依頼人である商人から仕事の内容の話を聞きながら、カーヴェは「今日の仕事もすんなり早く終わりそうだ」と思った。
本日のカーヴェの仕事現場はグランドバザールであった。グランドバザールで店を開く商人から、商売で使う
スメールでは高級家具や家の建築に用いられるような質のいい木材を採取できる地域が限られているため――なにしろ、国土の半分以上は砂漠地帯なのだ――老朽化で不具合が出てきた場合も新しく買いなおしたり、一から作り直したりするのではなく、修理で対応する場合が多かった。そういったこともあり様々なもの、例えば家やそれだけに限らず、家具やギミックにより動いている機械などの修理は今までも仕事で引き受けることは度々あった。
しかし、ここ最近はそういった
カーヴェにとって刺激に欠ける内容の仕事であろうとも、お金を稼ぐ手段は必要であるので仕方がないという事情もあった。もはや彼には仕事をえり好みするような余裕などなかった。それに、今回の仕事はカーヴェの昔の伝手から紹介してもらったものだ。彼らも仕事が少なくなっている中、「カーヴェさんには昔お世話になったので」という理由だけで優先してカーヴェに依頼を回してくれた。むしろ感謝しなければならない。
そんな状況下にあったカーヴェではあるが、ひとつひとつが小規模な依頼であるからこそ、依頼を取ってこれさえすれば数をこなすことができたのもあって、なんとか来月分の返済のためのモラも用意できそうであった。これで返済が遅れることもないだろう。つまり、圧倒的にカーヴェにとって不利な要求をドリーからされることもないということだ。カーヴェはそのことにひとまず安心していた。
仕事の内容を聞き終えたカーヴェはさっそく作業を開始した。商人たちの商売の邪魔にならないよう、グランドバザール内の
「メラック、明かりをよこしてくれ」カーヴェは隣にいた彼の助手である自立制御する工具箱に対して言った。
工具箱のメラックは軽快な機械音で返事をすると、ボディから光を出して主人の命令通りの場所を照らし出した。
「いいぞ、メラック。さすが僕の作った工具箱だ」
カーヴェは満足そうな調子でそう言うと、作業を続けた。
それからは他事を考えず、作業に集中した。次に目の前の作業以外のことに意識が向かったのは修理作業も終盤にさしかかった頃で、なにやら言い争うような声が聞こえてきたからであった。
「先週まではこの内容で問題なかったはずです」
人通りの多いグランドバザール内であからさまな怒声をあげるのは良くないと思っているのか、怒りをどうにか抑えようとしているような調子の声だ。カーヴェがいる位置でもはっきりと内容が聞き取れるので、声量はかなり大きいものになっている。カーヴェは気になり、声のする方を振り返った。
言い争いはグランドバザールにある、ズバイルシアターという劇団の舞台の方で起きていた。ズバイルシアターの団員らしき男性と、おそらく服装からいって教令院に所属する教令官である男性が言い争っているようだ。周辺にいた人々も既に彼らが言い争っていることには気づいているようで、仕事や買い物をする手を止めずに視線をそちらの方にやって、遠巻きに彼らの成り行きを見守っていた。
「しかし、再審査の結果、学術的要素の欠乏により公演の許可を与えることはできないということになりました」教令官の男性はズバイルシアターの団員に対して、きっぱりとした口調で言った。「これは賢者や大賢者を交えた会議で決まったことです。個人的にはあなたと長年関わりもありますし、急な決定で
団員はなにも言い返さない。なにを言えばいいか、返答に考えあぐねているようだ。周囲にいた他のズバイルシアターの団員たちは不安そうな顔を浮かべながら彼らのことを見守っている。
「この件に対する解決方法はあります。脚本の内容を修正して再度会議で検討し、問題なければ公演の許可を与えることができます」
教令官の男性はなにも言ってこない相手に対し、代替案を提案した。なおも団員は黙りこんだままだ。
「公演の許可がおりない理由は学術的要素が見受けられないことなので、より深くなにかを学習できるような内容に書き換えてしまえばいいのです。ではそういうことでお願いしますよ」
