Peoneyboy

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芸術家たちの楽園

3

「もうすぐ本契約に漕ぎつけそうな案件だったんだ。しかも、契約を取るために既に二回も案を修正していたんだぞ」
 言いながらカーヴェは右手に持ったグラスの中身を一気に飲み干すと、テーブルへ空になったグラスを叩きつけた。グラスの中身は度数がそこそこ高い種類のお酒で、一気に摂取するのはお世辞にも良いとは言えない代物である。
「あまり酒を一気に飲むのはよくないぞ、カーヴェ」同じテーブルに座る作曲を生業なりわいとする男はそう言い、カーヴェをたしなめた。
「飲まないでやっていられるか」カーヴェは右手をグラスに添えたまま、再び愚痴を言い出した。「案件が急に白紙になったんだ。よく考えたら僕にデザインを依頼するまでもないとか言ってね。そんなことになるのだったら、依頼する前によく考えてほしかったね」
「彼の言うとおりだよ」もう一人のテーブルを囲んでいる男は作曲家の男に同意した。彼は画家であった。「前に真っ直ぐ歩けないほど泥酔してしまった状態で家に帰ったことがあっただろう? そのとき、ルームメイトに散々嫌味を言われたと言っていたじゃないか。また、君のルームメイトの愚痴を聞かされるのは嫌だからね」
 ここで同じテーブルを囲んでいる、カーヴェ、作曲家の男、画家の男の三人は飲み友達であった。彼らは仕事内容に共通するものがあるためか意気投合し、特に忙しい時期でなければ月に一回はこうやって集まっていた。カーヴェが親しい者にしか話していない、ルームシェアをしている件を話しているくらいには彼らの仲は良いものであった。
「まあ、国内のここ最近の風潮ではデザインにこだわった建物を建てるのは良くないとされているからかもな。ドリー・サングマハベイの邸宅が教令院に没収されたことはもちろん君も知っているだろう。みんなお金をつぎ込んでせっかく建てたものを、彼女みたいに没収されたくないのさ」
「たしかにそのとおりだ」作曲家の男の分析に対し、画家の男は同意した。「僕たちのような職業はこの国では歓迎されていないみたいだからね」
「我々は転職か、もしくは他国への移住を考えなければならないかもしれないな。実を言うと」作曲家の男は急に声をひそめて――具体的にいうと、カーヴェと画家の男にしか聞こえないくらいの声量にまで落として――話を続けた。「昔もっと若い頃、僕はフォンテーヌに音楽の勉強のため留学していたことがあるんだ。それでそのときの伝手を頼って、フォンテーヌに移住できないかと近頃考えていてな。フォンテーヌだったら僕のやりたいように音楽活動ができるんじゃないかと思って」
「フォンテーヌで好まれる音楽はスメールで好まれるものとは性質がかなり違いそうだけど、それでやりたいことができるのか?」
 カーヴェは作曲家の男へつられるようにして、同テーブル内でしか聞き取れないほどの声量で言った。誰に聞かれているかわからないので彼らは小声で会話をしているのだ。こういったたぐいの会話をしているところを目撃され教令院に報告がいき、危険な思想を持つ者としてマハマトラに連行されるというのは、ここ最近のスメールシティ内でしばしば発生していることである。彼らはそのことをよく熟知していたので警戒は怠らなかった。
 作曲家の男の意見を聞いて、そこまで現実は甘くない、というのがカーヴェの考えであった。なにしろ自身のやりたいことを追求した結果、借金を背負う羽目になってしまっているので、世の中というのは理想主義者に優しくないということを彼はよく知っていた。彼の理性的な部分ではそうと思いつつも、自身が被る不利益を考えず理想を追求するような行為はこれからもしてしまいそうではあったが――そうだとしても友人には客観的な意見を言うべきだろう。
 ちょうどそのとき、酒場の店員が彼らのテーブルの空いた食器やグラスを回収しに来たので一同は黙った。片手に器用に食器を積み上げていく店員に、カーヴェは「同じものをもう一杯」と追加で注文をする。店員は注文内容にうなずくと、食器を両手に持って去っていく。その様子を見届けると一同は、会話の続きをし始めた。
