Peoneyboy

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芸術家たちの楽園

2

「では彼女の処分は三か月間の減給ということで、次の議題に移りましょう」
 会議の司会者は手元にあった紙を机の端に避け、ちょうど真下にあった資料を取り出すと、書かれていた題名にさっと目を通した。つられるようにして会議に参加している他の参加者たちも資料のページをめくる。
「次の議題は、『美術館の廃棄処分予定だった所蔵物を許可なく持ち出した者の処分内容について』です」
 司会者ははっきりと、会議室にいる全員へ行き届くような明瞭な声で読み上げた。
「経緯を詳しく述べます。この者は先日、美術館前広場にてスメールシティの美術館にあった品々の焼却処分を行う際に、廃棄予定だったものをひとつ懐に入れて持ち出したとのことです。焼却処分後職場に戻り、帰り支度をしている際に持ち出した品を個人ロッカーに入れようとしているところを同僚が発見。その場で問いただしたところ行いを認めたため、上司に報告がきました。盗んだ者の言うには価値あるものが燃やされてしまうことに耐え切れず、許可なく持ち出してしまったとのことです。なにか質問や意見のある方は挙手をお願いします」
 アルハイゼンは会議での発言内容を一言一句正確に、手元にある用紙へ速記で書きつけていった。既に彼が使用している机には、会議を記録した紙が書きつけるのに、邪魔にならない位置へ山になっている。これらは速記法を習得している者にしか読めない文字で書かれていたが、会議終了後に議事録として誰にでも読める形にまとめられる。これが書記官の仕事だ。会議内容を記録する係である書記官として、アルハイゼンは会議に出席していた。
「ではどうぞ」司会者は早速、挙手をした男に対して発言の許可を与えた。
「その者にはしかるべき処分を下すべきなのでは?」発言の許可を司会者からもらった生論派の賢者はそう言った。「価値あるものを盗んだというのならば、議論するほどのことでもないでしょう」
「問題はそこですな」次に発言したのは素論派の賢者だった。「問題は、その者が盗んだものの価値がどれほどのものかということです。ただのゴミであるというのならば処分を与えることはできない」
「発言をいいかね?」知論派の賢者は挙手をする。
「どうぞ、カジェさん」司会者は知論派の賢者のことを指名した。
「私はそのとき焼却処分が行われた現場にちょうどいたが、盗むようなものなんてあったかね? ゴミ処理のため燃やすことになったのだから当たり前なのだが、焼却処分予定のものの中にはしかなかったはずだ。ゴミの中になにかが混じってしまっていたのか?」
「そうとは私には思えませんが」
 妙論派の賢者はそう発言すると、司会者に目配せをした。司会者は彼の意図を理解したようで、立ち上がり隅に置いてあった装飾のついた木片を会議室中央にある台の上に乗せた。証拠品を置くために設置している台だ。
「現在、議論にあがっている人物は妙論派に属する者なのです。私は報告を受け証拠品を回収し、この場で提示しようと会議前に司会者へ渡しておきました。これが回収したものになります」妙論派の賢者はそう言いながら中央の台を指さした。
 会議に参加している全員の視線が一斉に中央の台の方へ向く。証拠品はなんとも言葉で表現しにくいものだった。木片ではあったがただの木片ではなく、彫刻刀でなにやら彫られた形跡があり、さらには様々な色――赤や黄や青で表面が彩られている。アルハイゼンは言葉だけで記録するのはあきらめ、目の前の紙には『証拠品A』と後で参照しやすいように仮に名前をつける形で記録しておくことにした。
「これが価値あるものですか?」次に発言した因論派の賢者は困惑しているようであった。「私には、これを価値あるものだと思って盗んだということが全くもって理解できませんね。こう言っちゃあなんですが、こんなのただのゴミではありませんか」
 因論派の賢者が言うことには全員が同意なようで、六人の賢者たちは皆そろってうなずいた。アルハイゼンは目の前の紙に『賢者全員がうなずき同意を示す』と記録を残す。
「盗んだものは価値の全くないであるから、この線から罪に問うことはできないな」賢者全員を代表して長である明論派の賢者――アザールは現在挙がっている意見をまとめあげた。「それに誰かの所有物でもなかったから、その線からも無罪であると言えるな」
