Peoneyboy

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芸術家たちの楽園

8

 ドリーからの返事に指定してあった時間ちょうどのこと、アルハイゼンはアルカサルザライパレスの代わりとして教令院から寄与された新たなサングマハベイ邸にて、ドリーと向き合って座っていた。
 ドリーの新しい邸宅は以前のものと比べるとずいぶん質素なものであった。内装外装共に、見た目の美しさだけを引き立てるために施すような装飾は一切排除されており、部屋に置かれている家具や調度品にも無駄なものが見受けられない。ここで本当に彼女が生活しているのか疑わしく思えてくるレベルには、カーヴェや他の人々の噂話から聞き及んでいたドリーの印象とは全く異なる場所であるとアルハイゼンは思った。
「それで、ご用はなんですの? 突然あなたからわたくしと取引したい旨が書かれた手紙を受け取ったので少々びっくりしておりますの」
 先に口を開いたのはドリーの方からであった。アルハイゼンはドリーの表情を真正面から確認できる位置に居住まいを正すと話し出した。
「本題に入る前に一つ確認しておきたいのだが、君は以前と変わらず商売をやっているのか?」
「以前?」ドリーは不思議そうな面持ちで尋ねた。
「ああ、アルカサルザライパレスが教令院によって没収される前とされた後のことだ」
「なぜ、そんなことを確認したいんですの?」ドリーはいぶかしげな表情でアルハイゼンのことを眺めた。「理由を聞かないことにはお答えしませんわ」
 答えることを拒んだドリーに対し、アルハイゼンはドリーの考えを読み取ろうと彼女の表情を観察した。しかし会話の間の限られた時間では彼女の考えを予測するための情報はなにも得られない。わかりやすい反応をしがちである学者連中を相手取るより、はるかにやりにくい相手である。さすが大商人、学者たちよりも自身の考えを相手に悟られないすべを心得ているようだ。
「現在、教令院ではとある思想を制限しようと躍起やっきになっている」アルハイゼンはまずそこまで言い、一呼吸おくと強調するようにして続けて言った。「美しいものというのを追い求める行為、またはあるものを美しいと思って鑑賞すること――つまり芸術全般をだ。そして、君が出資している建築デザイナーのカーヴェは教令院が主張している、いわゆる芸術禁止令というべきものに違反しているのではないかと彼らに疑われているのだ。君の家が教令院に没収されたことをきっかけにしてね」
「それで? 私の家の没収がきっかけになったから、私に慰謝料でも請求するおつもりなのですか」
「違う」アルハイゼンはすぐさま答えた。
「ではなにが目的ですの? その件と私の商売の状況の関係性がよくわからないのですわ」ドリーはアルハイゼンの顔を見つつ言った。「私が商売をやっていようがいまいが、もうかっていようがいまいが、どうだっていいことではありませんか」
「君に取り引き材料として彼のことを利用して欲しくないのだ」
 アルハイゼンは感情の読めない平坦な調子で言った。ここは商人との駆け引きの場で、しかも相手は百戦錬磨の大商人だ。発言には充分注意して相手の益となるようなことは慎まねばならない。
「その場合、君が商売をやっているか否かや、売り上げ状況は関係してくるだろう? もし、商売をやっていて売上がかんばしくないのならば、彼を売り渡すなんてことが起こり得るかもしれない」
「なるほど、状況はわかりましたわ。けれども」ドリーはそう言い、片手を顔の位置まで大仰な動作で持ってくると手のひらを上に向けた。「もし『商売を引き続きやっていて赤字』だったとして、そのことを正直に私が言うと思っているんですの?」
「俺は教令院で書記官の職にいている」と挑戦的な態度をとり続けるドリーに対し、アルハイゼンは言った。「そして俺はこの自身の立場を利用することはやぶさかではないと思っている」
「つまり?」
「君が『商売を引き続きやっていて赤字』ならば、手を貸してやっても良いと思っている。書記官の立場を利用し、君自身の益になることを約束しよう。ただし、もちろんこちら側からの要求ものんでもらうが」
「大きな利益を得ようとするならばそれなりのリスクはある。成功したときに得るものが大きければ大きいほど、失敗した場合の損害額も大きくなるのは基本中の基本ですわ。そして成功している商人というのはそういったリスクを理解した上で商売を行っているんですの。私がリスクを理解しさえすれば、多少危険な橋でも渡る性質であることを予測した上でこの話を持ちかけたのでしたら、あなたはなかなかやりますわね。もし、今回のことが教令院に知られて書記官を辞職せざるを得なくなったら商人になることをおすすめしますわ」
 そこまで一息で言ったドリーは椅子から立ち上がるとうなずいた。
「いいでしょう。正直に言いますわ。私の現在の商売の状況は赤字なんですの。あなたからの要求をのむので、手を組みましょう」
「契約成立だな」
 アルハイゼンは表情をそのままにしつつも、声音に嬉しさを若干にじませた。そして、鞄から小さく折りたたんだ用紙を取り出すと広げてドリーの目の前に置いた。
「契約内容に問題がなければ署名をもらいたい」
「用意は完璧なんですのね。すきがあったらつけ入ろうかと思っていましたのに。少々お待ちくださいまし」ドリーはそう言うと、壁際に置いてある机の方へ歩いていった。
 アルハイゼンはカーヴェから聞き及んでいた話から、ドリーという人物は、少しでも隙を見せれば自身の利益になるよう動く印象を受けていた。カーヴェは、ドリーによく足元をすくわれているようであるが――なんだかんだいって人の良い、彼自身の性格も影響しているのであろう――彼のことを反面教師にして、アルハイゼンはきちんと契約書の用意をしておいたのだ。これで後々、言った言わないのもめごとが起こることはないだろう。