「色々考えた結果、スメールにいたって教令院の顔色を伺いながら作曲するしかないし、それならいっそのこと他国に行く方がいいのではないかと思ったんだ。スメール風の音楽を作れなくたっていい。顔色を伺いながらする作曲活動よりかはずっとマシだ。僕にとってはとても耐え難いことなんだよ、今の僕が置かれている状況が」
「君の気持ちはよくわかる。だけど僕はまだ、この国を捨てることは考えられないな」画家の男はうなずきながら言った。「僕が絵の題材にしているのはスメールの風景だ。僕はこの国の景色を自分の手で描きたいがために、画家になったようなものだからね。だから君みたいに移住するなんて決断はまだできそうにない」
「生活するにはなにかとお金が必要だろう。そこら辺の心配はないのか?」カーヴェはそう尋ねた後、皮肉めいた調子で付け加えた。「仕事が白紙になったおかげで、お金のために早いところ次の案件を探さなければならない状況に置かれている僕が言うことではないかもしれないけれど」
「それについては、今のところは心配ないんだ」画家の男はカーヴェの皮肉へ苦笑いしつつ答えた。「少しずつ減っているのは事実だけれども、僕の画家としての活動を支援してくれる人はまだいるからね。もし、僕一人が食べて行くにも困るくらい支援者が減ったら、他の仕事を始めようかな。画家としての活動で、生活に必要なお金を稼げるのがベストだけれども、そうではなくなったとして自分の描きたいものを題材に活動を続けることだけは譲れない。じゃあ、どうするかといったら他の手段でお金を稼ぐしかないだろう?」
 たしかにそのとおりだ、といった感じでカーヴェと作曲家の男は画家の男の考えに納得してうなずいた。ちょうどそのとき、彼らが座る席へ先ほどカーヴェの注文を受けた店員が再び近づいてくるのが見えたので、一同は再び会話を中断する。店員は液体の入ったグラスをひとつ持っていて、彼らの座るテーブルの前で立ち止まった。予想していたとおり、カーヴェが追加で注文した酒を持ってきたようだった。
「僕の注文したものです。ありがとう」
 カーヴェは礼をいい店員からグラスを受けとった。そして、受けとるために動かした腕を口元へ移動させて、一口だけゆっくりとグラスの中身を飲み込んだ。先ほど友人たちから受けた忠告を聞き入れる気にはなっているので、ハイペースで飲んだりはしない。
「カーヴェは?」店員が十分遠くへ離れたことを確認した後、画家の男は聞いた。
「今のところ、特にそのような予定はないよ」
「なるほど」カーヴェの返答に、予想どおりだといった風に作曲家の男は続けた。「この国で得たもの全てを捨てることになるのだから、様々な事物と天秤にかける必要があるからな。お前は僕と違って友人も多そうだし、そこまでする必要はないんじゃないかとは、たしかに思う」
「ああ、たまに君と口論したりしている教令官の男性とか、村の方から来ているレンジャーの若者とか、大マハマトラのこと?」
 画家の男は過去に目撃したことを思い出しつつそう言った。
「教令官の男性?」
 カーヴェはしばし考え込んでいたが、数秒のちに合点がいったようで、「アルハイゼンのことかな。君が言っているのが、グレーの髪色で背の高い、体格のいい男性ならば、きっとそうだ」と言った。
「そうそう、その人であっていると思う。君のことをシティ内でたまに見かけることがあるけれども、だいたいいつも誰かと一緒にいるな、とは僕も思っていたんだ」と画家の男はうなずきながら言った。
「僕はありがたいことに、と言われるような関係性の人たちは多いかもしれない」カーヴェはそう言うとグラスを持つ手に力を込めた。認識に関して訂正しなければならないことがある。「でも、アルハイゼン――おそらく、君が目撃したという教令官の男性に関しては、友人とはちょっと違うような気がするから訂正させてもらいたいな。後輩? ルームメイト? そのような単語の方が相応しい関係性だ」
「なるほどね」作曲家の男はカーヴェがした訂正から全て納得したようであった。「僕が学生時代、まだフォンテーヌにいた頃の話だ。僕には成績を競いあったりしていた、いわゆるライバルとかいうような関係にあった奴がいたんだが、そいつとは反りが全くといっていいほど合わなくてな。今でも会うとつい強い口調で議論を始めてしまうような関係の奴なんだが、君たちもそんな感じだろう? つまり僕が言いたいのは――」