「ええ、そうですね」妙論派の賢者は言った。「しかしまだ、考えなければならない線もあります」
「考えなければならない線?」知論派の賢者は疑問の声をあげる。
「そうです。次に考えなければならないのは、その者になにか良くない思想を広める気があったのかどうかということです」妙論派の賢者は疑問に答えつつ、中央にある証拠品を指さした。「この盗まれたものが価値あるものだ、とその者の言いふらした事実があったのならば、危険な思想を持っているとして正しい道へ行けるよう指導してやらねばならないと思います」
「たしかに彼の言うとおりですな」素論派の賢者は妙論派の賢者の意見に同意し、うなずきつつ言った。「ついこの間の議題に、サングマハベイという商人がこのようなを美しく、良いものとして多くの者に売りつけた件についてあがっていたことがあったでしょう。捜査の過程で彼女が住む邸宅も調べられましたが、なんともまあ常人には理解し難い、ある種の思想が如実にょじつに表れた邸宅でした。彼女たちいわく、芸術的観点で見ると素晴らしいデザインであるらしいですが。デザイン? そんなものよりもっと気にするような観点はたくさんあります。もし、大多数の人々がよりデザインのことにこだわり出したら、これまでうまく回っていたものがすべて回らなくなってしまいます」
「たしかこの前の議論の結果では、サングマハベイ氏のそのデザイン性に優れているという邸宅を彼女から没収することになったのでしたっけ」
 生論派の賢者は自身の記憶を確かめるため、といった様子で尋ねた。
 現在、話にあがっている議論をした会議の書記もアルハイゼンが担当であった。それほど日にちが経っていないためか、あるいは議事録をまとめるため会議後に読み返したためか、アルハイゼンはその会議で最終的に出された結論の内容をよく思い出せる。
「ええ、そうです」アルハイゼンが以前に行われた会議の内容を思い返していると、因論派の賢者が話し出した。そして、アルハイゼンがそちらの方へ顔を向けるのと同時に、彼が記憶していた通りの内容を続けた。「付け加えると、没収された邸宅の代わりの家が教令院側から寄与されたはずです。とても実用性に優れた家をね。新たな家は余分なものが一切合切排除された、とても素晴らしいものだそうですよ」
 議論は盛り上がりつつあった。そんな中でも司会者は、自身の役割を果たすために何度も時間を手元の時計で確認している。アルハイゼンは会議の間、しばしば司会者のその動作を見ていたが、明らかにだんだんと時計を見る間隔は狭まっていた。そして何度目かの時計の確認の後、司会者はその場に立ちあがって賢者たちの顔を順番に見ながら話し出した。
「議論の最中ではありますが会議終了時間も近づいてきましたので、そろそろ処分内容についての議決を取りたいと思います。議題は『美術館の廃棄処分予定だった所蔵物を許可なく持ち出した者の処分内容について』でした。まず、処分を与えるべきか与えないべきかで議決を取りたいと思います」
 賢者たちはみな、それぞれにうなずいた。異議はなし、ということだ。こういったタイミングでもめて再び議論になることもあるため、問題なく会議が進行していることにアルハイゼンは安堵あんどした。彼が今日、出席するべき会議は現在参加しているものが最後で、あとは議事録さえまとめあげてしまえば本日の仕事は終了であったからだ。この後もトラブルが発生することなくいつも通りの調子でいけば、定時には帰れそうである。
「では『処分を与える』に賛成の方、挙手をお願いします」
 司会者は挙手している人数を数えるため、賢者たちが座る席の方を見渡した。誰も手はあげない。
「――では『処分を与えない』に賛成の方、挙手を」
 今度は先ほどと違って、一斉に手が挙がった。満場一致で『処分を与えない』の可決だ。アルハイゼンは全員が処分を与えないに賛成、と記録した。議事録には誰が賛成したのか反対したのかの詳細も記載する必要があったのだ。これは書記官として最低限満たさなければならないことのうちのひとつで、アルハイゼンを含む書記官全員に共通認識として存在するものである。