そう言い残すと教令官の男性は去っていった。立ち去る際、道すがらに先ほどまで言い争っていた人物とは別の、近くにいたズバイルシアターの団員に一言声をかけると、手に持っていた紙を渡した。
「シェイクズバイルさん」教令官から紙を渡された団員はうなだれている男の方へ近づくと、おずおずと声をかけた。「我々はいったいどうすればいいんでしょうか?」
「どうするもこうするも、どうすることもできないさ」シェイクズバイルと呼ばれた男はようやく口を開いた。「今までの脚本だって相当勉強して、エンターテイメントでありつつも教令院から文句を言われないような基準になるよう、何度も時間をかけて練り直したものだったんだ。あの教令官は修正すればいい、と簡単に言うが、そうすぐにできないのは明白だ。結局のところ、教令院のものたちは俺たちに公演を行う許可を与えたくないのさ」
「しかし」
「だったら君がなんとかできるのかね?」シェイクズバイルはなにかを言おうとしている団員が口を開く前に反論した。団員が言おうとしていることを最後まで聞かずともシェイクズバイルにはわかっているらしかった。「できないだろう。脚本を練り直している最中、公演は行えないわけだがここの維持費はどうするのだ? 団員たちのほとんどが他の仕事もかけもちしているから、日々の生活には一応困ることはないにしても、シアターの舞台や劇で使う道具や衣装の保管場所の維持費まではどうすることもできないんだ」
そう言い切ると、再び肩を落として深く悲しみのこもったため息をついた。シェイクズバイルになにかを言おうとしていた団員も、彼の言うことはもっともだと思ったらしく、同じく肩を落としている。
シェイクズバイルと教令官が起こした騒ぎの最中にグランドバザールへ居合わせた人々は、既に自分たちの仕事や買い物に戻っていて、もうほとんど誰も彼らの様子を見ているものはいなかった。しかしカーヴェは違った。彼はシェイクズバイルたちに声をかけるべきかどうかを考えながら二人のことを眺めていた。
「メラック、ここにあるものが誰かに持っていかれないよう見張っていてくれ」
カーヴェはようやく決心がついたようで、工具箱にそう命令するとシェイクズバイルがいる方へ歩いていった。よく考えれば考えるほど、余計なことに首を突っ込むべきではないということはわかりきっていたが、カーヴェの性格上、どうしても彼らを見捨てることができなかった。
「すみません」
おそるおそるカーヴェが声をかけると、シェイクズバイルと団員は同時にカーヴェの方を振り向いた。
「なにか用かね?」シェイクズバイルがいぶかし気な様子で尋ねた。
「いや、先ほどの話を聞いてしまって」とカーヴェが話し始めるが、シェイクズバイルたちはなおもカーヴェのことを不審がる様子を崩さない。慌ててカーヴェは言葉を選びつつ、続きを話し出した。「えっと、あの教令官がより学術的要素をより加えるよう修正すれば、公演の許可が下りるかもしれないと言っていただろう。それなら僕になにか手伝えることがないかと思って。僕はこう見えて、教令院の卒業生なんだ」
「卒業生?」そう言いながら、シェイクズバイルと団員は顔を見合わせた。
「そう、そうなんだ。一応そこそこ良い成績を修めた状態で卒業している」カーヴェは謙遜しつつそう言った。客観的に見て、彼の成績はどの科目も上から数えた方が早い。「あー、僕の専攻は妙論派で、他の学派の内容に関してはそこまで詳しくないから役に立つかどうかはわからないけれども。それでも、少しでも力になれればと思ったんだ」
「そういうことだったか」シェイクズバイルはこほんと咳払いをしてから話し出した。
「先ほどはお見苦しいところをお見せした。申し遅れたが、俺はズバイルシアターでマネージャーをやっている、シェイクズバイルだ。彼は団員のクーロシ」と隣にいる団員のことを紹介した。クーロシと呼ばれた男性はよろしくとでもいうように軽く手をあげる。
「協力の申し出、感謝する。しかし、たしかに我々に知識がないのも問題ではあるが、はたしてあなたの知識を借りたところで解決する問題なのだろうか? 教令院が求めるレベルの学びになるような要素を入れてしまったら今度は学者以外には全くなにも面白味がわからない、つまらない劇になってしまうのではないかと思ってね」