「腐れ縁」と画家の男が割り込んで言った。
「そうだ、それだ」作曲家の男は、すっきりしたといったような雰囲気をかもし出しつつうなずいた。
「僕とあいつが?」
 カーヴェは二人の言う事に対し、しばし考え込んだ。たしかに、ただの後輩や、ただのルームメイトより、の方が二人の関係性を表す単語として相応しい単語であるかもしれない。厳密に言うと少し違うような気がするが、知論派ではなく妙論派で学問を修めたカーヴェには、よりしっくりくる単語を見出すことができなかった。
「おそらく、そんな感じだ」とカーヴェは考えた末に出た結果を述べた。
 カーヴェがそう言った後、話は作曲家の男が現在構想を練っている段階の曲に移った。もしかしたら自分がスメールで作る最後の音楽になるかもしれないと作曲家の男は言い、使いたい楽器について熱弁し出した。
 作曲家の男の話を聞きつつカーヴェはグラスを左右に傾けて、氷がグラスにぶつかりカランと音をたてる様をなんとなく見つめた。その音は、カーヴェと共にテーブルを囲んでいる二人にしか聞こえないほどのごく小さなものだった。氷が奏でたその音は、酒場の喧騒に吸収されるかのようにすぐに消え去ってしまう。ある程度その様子を眺めた後、カーヴェはグラスの中に入った酒を少しだけ口にいれる。それを一セットとして、そのセットを彼は何回か繰り返した。
 五回ほど繰り返すとカーヴェが追加で頼んだ酒も飲みきってしまい、グラスの中には氷だけが酒場の控えめな照明の光を受けながら存在している状態になった。都合のいいことに、ほとんど時を同じくして作曲家の男の話にも区切りがつく。
「ちょうど皆のグラスも空になったようだし、今日はもうおひらきにする?」と画家の男がカーヴェのグラスを見やりつつ言った。
「僕はそれで問題ないよ」とカーヴェはうなずく。
「そうだな」音楽家の男はそう言うと近くを通った店員にアイコンタクトを取り、店員を呼んだ。「会計を」
「そういえば」店員が伝票を持って戻ってくるまでを待ちつつ、思い出したように画家の男はカーヴェの方を見て言った。「この前、僕の絵を見たいって言っていなかったっけ?」
「たしか、先日飲んだときにそういった話をしたような気がするな」
 カーヴェはおぼろげな記憶を手繰たぐり寄せつつ言った。記憶が曖昧であるのは、決して飲みすぎたせいではない。単純に覚えていなかっただけだ。
「その『見たい』って気持ちがまだあるのならば、僕の絵を見においでよ。ちょうど最近、家を片付けていてね。君は案件がなくなったせいで直近の仕事がないんだろう? 良い機会なんじゃないかと思って」
「たしかに、こういった機会こそうまく利用しないとな。是非、見に行かせてほしい。こういうことはすぐ行動に移すべきともいうし、直近で行っても良い日はあるかい」
「いつでもいいよ。なんなら明日でも僕は大丈夫だ」
「ならば明日で。特に予定は入っていないんだ」
 カーヴェは画家の男に向けて言った。目線を反対方向にやり、視界に作曲家の男を入れ、彼のことも誘う。「君はどうする?」
 作曲家の男は店員が戻ってくるのを待ちつつ、目の前で予定を詰めている友人二人をぼんやりと眺めていたが、カーヴェの誘いが自分に対して言っているものであることに少し間を空けてから気がつくと、慌てて返答した。
「僕は遠慮しておくよ。明日は仕事の予定が入っているんだ」
「仕事があるのは羨ましい。まさか、仕事がすごく難易度の高いものだったり、多すぎたりすること以外で悩むことになるとは思わなかったよ」カーヴェは肩を落としつつ、またもや皮肉めいた調子で言った。
「明日ね」画家の男は懐から取り出したメモ用紙にペンで素早くなにかを書きつけると、カーヴェに手渡した。「これが僕の家の住所だ」
「了解。たぶん午前中のうちに行くと思う」カーヴェは手渡された紙を受けとりつつ言った。
 店員が伝票を持ってやってくる。カーヴェはそれを受けとると頭の中で素早く三分割した。彼は暗算が得意だった。仕事でよく計算する場面があるからだ。
 テーブルにカーヴェが計算したとおりのモラを三人ともが出すと、作曲家の男が金額を確認してからまとめて店員に渡す。店員がモラを受けとりおつりを返すと、皆は立ち上がって店を出た。
