Peoneyboy

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芸術家たちの楽園

7

 脚本の修正の方向性が決まったことにより、そこから新たなアイデアが生まれ、またさらに生まれたアイデアから新たな案が出てきたりと、話はどんどん盛りあがりをみせていた。三人の間に解散の兆しが見えたのは夜もだいぶ深まってからで、昼間に店を開いていた商人たちは既に店じまいをした後であった。
「気づいたらこんな時間だ。ニィロウ、君は明日仕事があると言っていただろう? もう帰って休んだ方がいい」とシェイクズバイルはマネージャーとして、団員を心配するような調子で言った。
「うん。ズバイルさん、お疲れ様」ニィロウはうなずくと、帰り支度を始めた。
「シェイクズバイルさんはまだ帰らないのか?」
 カーヴェはニィロウがすみの方で荷物をまとめているのを横目に見つつ、少々心配して尋ねた。カーヴェの荷物は全てメラックの中にまとめて入れてあるので帰り支度をする必要はないが、シェイクズバイルはそうでないだろう。日中は賑やかなグランドバザールも、もうすっかり人通りはなく辺りにこの三人以外の人影は見当たらない。辺りがそんな状況だから、シェイクズバイルは帰宅しないのかとカーヴェは少々気になったのだった。
「俺も、もう少しきりのいいところまでまとめたら家に帰るよ。明日はシアターの団員が集まる日ではないが、夜更かししすぎるのはよくないからね。できれば、ニィロウのことを彼女の家の近くまで送ってやってくれないか」
「ああ、問題ないよ。彼女のことを送って行く」
 スメールシティは比較的、様々な都市から人の集まる璃月港などよりは治安の良い場所ではあったが、だからといって全く犯罪がないかというと、そんなことはない。だからシェイクズバイルが心配するのもうなずける話であった。
 荷物をまとめ終わったニィロウが戻ってくるとシェイクズバイルに挨拶をし、グランドバザールから出て二人は夜のスメールシティを並んで歩き始めた。
「あなたはズバイルシアターで踊る以外の仕事をしているのか? シェイクズバイルさんの言っていたことによると、明日はシアターに団員が集まる日ではないみたいだから」
 歩き始めて一分くらい経ったあたりでカーヴェは尋ねた。無言で歩くというのはどことなく気まずく感じ、あたりさわりのない話題をふることで二人の間に会話を生み出したかったのだ。
「そうだよ。でも、これは私だけじゃない。ズバイルシアターの団員のほとんどは他の仕事とかけもちをしているんだ。他に仕事をしていないのは、クーロシぐらいかな」
「そうなのか」
 ニィロウの話を聞いて、カーヴェは自身にズバイルシアターのパトロンになるほどの財力がないことを嘆いた。もし彼が、それこそドリーのようにお金持ちだったら、彼女たちが別の仕事をせずとも演劇一本だけで生活できるよう資金援助をしたに違いない。ズバイルシアターは、そのくらい素晴らしい劇団だとカーヴェは思っていた。
「でも、私は今の生活は嫌いじゃない」ニィロウは空を見上げながら言った。今日は雲ひとつない晴れで、一段と星の奇麗な夜であった。「不満を言ったところでどうにかなるわけでもないし。それよりも現状をどう楽しむかの方がずっと大事だと思うから」
 彼女はすごく芯のある人なのだろう、とニィロウとは出会って間もなかったが、カーヴェはそのことを強く確信した。ふと目線を下にやると、水の神の目がニィロウの腰のあたりに下がっているのが確認できる。カーヴェはニィロウが神の目の保有者であることにちょうど今気がついたが、不思議と驚きは感じなかった。当たり前のことだと彼は思った。これほどまでに心の強い人ならば、神の視線もおりるであろう。
「あなたは強い人なのだな。神の眼差しを受けているのもうなずける」とカーヴェは彼女の神の目を見つつ言った。
「ああ、これのこと?」ニィロウは自身の神の目に人差し指と中指で触れながら言った。「これはお守りみたいなものだよ。冒険者とか傭兵とか、戦うことが仕事ならば重要なものかもしれないけれど、ただの踊り子である私とってはそこまで重要なものではない。まあ、ないよりはあった方がいいかな、という程度のものね。カーヴェさんはどうなの?」
 今度はニィロウの方がカーヴェの腰に下がっている神の目を見つつ、尋ねた。
