二回目でやっとカーヴェの周りの時間が動き始めたようで、彼は目を瞬かせながら「なんだって?」と聞き返した。
アルハイゼンにはもう、三度目を言うつもりがなかった。さほど重要なことを言ったわけではないし、聞こえなくとも問題ない。ただアルハイゼンに彼のことを祝いたい気持ちがあっただけのことだ。
「遅くなってしまったが、返済祝いがある」
アルハイゼンはカーヴェが聞き返したことについては答えずに立ち上がった。そのまま、部屋の
「まあまあ貴重なものらしい」
カーヴェは目を細めて、ラベルに書かれている銘柄を読みあげた。「これって、アカツキワイナリーが生産するワインの中で最も貴重だと言われているものではないか。年間五十本ほどしか作れないという」
「らしいな」なんてことでもないように、アルハイゼンは言った。「それで? これは開けないのか」
カーヴェは慌てて立ち上がると、アルハイゼンの手から瓶を奪い取った。
「もちろん開けるさ。ワインオープナーはあるか?」
「はい。これ」
アルハイゼンはポケットからソムリエナイフ(ワインオープナーの一種だ)を取り出すと、カーヴェに手渡した。先ほど、キッチンへ水を取りに行ったとき、ついでにポケットへ入れておいたのだ。
「こんな素晴らしいワインを独り占めできないことに後悔するなよ」言いながら、カーヴェは器用にソムリエナイフを使ってワインのキャップにかかったシールへ切れ目を入れようとしている。
アルハイゼンはその様子を見て、わずかに笑みを浮かべると「グラスをとってくる」と言って、食器棚の方へ向かった。ワインを開けることに夢中だったカーヴェはアルハイゼンのその表情に気づいていないようだった。
そうやって始まったカーヴェの借金返済を祝う酒宴は、長く続いた。彼らの間の話題は尽きることがなかったし(それは当たり前のことで、何度も言うが彼らは八年ぶりに会ったのだ)アカツキワイナリー産のワインはアルハイゼンがカーヴェへ返済祝いとして贈った、とっておきのやつ以外にも何本かあり、飲み物が尽きることもなかった。そうやって二人だけの宴は続き――気づけば夜明けが近い時間になっていた。
アルハイゼンは窓の外を見て、外が明るくなり始めているのがわかると、「もうこんな時間か」とつぶやいた。
カーヴェから返事は返ってこない。不思議に思ってアルハイゼンがカーヴェの方を見ると、彼はいつの間にか寝息をたて完全に眠りに落ちていた。
アルハイゼンは立ち上がってソファの背もたれにかかっていたブランケットを取り上げると、カーヴェの上にかけた。急に立ち上がったためか、一気に酔いがまわってくるような心地がする。飲みすぎた、と彼は思った。
アルハイゼンのアルコールに侵された頭の中に、眠る前に水を飲んでおくべきだいう命令が浮かんでくる。彼はその命令に従ってキッチンへ向かった。飲料水をグラスにつぎ、一気に飲み干し、調理台の上に空になったグラスを置く。
そして、次に彼のアルコールに侵された頭の中に出てきたのは「うそだ」という言葉だった。
カーヴェが言っていることはうそだ。彼は真実を話していない。彼がスメールにきた明確な理由がないなんてことは絶対にあり得ない。
アルコールに侵された頭で、アルハイゼンの中にその確信めいた事柄が生まれてくる。しかし、これは酔っ払いの
「アルハイゼン、ちょっといいか」
「なんだ」
アルハイゼンがセノから声をかけられたのは会議の後のことだった。アルハイゼンは先ほどの会議でなにかあっただろうかと思いつつ、すぐに振り返って返事をした。
会議というのはフォンテーヌで国際博覧会を開催するという話があがっており、そのことに関することだった。博覧会とは一般的に技術の発展のためや新たな商機となるために開かれるものである。その博覧会を国際的にそれぞれの国の文化や強みといったところに焦点を当ててやりましょう、とフォンテーヌが各国に呼びかけ、開催へ向けて準備をしているところであった。