 店の前で少々話し込んだ後、彼らは各々自分の家の方向へ向かって歩き出した。友人たちと話したおかげか、カーヴェの仕事に対する憂鬱ゆううつな気持ちはある程度晴れていた。けれども完全には晴れていない。原因は明確で、先日美術館前の広場で見た光景のせいだ。
 美術館。積み上げられた美術品たち。立ち上がる炎。それを一種のエンターテインメントであるかのように眺める民衆たち。誰も止める者はいない。
 少し歩いたところでカーヴェは立ち止まった。友人たちは自宅に向かって歩き続けているため、だんだんと距離が空いていく。
 彼らは美術品を教令院――つまり、スメールという国が先導して燃やしたことを知っているのだろうか。もし知らないのならば、彼らは今まで以上に警戒しなければならない立ち位置にいるのだから言うべきだ。
 まださほど声を張り上げなくても声の届く距離に二人ともいたため、カーヴェは口を開こうとした。しかし間の悪いことに、作曲家の男は店が立ち並ぶ区間へ入ったために店の調度品の陰に隠れてしまうことで、画家の男は道の角度の問題で――スメールシティは聖樹に作られた影響で街全体に高低差がかなりあるため、坂が多いのだ――カーヴェの今いる位置からちょうど見えなくなってしまう。開きかけた口をカーヴェはつぐんだ。そのままなにも伝えることができずに、二人との距離は声が届かないような位置まで空いてしまう。カーヴェは深くため息をついた。仕方なく、カーヴェもアルハイゼンとルームシェアをしている家に向かって歩き出す。
 帰宅までの道中、カーヴェはあのとき見た美術品につけられた炎が広がっていく光景を思い出す。ここ最近はいつもこうで、ふとした瞬間にあの光景が浮かびあがってくるのだ。こんな気分が滅入ってしまうようなことを考えるべきではないと十分わかってはいたが、一旦思い出すと彼の頭の中にこびりついたかのように赤い炎の燃え広がる様子が離れない。
 結局、家の前についてポケットから鍵を取り出すまで、カーヴェは違うことを考えることができなかった。そのためか店を出たときに思った、憂鬱な気持ちが晴れるような感触はいつの間にかすっかり消え去っていた。

 画家から教えてもらった家の住所というのは、スメールシティの中心から外れた郊外であった。
 宣言どおり午前中のうちに画家の家があるという住所へ向かったカーヴェは、そこに建っていたこぢんまりとした大きさの、スメールでは一般的な造りの借家を観察した。玄関先にはよく手入れされたスメールローズの鉢植えが置かれていて、家の周りは適度に掃除されている。人の手がていねいに入っていることがわかる、とても感じの良い家だというのが目の前の家に対して感じたカーヴェの第一印象であった。
 カーヴェは家の玄関扉まで近づいていくと、控えめに二回扉をノックをし名前を告げた。ほどなくして画家の男が扉から顔を出した。
「よく来たね。どうぞ入って」
 画家の男に招かれ部屋の中に入ると、スメールでは他になかなか見ることはできないだろう空間が広がっていた。イメージのしやすい言葉でいうと、芸術家のアトリエと聞いて皆が一番に想像するようなものだ。
 テーブルの上には顔料となる鉱石や植物、乾燥した細かいなにかが入ったすり鉢が置かれている。おそらく、その細かいなにかの正体はテイワットで顔料として広く使用されている虫だろう。カーヴェは絵画の鑑賞が趣味だったのもあって、絵画を描くのに使う道具に関して多少の知識があったのだ。
 他には画家の男の描いたのであろう作品が壁の方にいくつもあった。多くは床の上に壁へ立てかけるようにして置かれていたが、特に描くのに時間がかかったであろう、大き目で額装が施された作品のいくつかは壁に飾られていた。
 壁に飾られた作品のうち、ひときわカーヴェの目をひいたのは部屋に入って真正面の壁にある、踊り子が舞台上で舞を披露している様子を描いた絵であった。実物と同じ縮尺で描いたのだろうかというくらい大きな作品で、それもあいまってかまるで踊り子の舞台を実際に観ているかのような錯覚がする。
「この絵が気になるかい?」
 画家の男は椅子を二脚引っ張ってきながら、一枚の絵へくぎ付けになっているカーヴェを見て言った。