 今回の場合、全員が同じ意見だったため、簡潔な記載内容で済んだ。書記官の仕事としてはこの方が楽であるため喜ばしいが、全員が同じ意見であるというのはあまりない状況であるため少々気にはなる。アルハイゼンが書記を務めた会議で、前に同じような状況へなったのはいつだっただろうか。そこまで考えて、アルハイゼンはサングマハベイという商人への処分を決めた会議が今回と同じように満場一致で『邸宅を没収し、新たな家を寄与する』という結論に至ったことを思い出した。
「では、処分を与えないということで今回の会議は終了とさせていただきたいと思います。なにか発言したい方はいらっしゃいますか?」
「いいかね」アザールは司会者の問いかけに対し、挙手をした。司会者がどうぞ、と発言を促すと、アザールは続けて言った。「証拠品として提出されたものについてだ。あれは、議決の結果にも繋がるかもしれないが――ゴミであると。そうだね?」
 六人の賢者たちはうなずいた。アルハイゼンはペンを置き、もう会議は終わりだといった気持ちでいたが、アザールが発言し出したのを受けて再度ペンを持ち直した。
「だったら、あの証拠品を処分するべきなのではないかと。ゴミを長期間保管しておくわけにもいかないだろう」
 アザールは中央に置かれたままの『証拠品A』を見ながら言った。
「なるほど」司会者はうなずき、そしてまた部屋全体に響き渡る明瞭な声で言った。「では、大賢者様の提案に関しても議決を取りましょうか。賛成者が過半数を超えた場合は処分する、ということで」
 司会者は議決をとることに反対の者はいないか確認するように、賢者たちが座る席を再び見渡した。賢者たちは皆うなずいており、反対の者はいなさそうだ。
「では『証拠品を処分する』に賛成の方、挙手をお願いします」
 一斉に六人の手が挙がった。今度も皆等しく同意見である。アルハイゼンは全員の意見がまたもや合致していることに奇妙さを感じつつも、目の前の紙に『全員が証拠品を処分するへ賛成』と記録した。
「では、証拠品はこの会議の後、処分の手続きを行います。他に発言したい方がいなければ終了とさせていただきたいと思います」
 今度こそ発言したいと申し出る者はいなかったため、会議は終了した。ほぼ予定時刻通りだ。
 賢者たちが立ち上がって会議室から退出しようとしているのをアルハイゼンは眺めた。ある程度の者が退出し終えたとき、アルハイゼンも続いて会議室から出ようと机の上に積み重なった議事の記録たちをひとつの山に集め出した。
 議事の記録を集め終わったアルハイゼンは書記官用の席から立ち上がりつつ、ふと、中央の台座の方を見た。ちょうどそこにあった証拠品は司会者によって持ち上げられ、運ばれようとしているところだった。
 サングマハベイの邸宅に証拠品A――これらは賢者たちが参加する会議で必要ないものとされてしまった。実用性のないものはゴミに等しいというのが現在のスメールにおける常識ではあったが、はたして実用性の有無だけで必要かどうかを判断してしまってよいのだろうか。
 アルハイゼンはそこまで考えて、首を振った。この考えはスメールに住む学者としてよくないものだ。一人の人間が抱えられるものには限りがある以上、実用性に欠けるものは必要なく、それ以外のものだけを大切にすべきなのだ。
 アルハイゼンは思考を切り替えるようにまっすぐ正面へ向き直ると、そのまま会議室の出入口まで向かって歩き出した。その間アルハイゼンは一度も証拠品の方へ意識を向けることがなかった。

 会議室を出た後アルハイゼンが自身の席へ戻るため、速記で会議内容を記録した用紙を抱えながら教令院内を歩いていると彼のことを呼び止める声があった。
「アルハイゼン書記官」
 アルハイゼンは仕事が増えそうな予感を感じつつも呼び止めに従って立ち止まり、振り返った。
「なにか御用でしょうか、アザール様」
 正直にいって、このときのアルハイゼンはまっすぐ自席へ戻って先ほどの会議の議事録をまとめあげてしまいたかったが、上司のさらに上司である大賢者からの呼びかけを無視するわけにもいかなかった。仕方なくアルハイゼンは、呼びかけた人物である大賢者アザールに向かってそう問いかけた。
「会議が終わったばかりのところすまないが、少し頼みたいことがあるのだ。ここは人通りが多い。あまり多くの人には聞かれたくない内容でね。私の執務室まで来てくれないかね?」と言いつつ、アザールはアルハイゼンが抱えている紙束の方へ顔を向けた。「もちろんその、先ほどの会議を記録した用紙を置いてきてからで問題ない」
 アルハイゼンは内心でため息をつきつつもうなずいた。「わかりました。これを自席に置き次第、執務室へ伺います」