アルハイゼンが住むスメールという国はそのフォンテーヌの提案に二つ返事で賛成した。平和といえるようなこの時代、各国との結びつきは急速に強まっていくだろうからそのことに対する準備の意味でも、スメールという国が持つ知識を世界に向けて発信するにも(ご存知のとおり、スメールの国土のほとんどは砂漠地帯で、それ以外も
国際博覧会開催のためフォンテーヌへ協力することになった以上、スメールでも様々な取り決めを行う必要があった。その会議にセノとアルハイゼンは参加していたのである。セノはマハマトラとして国際博覧会へ展示する内容の監査をするため、そしてアルハイゼンは書記官として会議の議事録をとるためだ。
「そうかしこまらなくてもいい。仕事に関することではないからな。最近、カーヴェに会ったか?」
アルハイゼンはセノがそのように聞いてきた意図を考えようとして、止めた。彼はマハマトラだ。つまり、学者たちが人として誤った道へ行かないかを監視している監査官である。普段、頭が切れる者たちを相手としているのだから、探ったところですぐに答えはわからないだろうとアルハイゼンは思った。セノが考えていることをアルハイゼンがすぐにわかってしまうのなら、マハマトラとして目をつけた学者たちにその内容を容易に
「なぜ俺に聞く――ああ、会ったよ。先週、休みに入る前の日にだな」
「なるほどな」セノは腕を組んでうなずいた。「なぜお前に聞いたかと言ったな。それは、お前たちの仲がよかったからだ。カーヴェがこっちへくるなら、お前には連絡すると思ってな。俺の予想は当たっていたようだ。お前に聞いて正解だ」
「ふむ」
アルハイゼンは考えこんだ。まさかセノにそう思われていたとは思わなかったのだ。それはさておき、アルハイゼンはセノの発言に対し、訂正をいれなければならなかった。
「俺に聞いたのはたしかに正解だ。だが、君の認識は間違っている」
「というと?」
「俺がカーヴェに会ったのは偶然だ。俺が夕食を買いに行った店へあいつも食事をしに来ていてな。そのとき会って、始めてあいつがスメールへ戻ってきていたことを知った。君はいつ、カーヴェがこっちへきたことを知ったんだ?」
セノはアルハイゼンの返答に対し、一瞬だけ驚いたような表情を見せた。アルハイゼンはそのセノの一瞬見せた表情を見逃さなかった。セノにしては珍しい。彼は長年マハマトラの職に就いていて、しかもマハマトラを束ねる大マハマトラも経験したことがあるのだ(付け加えていうと、彼が大マハマトラであった期間は着任できる期間の最大であった)。そのためか、セノはプライベートでも冷静さを欠くことはなかったし、彼の趣味である七聖召喚が関わることであったとしても感情出しすぎないようにしている節があった。
「町で噂を聞いてな。何人もの人が久しぶりにカーヴェらしき人物を見たと話題にしていたんだ。だが、そのカーヴェらしき人物というのはフォンテーヌ風の服を着ていたらしく、本当に本人なのだろうかと噂をする者たちは口々に言っていた」
「それはおそらくカーヴェ本人だろう。俺が会ったとき、あいつはフォンテーヌの人が好んで着るような服を着ていたからな」
「カーヴェがスメールにいるというのが本当だとわかれば大丈夫だ」うなずきながらそう言った後、セノは続けた。「久しぶりに、ティナリやコレイも誘って五人で食事をしないか」
「五人?」
ティナリ、コレイ、セノ、そしてその食事会にはアルハイゼンも含まれているのだろう。だとしても四人だ。一人足りない。
「カーヴェも誘うんだ。カーヴェがスメールに戻ってきたのはずいぶん久しぶりだろう。次に戻ってくるのはいつになるかわからないし、この機会にどうかと思ってな。アルハイゼン、この前カーヴェと会ったんだろう。彼の滞在先は聞いていないのか」
「いや知らない」アルハイゼンはそうやって否を示した後、続けて言った。「だが」
「だが?」
「心当たりならある」
「本当か」
セノはいつものように表情を変えないまま言った。しかし、セノと付き合いの長いアルハイゼンには彼の感情が手に取るようにわかった。セノは良かったと喜びの感情を抱いているだろう、とアルハイゼンは思った。
