Peoneyboy

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芸術家たちの楽園

9

 シェイクズバイルは左下にふられたページ番号が順番通りになっていることを確認し終えると、「よし」と言った。そして、数十枚ある紙束の端を揃えるため、机に軽くトントンと紙束を二回打ち付けた。
「あとはこれを教令院に提出するだけだな」と隣でその様子を見ていたカーヴェは腰に手をあてながら言った。
「審査が通ればいいんだがな」
 数日間もかけてやっと脚本を全て書き直しきったというのに、シェイクズバイルはあまり嬉しそうでなかった。結局のところ、脚本が再審査に通らねば公演を行うことはできないので、まだ安心できないといったところであろう。カーヴェにもその気持ちを理解することはとてもよくできたので、元気づけるように言った。
「この脚本は僕たちがあれこれ考えをめぐらせて書き上げたものなんだ。大げさかと思うかもしれないが、こんなにもひとつの物事を真剣に考えるのは学生のときぶりだよ。学者にも負けないくらいだ。そのくらい、考え抜いたものなんだからきっと審査も通るさ」
「そうだといいんだが」そう言いながら、シェイクズバイルは新品の封筒に書きあげた脚本をていねいに入れた。「今からこれを提出してくるよ」
「わかった、気をつけて」とカーヴェはシェイクズバイルを見送った。
 教令院の審査が通るかどうかはさておき、脚本はできあがったため、現在はカーヴェがもともと引き受けていた仕事を完了している状況であるといえた。だが、カーヴェには劇が実際に公演されるまで見届ける心持ちがあった。今後も、今日のように時間さえあればズバイルシアターを訪れる日々は継続しそうだ。
 ズバイルシアターの面々は脚本の大筋が決まった段階から準備に大忙しであり、今日もその状況に変わりはなさそうであった。カーヴェはなにか手伝えることがないかと辺りを見渡した。彼の本業の方はそこまで忙しくない状況が相変わらず継続していたため、そちらのことを心配する必要性は全くなかった。
 カーヴェはこれまでにも脚本作成に関わる以外の、他の作業の手伝いも請け負ったことがあった。主に大道具係の作業を請け負うことが多かったが、これは仕事柄模型を作ったりすることもあるカーヴェは細かい造形をすることを得意としていたからで、今日もそのような作業を都合よくやっていないかと彼は思った。
「やあ、カーヴェさん」
 団員の一人が気さくに声をかけてくる。カーヴェが持つ社交的な性格は、ズバイルシアターの団員たちと親交を深める上で役立っており、今ではもう完全に打ち解けていた。まるで、何年も前からシアターの一員であったかのような雰囲気さえ彼らの間には見受けられたくらいだ。
「こんにちは。調子はどうだい?」カーヴェはいつもそうしているように、軽い挨拶を返した。何度か仕事を共にやったことがある人にするような、親しい間柄でする挨拶だった。「僕はちょうどシェイクズバイルさんが脚本を完成させたところを見届けたところだ。脚本に関しては教令院の審査結果が返ってくるまで特にやることがないんだが、なにか手伝えることはあるかい?」
「脚本ができあがったのか? それはめでたいことだ。公演の再開が現実味を帯びてきたよ」
 団員は今にも小踊りし出しそうなくらいの嬉々とした様子で言った。
「あのときカーヴェさんが声をかけてくれたおかげで、公演を続けたいという思いを実現させようと、ズバイルさんを含めた皆が動けたんだ。あなたがいなければ、現在の脚本では公演許可が出せないと教令院に言われたところで、皆あきらめてしまっていたかもしれない。で、手伝えることといったかな。脚本はできあがったが、カーヴェさんはまだ我々を手伝ってくれるのかい?」
「もちろんさ」
「とても助かるよ。ちょうどひとつだけあるんだ。といっても手伝いというより頼みと言った方が正しいような内容だけれども」団員はそう言うと、カーヴェの方を伺った。
「頼みでもなんでも僕にできることなら」とカーヴェは言った。
 彼は皮肉を言うことも多々あるが、なんだかんだいって困っている人を見ると、手を差し伸べずにはいられない性質であった。アルハイゼンがこの場にいたら、できることならなんでもやると安請け合いするべきではないと言われるに違いないが、幸か不幸かこの場にはカーヴェのことを止める者は誰もいなかった。
 団員はカーヴェの返答を聞くと、ひとつうなずいてから言った。
「カーヴェさんは芸術全般に造詣ぞうしが深いから知っているとは思うが、シタールという楽器があるだろう。あれを貸し出してくれるような人を知らないか」
「シタールを?」と言いながら、カーヴェは自身の持ち物を頭の中で洗いざらい確認した。「僕は所持していないな。ウードは家にあるんだけど。この楽器を公演で使うのかい?」
「そうだ。以前、公演で使用したときはある方から楽器を借りたんだが、今回その人からは断られてしまってね。どうやら楽器を手放したらしくて」
「なるほどね」
 カーヴェは彼が最近会った友人たちのことを思い返した。まっさきに顔が浮かんできたのは作曲家の男だ。彼が作った曲について作曲者本人から色々と話を聞く機会がカーヴェにはあったが(例の月に一回ほど開かれる飲み会のことだ)、あるとき彼はこう言っていた。
「作曲する上では、それぞれの楽器が持つ音の印象を知ることが一番大事なんだ。ここが曲を作る上で難しいところなんだが、低音と高音では同じ楽器でも全く異なる印象を持つ。記憶力に優れた作曲家は、例えばヴァイオリンの『ド』の音はこんな音だ、と作曲家自身の頭の中で思い起こすことができるらしいが、あいにく僕は記憶力に自信がないからね。仕方がないから、家に曲で使いたい楽器を全て置いているんだ。ある楽器のこの高さの音はどんな響きかを確認したいときは、自分で出して確認してみればいいって寸法さ」
 作曲家の男が言っていたことをそのように、一言一句ほぼ正確に思い返せたのは、カーヴェにとって彼が言っていたことが興味深いものだからであった。芸術家と話すと、たまにこういった知見が得られるのだ。カーヴェはそのことをとても面白く感じていた。これは、カーヴェが芸術家と好んで付き合う理由のひとつでもある。
 作曲家の男の話からいって、彼はおそらくシタールを所持しているだろう。彼はシタールパートの譜面を作成するために、シタールを彼自身で奏で、音の響きを確認しているに違いない。カーヴェには、作曲家の男がシタールを弾いているその光景までありありと想像することができた。
「僕の知り合いにシタールを持っていそうな人がいるんだ。その人に貸してくれないか聞いてみるよ」
 そう言って、カーヴェは団員の頼みを引き受けた。