 アザールはアルハイゼンの返答が自身の求めていたものであることに安心した様子で、「では、よろしく頼むよ」と一言残すと、すぐにその場を大賢者の執務室の方へ向かうようにして去って行った。
 呼び止められた時点でアルハイゼンが感じていた予感は見事的中していたようで、今日やらなければならないリストに『大賢者の頼みを聞く』がたった今追加された。議事録作成に着手できるのは少々後になりそうだ。アザールの用事の内容次第では少々どころでは済まない可能性もある。
 そこまで考えたところで、アルハイゼンは自身の思考がマイナスの方向になっていることに気がついた。アザールに増やされた仕事に関してはできるだけ考えないようにした方がいいだろう。めんどうくさいと思ったところで仕事が無くなるわけではないし、そんなことよりも先ほどの会議を議事録へどうやってまとめるか考える方が、時間の使い方としても彼の優秀な頭脳の使い方としてもずっと有意義だ。
 アルハイゼンはそう意識して思いながら腕に抱えているものを抱えなおすと、彼の自席がある部屋の方へ向かって少々早足で歩き出した。

 アルハイゼンが荷物を置いた後に大賢者の執務室を訪れると、珍しくそこにはアザール――つまり大賢者本人しかいなかった。いつもは大賢者と賢者の仕事のサポートや警備のための人員が数名いるので、めったに有り得ない光景である。そこまで内密な内容の話なのだろうかと思いつつも、アルハイゼンはいつも通りの表情をくずさないままアザールの向かいに立った。
 アザールは目の前に立ったアルハイゼンの顔を執務机越しに一瞥いちべつすると、執務室の片隅に置いてあった普段は使われてなさそうな少々ホコリの被っている椅子を指さした。
「立ったままではなんだから、その椅子を持ってきて座るといい」
 アルハイゼンは大賢者の言うことに従い、壁際にある椅子の方に近づいた。彼は自身が座るときに許容できる程度、軽くホコリを払うと持ち上げて運んでいき、アザールの執務机の向かいに置く。そしてそのままその椅子へ座り、アルハイゼンとアザールは執務室にある中で一番大きな机を挟み向かい合って座っている状態になった。
 それからしばらくの間、お互いが会話を切り出すタイミングを伺っているような、気まずい静けさが二人の間に横たわった。沈黙を破って話を切り出したのはアザールの方からであった。
「それでだね、君を呼び出したのは頼みというか、まず確認したいことがあったからなのだ。アルハイゼン書記官は妙論派の栄誉卒業生であるカーヴェのことを知っているかね?」
 いきなり、知り合いの名前――口ぶりからするとアザールは知らないようであるが、カーヴェはアルハイゼンのルームメイトであり昔、学生時代に共同研究者だった時期もあった――が出てきたことに内心驚きつつも、顔にはその驚きを出さないようにしながらアザールの質問へ答えた。
「ええ、知っていますよ。時折、一緒に食事をしたり飲みに行ったりはする仲ですから。彼がなにか?」
 カーヴェから、ルームシェアの相手のことについてはごく親しい人以外には絶対に言うな、と耳にタコができるほど言われていたので(アルハイゼンはそのようにこそこそ隠す必要性を感じていなかったが)、のちのち、どこからか彼の耳に会話の内容が入っても大丈夫なようにということのみ除いた事実を話した。この表現だったら、たとえカーヴェが後でこの会話の内容を知ったとしても問題はないだろう。
「そういえば、君たちは共同研究していた時期もあったのだったか。そう記載された記録を見たことがあることを今、思い出した」アザールは咳払いをしてから続きを話した。「カーヴェ君と交流がある者を探し出して色々尋ねていることがあるのだ。最近も交流があるというのなら、アルハイゼン書記官にも協力願いたい。どうかね?」
 アルハイゼンはうなずいた。「問題ないです」
「先ほどの会議内でも話にあがっていたが、サングマハベイ氏の邸宅――アルカサルザライパレスが数ヶ月前に没収されたということがあった」アザールはアルハイゼンの返事を聞くと、満足気にひとつうなずいてから話し出した。「ある程度シティ内の噂話に耳を向ける者なら誰でも知っているとは思うが、あのアルカサルザライパレスの設計を行ったのは教令院妙論派の卒業生であるカーヴェである。それでだ。彼になんというか、言葉でうまく表現するのは難しいが――良くない思想を広める意志があったのではないかという疑惑があってだな。学問に関係のない、または人々から考えるということを奪いかねない感情論だけで動くといったたぐいの――要するに、美しいという感情を追い求める行為をよしとするようなことだ。スメールにおいて学術的要素が全く含まれない、ただ人の感情に美しさだけを訴えかけるような芸術は禁止されているが、それに違反していないかを我々は疑っているのだ」