 ドリーは机の引き出しからペンを取ってくると、アルハイゼンのいる方へ戻ってきて契約書を読み、疑問点をいくつか質問した。質問内容は概ね細部を確認するものだった。例えば、『教令院から聴取を受けた際に協力者の名前を尋ねられた場合、供述する内容の制限はしない』という項目については、『アルハイゼンの名を出してもよいということか』や『お互いになにを供述してもよいということか』ということを質問された。アルハイゼンの答えはどちらもイエスであった。
 ドリーは時間にして五分もの間アルハイゼンに質問し続けていたが、ちょうど三十個目の質問が終わったところでもう聞きたいことはなくなったのか、「わかりましたわ」と言った。手慣れた様子で目の前の契約書に、商人らしい教本に載っているかのような奇麗な筆記体で署名をする。
 アルハイゼンはドリーがペンを机に置いたのを見ると、契約書を手に取り不備がないか確認し出した。仕事柄、書類を確認することが多いこともあって、そこまで時間はかからない。わずか十秒と少しで不備がないことを確認し終えると、折り目にそって元のように小さくたたみ、鞄にしまい込んだ。
「では今からこの契約内容は有効になる」とアルハイゼンは再びドリーの方を見ると宣言した。
「わかりましたわ――でも、このような契約を締結しなくてもよろしかったのに」とドリーはにこやかな表情で話し出した。「だって、私にはを教令院に売り渡すつもりが微塵もございませんもの」
 ドリーのまるで勝ち誇ったかのような笑みに対しても、まるで感情のない人形のように、アルハイゼンは引き続き表情を変えることはなかった。ただ一言、「理由を聞いても?」とだけ静かに尋ねる。
「契約内容に『嘘は話さないこと』と書いておりましたし、隠しておきたい内容でもありませんから話しましょう」
 そこまで言うと、ドリーはこほんと一息ついた。そしてすぐさま、彼女のよく回る舌を使って得意の早口で続きを言い出した。
「単純に、彼が生み出す利益を上回る報酬を、教令院が私に提示することはないと思っているからですわ。教令院は芸術を軽視しておりますし、彼が生み出す作品にはそれほど価値はないと考えておりますの。けれども、私はそう思っておりませんわ。他国で彼の設計した建造物を売り出したら、相場より高い値段がつくと私は見込んでいますわ。
 それに、彼はとてもとても大変な額の借金を私にしております。彼自身に借金を踏み倒すつもりはなさそうですし、このまま支払い続けてもらった方が私は損をせずに済みますわ。もし、彼が借金を全て払いきる前に返済を止めたとして、その残りの金額を誰かが負担してくださるわけではありませんからね。差し押さえられた彼の所持品を売ることで、ある程度は回収できるかもしれませんけど。
 彼がスメールで仕事を以前のようにできなくなって支払いが滞るのでしたら、支払いを継続するという条件は付きますが、より仕事のある他国へ行く手助けをしてあげても良いくらいですわ。そのくらい、彼には建築デザイナーとしての価値があるんですの」
「なるほど」アルハイゼンはドリーの話を聞くとそう言い、腕組みをした。そして相も変わらず感情の読めない表情のまま続けた。「だが、俺は契約を持ちかけたことを後悔していない。君は俺が損をしたと思っているようだが、別に俺はそう思っていない」
「どうしてですの?」ドリーは若干焦りをにじませつつそう言った。アルハイゼンの反応は彼女にとって想定外のものだったようだ。
「君は物事の結果から良いか悪いかを考えているようだが、俺はそう考えていない。あらゆる可能性はつぶしておくに越したことはないし、それが杞憂きゆうに終わったとしてとは思わない。むしろ、そういった場合は取り越し苦労で済んだと安心する。今回の場合だってそうだ。俺は今、カーヴェに価値が存在する限り、君が彼の脅威になることはないと知って安堵あんどしている」
 アルハイゼンは自身の考え方をそうやってひとしきり言い終えると、その場に立ち上がった。
「これ以上俺は話すことがないが、君の方にはなにかあるか」とアルハイゼンは問いかけた。
「ありませんわ」
 ドリーは今までの商人が客に対してとるような態度とは打って変わって、ぶっきらぼうに言った。これ以上話したくはない、ということを表すかのようだった。
「では俺は帰るよ。見送りはいらない」
 ドリーの返答に対しそれだけアルハイゼンは言うと、彼は部屋から出ていった。彼の感情は最後まで、大商人ドリーをもってしても読み取ることはできなかった。
 ドリーはアルハイゼンが部屋から出ていくまで、立ち上がることもなく、静かに同じ位置に座り続けていた。普段の商談なら相手から見送りはいらないと言われても、立ち上がって玄関ホールまで一緒に行くが、アルハイゼンに対してはどうもその気が起きなかった。むしろ、嫌味の一つでも言ってやりたいのを我慢しているところで、静かに黙っているのをほめて欲しいくらいだ。当たり前ではあるが、大商人であるドリーは相手に良い印象を与える態度を意図して取ることを得意としている。そんな彼女でもアルハイゼンの態度は我慢ならなかった。
 ドリーは若干のいらだちを感じながら、この件が終わったらアルハイゼンとは一生関わりたくないものだ、と考えていた。彼女は契約のことを考え、一筋縄ではいかない人物――アルハイゼンとしばらくの間、関わらないといけないことにため息をついた。


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