 まさか逆に尋ねられるとは、とカーヴェは思った。そしてすぐに、頭の中であたりさわりのない筋書きを考えた。なにしろ本当のことを一から全て伝えると、カーヴェが大っぴらにしていない諸々のこと――例えば借金のことなども話す必要が出てくる。それはなんとしても避けたかった。
「ニィロウさんはアルカサルザライパレスを知っているかい?」カーヴェはわずか数秒で筋書きをまとめあげきると、そう切り出した。
「うん、知っている。なんとかという商人の邸宅でしょ? 最近、教令院に没収されてしまったらしいけれども」
「あれは僕が設計したものなんだ」過去を思い返している様子に見えるように、カーヴェは遠くの方に視線をやった。「そして僕の神の目は、アルカサルザライパレスが完成したときに目の前に突然現れたんだ。だからこれはその――記念品みたいなものかな」
「カーヴェさんが神の眼差しを受けたのはうなずける」ニィロウは先ほどカーヴェが彼女に対して言ったのと同じことを冗談めかしつつ言った。「だってあの宮殿は私も見たことがあるけれども、言葉で表せないくらい素晴らしいものだったんだもの。神様だって見たくなるのは当然のことだよ」
 ニィロウがほめるのを聞いて、カーヴェは少々複雑な気分になった。当時あったことの全てを、カーヴェは話していないのだ。カーヴェがニィロウに言ったのは彼の元に残ったものについてだけで、彼はアルカサルザライパレスのために多くのものを――それこそニィロウが知れば、どう反応すればいいか困らせてしまうほどには――失っていた。
 カーヴェが持ちうる財産全てを売却し文字通り彼が全てを失った日、神の目は現れたのだった。建築デザイナーとしてのプライドがあるカーヴェには、そのようなことを誰にも言えるはずがなかった。
 アルハイゼンにはカーヴェが破産したときの経緯を話しているため不本意ながら知られてしまっているが、それは例外中の例外であった。カーヴェに多くいる友人の中にも、アルハイゼンほどカーヴェが借金を抱えることになった経緯を知る者はいない。というのもアルハイゼンと久しぶりに再会した時期が、ちょうどカーヴェが借金を背負い人生のどん底にいるときでそのこともあって話さざるを得なかったのだ。
「ありがとう。結局のところ、僕もニィロウさんと同じで冒険者や傭兵ではないから、すごく役に立つという場面はたしかにないね。強いて言えば遺跡に入るとき、護身として役に立つくらいだ」
 そうやって二人はあたりさわりのない会話をしつつ歩いていたが、ある建物の前でニィロウは歩みを止めた。
「ここまでで大丈夫。私の家の前についたから」とニィロウは言った。
 カーヴェは目の前に建つ一軒家を見上げた。若い女性が一人で住むには少々大きめの家で、子供がいる家族でも住めそうなくらいだ。おそらく、アルハイゼンとカーヴェが現在住んでいる住居ほどの大きさがあるだろう。一般的にこれほどの広さでこの立地(スメールシティ内で一番便利なエリアにほど近い場所だった)ならば賃料はそこそこ高めの値段になるはずで、親から譲り受けたか、もしくは家族ないし友人と一緒に住んでいるのかもしれないとカーヴェは予測した。
「うんわかった。誰かと一緒に住んでいるのかな? もう夜も遅いし、あなたの家の前で話すのはあなたの同居人にも騒音となって迷惑がかかるかもしれないから、このまますぐにお暇するよ。ではまた」とカーヴェは声が大きくなりすぎないように用心しながら言った。
「そこまで神経質に気にしなくても問題ないよ。今、この家に住んでいるのは私だけだから」
 ニィロウはカーヴェの気遣いに対して少し申し訳なさそうにしながら言った。『今』ということはなにか事情があって、一緒に住んでいた人が家を出て行ったのだろうか。カーヴェはそう考え、あまり詮索しない方が良いだろう、と思ってうなずくだけにとどめた。
 しかし、それは余計な気遣いであったようだ。ニィロウはカーヴェがうなずくのを見ると、付近に人がいないことを確認するためか辺りを充分見渡すと、なにかを決心したような面持ちで話し出した。
「まわりに人がいなさそうだから話すけれども――私はつい先日まで画家志望の友人とルームシェアをしていたんだ。この家でね。それで、彼女にはあるパトロンがいたのだけれども、ある日突然、教令院からきた人にそのパトロンが連行されたんだ」
「教令院に? なにか違反でもしていたのか」
 カーヴェは驚きつつ言った。この驚きというのは、『まさか教令院が』といったたぐいのものではなく、『芸術を禁止する圧力というのは思った以上に強いものへなっている』のではないかというものだ。