「僕は教令院出身ではあるけれども、教令院の連中と様々な物事――例えば、経費の申請理由などでもめることがよくあるんだ。だから、彼らを説得する方法については熟知している。それに、以前フォンテーヌに一週間ほど滞在したことがあってね」
カーヴェはそう言いながら過去のことを振り返った。もう何年も前の話だ。再婚する母の結婚式の出席のためフォンテーヌへ行った際に、せっかくだからと少々長く滞在したのだ。
「その際にたくさんの劇を観たんだ。劇を理解するために関連書籍を取り寄せて勉強もした。わかるかい? 劇をより深く理解するためにはある程度の知識をつける必要があるんだ。それって学術的要素と言えないかい?」
「少し待ってくれ。君の言っていることへの理解が追いつかなくて」
そう言うと、シェイクズバイルたちはカーヴェが言っていることを理解しようと考え込み出した。カーヴェは考え込む二人を見てわかりにくかったかと思い、より簡潔な言葉で説明した。
「要するに、学術的要素をたくさん入れたとして、エンターテイメントとしての面白さを保つことは充分可能だと思うんだ」
「なるほど、あなたの言うことはなんとなくわかった。俺だって教令院の言いなりになるのは本音を言うと嫌なのだ」シェイクズバイルは今までとは打って変わって、希望に満ちあふれたようなやる気たっぷりの様子で言った。「もしまだ、教令院に立ち向かう方法があるのならばやってみようではないか。あなたには是非とも我々の劇団のアドバイザーとして協力してもらいたい」
「喜んで」言いながらカーヴェは目の前の二人に手を差し出した。そのまま握手をする。それだけでシェイクズバイルたちズバイルシアターの者たちとは、もうずっと前から仲間であるという気がしてくる。
シェイクズバイルは握手をした後、すぐさま付近にいた団員を招集した。さっそくカーヴェのことを紹介する。
「みんな聞いてくれ。俺たちが教令院へ対抗するために、教令院の卒業生である
「カーヴェです」
そういえば名前を聞いていなかったな、という様子でカーヴェの方を見たシェイクズバイルに助け舟を出すようにして、カーヴェは自己紹介をした。その場に拍手が起こる。
「カーヴェさんは我々の劇が教令院の審査を通過するための手助けをしてくれる予定だ。いきなり、今までの劇の内容が公演を許可するのに値しないと言われたことについて、正直にいうと納得がいっていないが、なんとかこの劇団を存続させるために皆で頑張ろうではないか」
シェイクズバイルの宣言に対し、劇団員たちは皆一様にうんうんと強くうなずいた。皆、公演を行いたいのだ。
スメールの昨今の事情を考えたら、ズバイルシアターの者たちがやっているような芸術活動は止めるべきなのかもしれなかったが、そんなことはできなかった。なにしろ、カーヴェ自身は芸術が決して学者にとって意味のないものだとは思っていない。画家の男にはああは言ったが、結局のところ本人たちに教令院へ逆らう覚悟があるのならばとことん逆らうべきなのだ。
教令院へ立ち向かおうというズバイルシアターの面々の様子を見ていると、カーヴェもやる気がより出てくる。彼の中では既に目標が一つできていた。芸術が生きていくうえで重要なもののひとつであることを教令院にわかってもらおう、というものだ。
そこまで考えたところで、カーヴェは作業の片づけもせずメラックに道具を見張らせていることを思い出した。シェイクズバイルに明日またここへ来ることだけを伝えると、慌てて作業場の方へ戻っていく。メラックは簡単な命令なら理解できるように設計しているが、もしイレギュラーなことが起きてしまった場合はどのような行動をとるのかわからない。だから、長く見張りを任せることはできなかった。
「僕がいない間になにも起きなかったか」
作業場に戻ったカーヴェはメラックに対して尋ねた。ざっと見たところ、ここを離れたときと変わった様子はない。
「ピッポ」
主人に対し、いつも通りの軽快な電子音でメラックは返事をした。それは、何事もなかったということを伝えるものであった。