「なら、その心当たりのある場所へ行ってみてくれないか」
セノはアルハイゼンに向かって頼みこんだ。
「もし、彼に会えなかったら?」
「そのときはそのときだ」セノは再び腕を組みながら言った。「もし、カーヴェを誘うことができなかったら残りの四人で集まろう。他の四人でだってしばらくの間、集まって食事をしたりだとか、話をしたりだとかしていなかったからな」
アルハイゼンは自身の頭の中で予定を組み立てた。都合のいいことに、アルハイゼンの仕事は明日休みだった。一日中カーヴェを探すことに時間を使うことも可能だ。だが、アルハイゼンはさすがに友人の頼みとはいえ、休日をまるまる人探しに使うことはしたくなかった。読みかけの本を読んでしまいたかったし、日用品の買い出しに行く必要もある。
アルハイゼンはセノの顔を見た。初対面の人間にはわからないだろうが、アルハイゼンには彼が現在浮べているであろう表情がわかった。期待しているぞとでも言いたげな表情だ。アルハイゼンは小さく、セノにもわからないくらいのため息をついた。アルハイゼンが予想するカーヴェがいるあろう場所の中で特にいそうだと思えるところにしぼれば片手で数え切れるほどになるし、その程度ならうまく工夫すれば半日と少しでまわりきることも可能であろう。
アルハイゼンはうなずいた。「引き受けよう。この前会ったときには情報を得ていなくて聞けなかったことを聞いてもみたいしな」
「もしかして、さっきの会議で聞いたことか?」
「ああ」アルハイゼンは彼がとっていた議事録の内容を思い返しながら言った。「国際博覧会で、スメールエリアの建築物設計をカーヴェが担当することになったという件だ」
「俺もその話には驚いた」
「マハマトラも知らなかったのか?」
セノは事前に情報を得ていたのだとアルハイゼンは思い込んでいた。
「そうだ。大マハマトラだった時分ならいざ知らず、今はただのマハマトラだ。俺に入ってくる情報はそれほど多くない」
「なるほどな」
現在のセノは昔とは違って、自分で前線に出ていくというより、後輩たちにアドバイスを送るような立場にあった。だから、後輩たちから相談という形で言われない限り、重要な情報は知り得ないのだろう。
セノは続けて言った。「スメールを離れてから十年も経つが、カーヴェの名声は未だ衰えていないな。むしろ大きくなっているのではないか。昔の友人がそんな立場にあるのは心から嬉しいし、だからこそ祝いの言葉をかけたい」
「そうだな」
アルハイゼンもセノが言うことに同意した。アルハイゼンがカーヴェとルームシェアを開始したばかりの頃、カーヴェは人生のどん底にあったと言ってもいいような状況で、そんな様子を知っているからこそ、彼が成功して順調に仕事をしていることに喜ばないわけにはいかなかった。
アルハイゼンはカーヴェがいるであろうと検討づけていた場所から特にいそうだろうというものをいくつかしぼると、なるべく時間の無駄が出ないように見ていくのにはどうすればよいか計画を立てた。
セノからカーヴェを探してくれと頼まれた次の日の午前中から、その計画どおりに行動すること四箇所目はアルカサルザライパレスだった。アルハイゼンが検討をつけていたのは、全てカーヴェがスメールにいるとき設計デザインで関わった建築物がある場所だ。加えて、しぼる際に基準となったのは、カーヴェにとって大きな仕事であったかどうかということである。アルハイゼンは建築デザイナーとして独立する前のカーヴェのことも知っていたから、容易に五つほどにしぼることができた。
アルハイゼンは、カーヴェがスメールに戻って来たのはスメール式の建築物を見るためではないかということを疑っていた。彼が国際博覧会のスメールエリアの設計を引き受けたことと、彼が八年ぶりにスメールへ戻ってきたこと、無関係であるとは到底思えない。