「彼にそのような疑惑が?」驚いた、といった様子をかもし出しながらアルハイゼンは言った。
「そうだ。会議で議論した結果、サングマハベイ氏に関しては現時点においては経過観察となったが、では件の問題となった原因であるアルカサルザライパレスの設計者はどうなのか、という話になってな。彼とプライベートで会ったときになにか話していなかったかね? 些細なことでもいいのだ。もちろんアルハイゼン書記官は理解しているとは思うが――」アザールは一呼吸おき、にこやかな表情を浮かべながら言った。アルハイゼンのことを脅しているかのような、おそろしく不気味な表情だった。「カーヴェ君の肩を持つために、真実とは違うことを証言するといったことは控えてもらえるとありがたい」
「残念ながら彼の思想について、俺はよく知らないのです」
 アルハイゼンはアザールの脅しにうなずくと、証言をし始めた。彼の話す口調はいつも通りで、もし嘘が混じっていてもマハマトラですら気づかないだろうといった雰囲気であった。
「彼とはたしかに時折会って食事をします。仕事の愚痴を聞いたりもしますが、おおむねクライアントの要望とその他予算や納期等の現実的な物事との兼ね合いで行き詰まっていて文句を言いたくなっているようでした。そんな感じですから彼のクライアントの要望――思想も含まれるかもしれませんが――はわかりますが、彼自身の思想に関してはというより、それどころかやりたいことに関してもよくわかりません。もしかしたら彼のやりたいことというのは、依頼人の期待に応えることなのかもしれません。そう思えるくらいには、彼はクライアントの要望を熱心に、かなり踏み込んだところまで聞いているように俺には見えました」
「要するに、カーヴェ君は『学問に関係のない、美しさというものだけを負い求めることをよしとする』思想は持ち合わせていないだろう、ということを言いたいのかね?」
 アザールはアルハイゼンのの内容をまとめ、要点をかいつまんで言った。その問いかけに対し、アルハイゼンは黙ってうなずく。イエス、その通りだ。
 しかし、アザールはアルハイゼンがそのように肯定する返事を出したのにも関わらず、次の言葉を発さなかった。ただ、アルハイゼンの目をじっと見つめている。嘘は言ってないだろうね、という圧をアルハイゼンに対して与えているのだ。
 そんな状態がたっぷり一分間は続いたところで、アザールは身体から力を抜いた。
「なるほど、そういったことであるならば問題ない。なにか気になることを話していたときは報告するように」
「わかりました。では、他になければこれで」
 アルハイゼンはアザールの言葉にうなずくと、椅子から立ち上がり、部屋の出入口の方へ向かって歩き出そうとした。しかし、聞き忘れていたことを思い出して、数歩進んだところで立ち止まると振り返った。
「椅子は元の場所に戻した方がよろしいでしょうか?」
「ああ、椅子はそのままで大丈夫だよ」アザールは再びにこやかな表情を浮かべた。「実は、この後も面会の予定が入っているのだ。そのときに使うだろうから気にしなくてよい」
 アザールのその言葉にうなずくと、アルハイゼンは今度こそ出入口に向かって歩き出す。そして出入口の扉の前へたどり着くと軽く会釈をして退出した。そのまま歩き続け教令院の入口の噴水のあるちょっとした広間の方にまで来ると、アルハイゼンはやっと立ち止まった。
 アザールのあの言いぶりだと、おそらく面会の予定というのはアルハイゼン以外にもカーヴェについて聴取しようとしているのだろう。アルハイゼンとは違って彼には多くの友人がいる。そのことがあだにならなければ良いが、とアルハイゼンは思った。
 カーヴェは教令院に目をつけられているようだ。それもかなり、黒に近い確信を持った状態で――そう思いながら、アルハイゼンは深いため息をついた。


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