「ルームメイトだった彼女いわく、パトロンだった人は違反をしていないだろうって。パトロンは事業に成功して得たお金で何人かの芸術家を支援していたみたいだけど、その事業はすごくまっとうなものだったし、教令院に提出すべき書類は全て知論派出身の学者に頼んで不備のないように作成してもらっていたから、脱税していたとかも考えにくい」
 そう言いながら、ニィロウはスメールシティの遠くに見える丘の方を見やった。今日はとてもよく晴れた日であったから、いつもより遠くの景色までしっかり見渡すことができるだろう。
「それで、彼女はパトロンが教令院に連行されたことをきっかけにして家を出て行ったんだ。なんでもスメールシティを離れて、スメールの辺境の方に行くつもりだとか」
「なるほど。僕は職業柄、芸術家といえるような職業の友人が多くいるが、彼らも最近の教令院の様子に不安を感じてはいそうだった。他国へ行こうか考えている者だっている。僕も――」カーヴェはそう言いつつ、あの燃やされた美術品たちのことを思い返した。
 美しい品々が乱雑に扱われる。まるでゴミを扱うかのように。そして最後には火をつけられ燃やされる。価値のないものとして。
 彼はニィロウの方を向き直ると、続けた。
「僕も、教令院が芸術を禁止しようとする意思をひしひしと感じている。以前から教令院には芸術を軽視する風潮はあったけれども、ここ最近は軽視どころでない気がしているよ。それこそ『禁止』、芸術というものをことごとく排除したいと考えているように思える」
「そうなのね」ニィロウは寂しそうな表情で言った。「ルームメイトだった友人はスメールシティを離れるとき、シティに残って踊り子を続ける私のことをすごく心配していた。近いうちにここを離れることを考えた方がいいと言っていたけれども、たしかにそういった風潮があるのならばそうアドバイスしたくなるのはわかるかもしれない」
 ニィロウは頭ではシティを離れた方がよいと思っているようだが、そうしたくない理由があるようだ、とカーヴェは漠然と思った。これは芸術を好む者としての勘だ。
「でも、そうしたくない理由があるんだろう? 僕の友人たちの中にもスメールを離れようとする者がいる一方で、離れることを拒む者だっている」
「私だけじゃないんだね」ニィロウは先ほどまでとは打って変わって安心したような様子で言った。「私は今いる観客――グランドバザールで店を構える商人や、そこへ来る常連さんのために踊っているの。彼ら、彼女らが持つ悩みや不安、心配事をは無理かもしれないけれどもできるだけ多くのことを解消できるようにと思いながらね。だから、私の踊りをいつも観に来てくれている人たちが不安をより抱えているかもしれない今、私がグランドバザールで踊ることを辞めるわけにはいかないの」
「それがあなたにとっての踊る意味なのか」とカーヴェは言った。
 ニィロウはとても美しすぎる心を持っている。カーヴェは彼女のことをまぶしいと感じた。
「僕になにか手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれ」
 気づけば自然と、カーヴェはそのような言葉を口にしていた。そのくらい、助けになりたいと思ったのだ。
「ありがとう。特に助けがいるようなことはないから大丈夫だと思うけれども――うーん、カーヴェさんって建築家、なんだよね?」ニィロウは遠慮がちに尋ねた。
「ああ、そうだね」
「あのね、だったら良い物件を知っていたりしないかな? その、こういうのって建築家の仕事の範疇はんちゅうには入らないのなら、断ってもらいたいのだけど。今住んでいる家は私一人で暮らすには大きすぎるし、家賃も継続して払っていくには高すぎるの。だから違う家に引っ越したいなと考えているのだけど、仕事や舞台の準備をしながらだと引っ越し先を探すことまで手が回らなくて」
「そういうことならばお安い御用さ」カーヴェは二つ返事で引き受けた。「不動産は商人を介して取引することもあれば、建築を担当した者と直接取引することもある。だから、僕も多少は不動産の情報については知っているし、商人の依頼を引き受けることも多いから、不動産を売りに出したり貸し出している商人の知り合いも多いんだ。彼らにかけあってみるよ」
「ありがとう、カーヴェさん」
 ニィロウは喜びを顔に浮かべながら言った。それは絵画として残したくなるほど美しい笑みであった。


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