アルカサルザライパレスに近づき敷地全体が見えるようになってくると、一人の人物がアルカサルザライパレスを見渡せる場所に座っているのにアルハイゼンは気づいた。金髪で、毛織物でできた赤いマントをはおっていて――あれは間違いなくカーヴェであった。
アルハイゼンがカーヴェに近づいて行くと、彼はなにやら一生懸命膝の上へ載せたスケッチブックに絵を描いているようだということがわかった。黒一色で描かれたそれは、アルカサルザライパレスであるということが、芸術に詳しくないアルハイゼンにも一目でわかった。
「美しいだろう」
カーヴェは振り向いたりせず、アルカサルザライパレスの方を見つめながらスケッチブックを指さした。カーヴェの問いが目の前に建つ、建造物としてのアルカサルザライパレスなのかそれともスケッチブックに描かれたアルカサルザライパレスなのかアルハイゼンにはよくわからなかった。だが、どちらにしてもアルハイゼンの答えは同じだ。
「ああ、そうだな」という一言をアルハイゼンは口にした。
「あれは昔、僕が設計したんだ」とカーヴェは言った。どうやら、彼は建造物の方に対してアルハイゼンの感想を求めていたようだった。
アルハイゼンは昨日の会議で聞いた話について彼に尋ねるべきかしばし迷った後、すぐに明らかになることだろうと思って口にした。
「君がフォンテーヌで開催される国際博覧会の設計を引き受けたと聞いた。君は向こうでも上手くやっているようだ」
「どうして僕にその依頼がきていることを知っているんだ」
そう言うとカーヴェは振り向いて、やっとアルハイゼンの顔を見た。彼は座っているので、近くに立つアルハイゼンを見上げるような姿勢だ。そして、そのカーヴェがとる姿勢は学生時代の頃を思い起こさせた。
教令院の学生だったとき、なにか座って作業するカーヴェの元へアルハイゼンが近づくと、決まって彼はアルハイゼンが声をかける前に振り向いて、アルハイゼンのことを見上げながら「やあ」と片手を挙げて挨拶をしたのだ。当時のアルハイゼンの身長は今より三十センチメートルほど低かったため、そのときの状況と完全に一致しているとはいえないが、けれどもアルハイゼンは懐かしさを感じていた。
「昨日、会議で聞いたんだ」とアルハイゼンは答えた。
「ああ、君は今も書記官の職に就いているのか。なるほどね。だったら、知っていてもおかしくないか」
カーヴェはそう納得したかのように言うと、再びアルカサルザライパレスの方に顔を向けた。
「僕が依頼されたのは、スメールエリアの建造物の設計だということも既に聞いているかい?」
「聞いている」
「僕がスメールにいるとき設計した建物の数々の美しさは今も変わらない。特に、このアルカサルザライパレスは僕がスメール時代に設計した中の最高傑作といっても良いものだ」
そこまで聞いて、アルハイゼンはカーヴェに対しどこか違和感を覚えた。アルハイゼンの知るカーヴェは自身が設計したものについていかに素晴らしいか語ることなんてなかったし、加えて、アルカサルザライパレスを最高傑作だと断言したりしなかった。アルカサルザライパレスはその建造物自体だけ見ればたしかに最高傑作かもしれないが、代償として彼は様々なものを失った。学生時代に仲違いをした彼とアルハイゼンが再会したのは、カーヴェがアルカサルザライパレスの件で名声以外の全てを失った頃のことであったから、アルハイゼンはカーヴェがアルカサルザライパレスに対して
カーヴェはアルハイゼンの方をちらりと見た後、大きなため息をついた。そして続けて言った。
「スランプなんだ」
その一言で、アルハイゼンが覚えたカーヴェに対する違和感の理由は、彼がスランプに落ち込んでいることからくるものだろうと思った。さらに言うと、相当深く根深い不調であるから違和感を覚えたのだ。ちょっとした不調ならば、数年ぶりに会ったアルハイゼンが気づくことはできない。それだけ表面に表れるくらい、深刻な状態なのだ。アルハイゼンはカーヴェの状態をはっきりさせるべく、言葉を包み隠したりせずに聞いた。