「ありがとう」椅子を用意しようとしてくれているのを見て、カーヴェは礼を言った。そして再び踊り子の舞が描かれた絵の方に視線をやると、興奮した調子で続けた。「もちろんだ。ああ、なんて素晴らしい絵なんだろう。よく七神や魔神戦争を題材にして描かれたものはあるけれども、市井の人を題材に描かれたものでここまで神々こうごうしさのようなものを感じるのはなかなかないよ。とても美しい」
「そこまで褒められると、ちょっと照れるな――良かったら座って」と画家の男は椅子の片方を勧めた。
 カーヴェはうなずくと椅子に座り、画家の男の方を向いた。彼とは知り合ってから何年か経つし職業が画家であることもずいぶん前から知っていたが、作品を見るのは今回が初めてであった。正直、カーヴェはとても驚いていた。スメールにおいて、芸術ははっきりいって歓迎されていない。ここ最近でより芸術に対する抑圧は強くなっているが、そういった風潮は今になって始まったわけではなくずっと前から存在していた。だからこそ、そんな劣悪な環境にも関わらず、ここまで素晴らしい絵描きがいたなんてことに驚いているのだ。
 画家の男はカーヴェが椅子に座ったのを見ると、引っ張ってきたうちのもう片方の椅子に座り目の前の壁に飾られた絵を見上げた。画家の男の行動へつられるようにして、カーヴェも再び絵画を見る。二人で並んで椅子に座り大きな絵画を見上げるという、第三者が見たらとても不思議に思うだろう光景がそこには生まれていた。
「この踊り子のモデルはいるのか?」カーヴェは画家の男に尋ねた。「これだけ素晴らしい絵を見せられてしまうと気になってくるだろう。これが現実にあるものを元に描かれたのならば、この踊りも絵のように素晴らしいものであるに違いないからね」
「知らないのかい?」画家の男は驚いた様子で言った。「カーヴェならてっきり知っているかと思っていたよ。これはズバイルシアターの踊り子であるニィロウさんの舞を描いたんだ」
「ニィロウさん?」カーヴェはそう言うと、考え込むようにして黙った。そしてしばらく経った後、なにかを思い出したように話し出す。「ああ、あのズバイルシアターの一員なのか。ズバイルシアターは知っているよ。学生の頃に何回か公演を観に行ったことがある。最近は仕事が忙しくて足が遠のいていたが……今はこのような素晴らしい踊りも観られるのだね」
「仕事がなくて時間に余裕があるのならば、行ってみるのがいいんじゃないか」画家の男は自分のした提案が素晴らしいものだと思ったのか、ひとり納得した様子で言葉を続けた。「うん、それがいいよ。僕はズバイルシアターの団長さんに顔がくんだ。なんだったら君の分のチケットを用意してあげようか」
「君の手をわずらわせる必要はないさ。チケットくらい自分で取れる」カーヴェは画家の男の申し出を断った。「それに、あまり不必要にいわゆる芸術に関わるような仕事をしている人たちの間で連絡を取るべきではないような気がしているしね」
「何故? 昨日、あいつと君の三人で会って酒場で飲んだが、それは問題ないのか」
 画家の男は怪訝けげんな顔をして尋ねた。もっともな感想だ。彼はあるひとつの美術館に所蔵されていた美術品が全て焼やされた件を知らないのだろう。昨日のように画家、作曲家、建築デザイナーの三人が集まることも本当は良くなかったかもしれない。しかし、あの美術品が燃やされる現場を目の当たりにする前から昨日の集まりは計画されていたし、加えて今後集まることができる機会はないかもしれないとカーヴェはどこか漠然ばくぜんと思っていた。だから、カーヴェは画家の男と作曲家の男に対して、辞めにしようなんて言い出すことはできなかったのだ。
「僕は君に謝らなくてはならない」
 カーヴェは少し間を置いた後、決心した面持ちで切り出した。きっと画家の男が心を痛めるであろう事柄まで含めた、全ての事実を正直に話すことに決めたのだ。
「君たちがこのことを知ることでショックをどれだけ受けるだろう、と考え出したら言い出すことができなかったんだ。昨日のように僕らが集まることのできる機会はもうないのかもしれない。君は知っているかい? スメール内で三本の指に入る規模の、とある美術館の所蔵物が教令院によって全て燃やされたということを」


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