「君がスメールへ数年ぶりに戻ってきた理由もそのスランプが関係しているのか?」
カーヴェはアルハイゼンをちらりと見た。そしてすぐに目をそらすと半ばやけくそのように答えた。
「ああ、そうだよ。僕は以前の僕と違ってスメール風の建物の設計デザインができなくなってしまったんだ。笑えるだろう。僕はスメール出身で、かつ教令院で学を修めた建築デザイナーであるというのにも関わらずね。僕はそれをなんとか解消しようとスメールに来たんだ。早くこの状況を脱しないと、依頼された国際博覧会の建築が開催日に間に合わなくなってしまう」
アルハイゼンはカーヴェの話をただ黙って聞いていた。アルハイゼンにとって、カーヴェが現在陥っているようなスランプというのはよくわからないことだった。アルハイゼンは
アルハイゼンからすると、カーヴェが悩んでいることは彼だけで抱えこむ
アルハイゼンがなにも言わなかったためか、カーヴェは心の内の詳細を話し始めた。
「僕の中にあった
「それはわからないが」アルハイゼンはようやく言葉を口にした。「失ったものがあったとしても、逆に新たに得たものだってあるだろう。フォンテーヌで数々の建築設計を行って、君はフォンテーヌで建築デザイナーとして成功している。だから、国際博覧会の建築物設計の依頼がきたのではないか? そうでなければ依頼なんてされないはずだ」
カーヴェはアルハイゼンの方を驚いた様子で見上げた。そして一言口にした。「君が慰めの言葉をかけるなんて」
「正直に事実を言ったまでだ」
アルハイゼンは自身の本質は十年前となんら変わっていないと思っていた。こういったものはそう変わるようなものでもない。たしかに、アルハイゼンが昔より他者と積極的に関わるようになったのは事実だが、だからといって昔のアルハイゼンが、他者が嫌いかというとそうではなかった。カーヴェに対してだってそうだ。彼に自身の考えていることを全て丁寧に教える気がなかっただけで、今も昔もカーヴェに対して抱いている気持ちは変わらない。大事な友人の一人だということだ。彼とのその
カーヴェは驚いた様子を見せたまま微動だにせずいたが、あるとき、止まっていた時間が急に動き出したかのように笑い出した。
「君のそういうところは変わらないな」
「ああ」
アルハイゼンはうなずきながらはっきりとそう言った。人の本質が変わらないのは当たり前のことだ。アルハイゼンはカーヴェが笑い出した理由についてよくわからなかった。アルハイゼンはその理由を考えようと彼の様子を思い返し始める。そして、だんだんと周りが見えなくなるほどにその推理に集中し出す。そのためか、カーヴェが立ち上がったことについても気づかなかった。
「なあ、アルハイゼン」
そうカーヴェが言ったことで、アルハイゼンはやっとカーヴェが立ち上がっていることに気がついた。アルハイゼンは彼の考えていることを推理しようとするのを中断し、彼のことを見上げるような形で尋ねた。
「なんだ」
「昔のように言い合いをしないか」
アルハイゼンはすぐに返答できなかった。カーヴェの考えていることがますますわからない。アルハイゼンは彼の突拍子もない発言に呆れの気持ちが芽生えていた。
だが、ふとある考えがよぎる。
カーヴェの考えていることが全てわかった
アルハイゼンは不適な笑みを浮かべ、その後すぐにいつも通りの表情に戻った。彼らの議論は概ね並行線上のまま帰結を見せることがなかったが、『もうこの話はやめよう』と言った割合は圧倒的にカーヴェの方が多かった。今回も、その結末で終わるだろう。
「言い合いなんてやろうと思ってするようなものではない」
アルハイゼンは立ち上がるとそう言った。これは、彼にとって『言い合い』の開始だった。カーヴェがどう思っているかはわからない。
カーヴェは少し苛立った様子でアルハイゼンの言ったことに反論した。「昔、よく僕らは揉めていたが、そのときの僕は――もちろん君だって――揉めたくて揉めていたわけではなかったはずだ。僕たちの共同研究が破綻した原因だって、お互いに主張を譲らず、相手へ譲歩する姿勢を少しも見せずに自分たちの意見を貫きとおしたからだ。そうだろう? つまり、今現在、君が僕に対して思っていることをそのまま貫きとおせばいい。そして、その内容を僕に言うんだ」
アルハイゼンはため息をついた。そして、「君は他の友人に対してもそんなようなことを言っているのか」と呆れたように言った。
カーヴェは少し悩んでいるような様子を見せた後、なにかを得心したかのような表情で返した。「君だけさ」
ここまでのカーヴェの態度を見て、アルハイゼンは最後まで彼の言う、『言い合い』につきあってやろうと覚悟を決めた。『もうこの話はやめよう』と向こうが言ってくるまで続けてやるのだ。
「今の君の立場なら頼まれた設計を他のしかるべき人に請け負ってもらうことだってできるだろう。あるいは、共同で設計をする手だってある。君はフォンテーヌで有名な建築家であり、そんな立場にある者からの頼みだというなら喜んで引き受けようとする者は大勢いるはずだ。でも、君はそうしなかった。君はアルカサルザライパレスの件で破産した際、色々学んだのではなかったのか。俺は当時の君の様子を知っているが、かなり酷い状態だったことは明白だ。だからこそ、自分が抱え切れる以上のことはしないとあのとき肝に命じていたかと思っていたのだがな」
「そんなことはわかっている。アルカサルザライパレスの一件から、無理をしすぎないように気をつけているさ。君の言うとおりにね」カーヴェはアルハイゼンに向かって反論した。「でも、今回のことはなんとかいけると思ったんだ」
アルハイゼンはカーヴェがもらした一言を見逃さなかった。彼と
「なんとか? つまり、多少無理をしなければならないであろうことを君はわかりつつも引き受けたってことなのか」
アルハイゼンのこの発言に、カーヴェはすぐになにかを返すことができないようであった。少し考え込んだ後、ようやくという風に反論を返した。
「君の言うように、無理をしないといけないだろうと思いつつも引き受けたことは認めるよ。でも、これは知っておいてほしいのだが、普通の人は君ほど合理主義でいられないんだ。多少は無理をしてしまう。僕だってそちら側の人間で、だからこれは仕方ないことなんだ」
「いいわけにしか聞こえないな」
カーヴェは黙りこんだ。今度こそ、カーヴェはアルハイゼンに対してなにも言い返せないようだった。この十年ぶりの言い合いはアルハイゼンの主張が通ったようだった。勝ちか負けで言えばアルハイゼンの勝ちなのだろうが、カーヴェの目的は、『言い合いで自身の主張を通すこと』ではなく『言い合いをすること』だったのだから、カーヴェの勝ちであるともいえる。
どうも奇妙な感じだ、とアルハイゼンは思った。思えば、カーヴェとの言い合いは全て、どちらの『主張を通すか』という目的のために行われていたものだった。これまで行われてきたカーヴェとの
「なあ」しばらくして、カーヴェが口を開いた。「僕たちの仲は昔と変わらないみたいだ」
アルハイゼンはカーヴェの顔を観察した。彼の表情からは感情を読み取ることができない。カーヴェが持ちかけたことをやったのだから、てっきり彼は嬉しそうにするのではないかとアルハイゼンは思っていたので、このカーヴェの反応は意外だった。アルハイゼンにとってこの機会にカーヴェと本心をぶつけあえたのは良いことだと感じていたのだが、カーヴェの反応がそのようなものだったので、「そうか」とだけアルハイゼンは返した。
カーヴェはアルハイゼンの返答にうなずいた。アルハイゼンが思っていることが彼に伝わったのかどうかはわからないが、不思議と不満は感じない。彼がどうとらえていようが問題はないのだ、とアルハイゼンは思った。
「この言い合いを終わらせる方法がある、なんだと思う?」とカーヴェはアルハイゼンに向かって尋ねた。
「『もうこの話はやめよう』と君が言うことだ」
「なんだって?」
「君が俺との言い合いを終わらせる際に必ず言っていた話だ」
カーヴェは数回まばたきをした。どうやら、アルハイゼンの言ったことは彼の予想外のようだった。
「よく覚えているなあ、君は。僕は気づいていなかったよ」
ようやくそう返答をしたカーヴェの表情は穏やかだった。アルハイゼンはそんなカーヴェの様子を見て、ふと急に、昔にあったあることを思い出す。カーヴェのスランプを解決できる可能性があることをだ。
「この話はやめだ」とアルハイゼンは言った。「少し思い出したことがあるんだ」
「それで、たしかにカーヴェは行くって返事をしたんだよね」
ティナリは手に持ったグラスから酒を飲みつつ、そう言った。ティナリの三杯目のグラスはもう空で、次はなにを注文しようかとメニューを見始めている。
「ああ」アルハイゼンはティナリに向けて返事をした。
馴染みの酒場で、コレイ、ティナリ、セノ、アルハイゼンの四人はひとつのテーブルを囲んで座っていた。カーヴェがスメールへ来訪したことをきっかけにして企画された食事会のためだ。だが、肝心のカーヴェはまだ来ていなかった。
「そう焦らなくてもいい。時間はまだあるしな」とセノが言った。「暇があるのなら、七聖召喚をやってもいいしな」
「この四人でだってこうやって集まるのは久しぶりだし、せっかくだから近況を話したりしない?」
ティナリはそう言い、話を七聖召喚からそらした。セノと七聖召喚をやる場合、単なる暇つぶしで済まなくなることを彼はよく知っていたのだ。だいたいセノが熱くなってしまい、本気の勝負が始まってしまう。
「それもそうだな。コレイは教令院を卒業した後、ガンダルヴァー村に戻ったと聞いたが、調子はどうだ?」とセノはコレイの方を見ながら言った。
「概ね順調だよ。数年間の都会暮らしでなまってしまった身体もだいぶ戻ってきた感じだ。そういうセノさんは――あ」
「どうした?」
急に話を途切れさせたコレイに対し、セノは疑問に思いながらコレイが視線を向ける方を見た。店の入口にカーヴェがいる。
「おーい、こっちこっち」
セノと同じようにコレイが向く方を見ていたティナリが立ち上がって、友人に向けて手を挙げて呼んだ。カーヴェがこちらの方を向く。彼は四人がいる席に気がついたようで、こちらに向かって歩いてくる。
「ごめん、遅くなった」カーヴェはそう謝りながら空いている椅子に座ると、近くにいた店員を呼んだ。「とりあえずビールを一杯」
店員がカーヴェの頼んだ酒を持ってくると、五人は乾杯をした。ようやく、食事会の始まりだ。
「それで、カーヴェの近況を聞いてもいい?」とティナリは早速といった風にカーヴェに向かって尋ねた。
「ああ、いいよ」カーヴェは大皿に載ったサモサを自分の皿に取り分けながらうなずいた。
「俺も気になっていた。フォンテーヌで開催される予定の国際博覧会の建築設計の依頼がきたと聞いたが」
「そうだね。設計を考え中だ」
「順調?」とティナリが聞いた。
「順調さ」カーヴェは口に入っていた食べ物を飲み込んだ後、続けて言った。「アルハイゼンのおかげもあってね」
「どういうこと?」
ティナリは不思議そうな様子を顔に浮かべつつ言った。アルハイゼンが場の様子を見る限り、疑問に思っているのはティナリだけではなさそうだった。セノやコレイもティナリと同じような表情を浮かべている。
「はっきり言うと、僕は少し前までスランプに陥っていたんだ。国際博覧会の依頼を引き受けたはいいけど、長らくスメールを離れていた僕にはスメール式の建築のよいアイデアが思いつかなくてね。困っていたんだが、アルハイゼンのおかげでその
「そんなことがあったんだな。今はスランプから抜け出せたようで良かったよ」
コレイはグラスに入った酒を飲みつつ言った。彼女ももう酒を飲める年齢になっており、かつての少女の面影を残しつつも大人の女性に成長していた。
「それで、アルハイゼンはなにをしたんだ?」横からセノが聞いた。
「昔のことを話しただけだ」ずっと黙って酒を飲んだり料理を食べたりしていたアルハイゼンはやっと口を開いて言った。
「そうなんだよ。アルハイゼンは記憶力がとても良い。それで、僕が昔に話していた建築デザインのアイデアも覚えていてね。それを話してくれたんだ。そこから僕はインスピレーションがわいて、国際博覧会の建築物についての案ができたってわけ」
「なるほどね」ティナリはそう言いながら、アルハイゼンとカーヴェの方を交互に見た。「君たちって相変わらず仲が良いね。カーヴェがフォンテーヌへ行ってからも連絡はとり合っていたの?」
「いや、とっていない」カーヴェとアルハイゼンの両方共が首を振る。
「へえ。となるとすごいね。久しぶりに会ったのに、そこまで深い話ができるなんて。数年ぶりに会った友人って、だいたいが昔のようにはいかなくてよそよそしい会話になりがちだろう。スランプについて相談をしたりだとか、相談にちゃんと乗ってあげたりだとか普通はできないはずだ」
「まあ、僕たちも最初はそんな感じだったんだけれどね。言い合いをきっかけにして昔のような会話ができるようになったんだ」
「言い合い?」ティナリは若干あきれたように言った。「君たちらしいといえば君たちらしいけど」
「そうだろう」とカーヴェは嬉しそうにうなずいた。
アルハイゼン以外の三人は皆よく意味がわからないというような顔をしている。それもそうだ、とアルハイゼンは思いながらも、カーヴェとの友情が変わらないことに嬉しさを感じていた。カーヴェと言い合いができるうちは、彼とアルハイゼンとの友情は変わらずにあるのだ。
「それで、そのアルハイゼンが話してくれたことから思いついたアイデアをまとめあげてね。これは今日の食事会に遅れた理由でもあるんだが、妙論派の先輩にも協力のお願いをしに行って、実現可能そうだということまで結論づけんだ。早く、フォンテーヌへ戻って国際博覧会の運営側にこのアイデアを提出したいよ」
「いつ戻るんだ?」
少々興奮して様子で近況を語るカーヴェに対し、セノはいつもと同じ調子でそう聞いた。
「来週には。もう帰りの船のチケットもとったんだ」
「ずいぶん急だね。せっかく数年ぶりに戻ってきたんだからもっとゆっくりしていけばいいのに」ティナリが手元のグラスを揺らしながら言った。完全に溶けきっていない氷がからんと音をたてる。
「次はいつこっちへくるんだ?」ティナリの隣に座るセノがそう聞く。
「まだ考えていない。これから、国際博覧会の設計で忙しくなりそうだしね。まとまった時間を作れなさそうなんだ。そうだ、君たちも国際博覧会にはおいでよ。僕が案内しよう」
「設計者に案内してもらえるなんて光栄だな」とコレイが嬉しそうに言う。
「でも、それって何年か先の話だろう」ティナリが横から言った。「僕たち、この約束を覚えていられるかな」
「きっとアルハイゼンが覚えているさ。記憶力がいいんだから。そうだろう? アルハイゼン」
カーヴェはアルハイゼンの方を向いてそう言った。ずいぶんとアルハイゼンのことを信頼しきったような様子だ。
アルハイゼンが思うに、ティナリが言った『約束を覚えられているかな』という言葉は文字通り以外のことも含んでいるのだろう。覚えていたとして、今のような関係性でいられるだろうか、疎遠になってしまって連絡をとれないということにならないだろうかということだ。今回はきっかけがあってこうやって集まれているが、次もそうであるとは限らない。
でも、連絡をとろうがとるまいが、このメンバーが友人であることは変わらないということをアルハイゼンは確信していた。何年経とうと、再び会った際に昔や今のようにカーヴェと本音で言い合いをアルハイゼンは必ずできるだろうし、彼らがそういう仲である限り、アルハイゼンがきっかけとなりさえすればこの約束ははたされるだろう。
アルハイゼンはカーヴェの質問に対しうなずいた。「ああ、そうだな。覚えておく」
ルムメオンリー用に書いた短編です。
一応、連作の短編の最初の話という位置づけであったりします。最近二次創作でも一般書籍でも短編集に触れる機会がまあまああって、いいな〜となり、連作短編集を作りたくて。
影響されすぎですね。