 ズバイルシアターの団員の頼みを引き受けた翌日、カーヴェは作曲家の男の家だという場所を訪れた。カーヴェは彼の家の正確な場所を知らなかったが、画家の男に聞いたところ、作曲家の男の家の住所を知っていた。どうやら作曲家の男の家に行ったことがあるらしい。
 そうやって得た住所が示す場所へカーヴェは向かったわけだが、そこには家がぽつんと一軒建つのみであった。楽器を弾いても苦情が入らないよう、このような立地の家に住んでいるのだろうか。そう思いながら、カーヴェは作曲家の男の家のドアを叩いた。
 ほどなくしてドアの向こう側から、「はい、どなたですか?」と男の声で返事がある。間違いなく、作曲家の男の声だ。カーヴェの記憶力は顧客など、仕事で一度会った人物の顔や声を忘れることがないくらいには一般的な人より優れており、そういうこともあってすぐに作曲家の男の声だということがわかったのだった。
「カーヴェだ。ちょっと頼みがあって来たんだが、今大丈夫かい?」
「ちょっと待ってくれ」知り合いとわかったためか、妙にかしこまった調子は抜け、いつも通りの口調で返答があった。
「ああ、わかった」
 カーヴェは肯定の意を示した。ドアから作曲家の男が遠ざかって行く気配がする。
 それからほどなくして、彼の部屋からなにか重量のあるものを引きずっているような大きな音が聞こえてきた。模様替え中なのであろうか。忙しいときに来てしまって申し訳ないな、とカーヴェは思った。足の踏み場もないくらいなのかもしれない。そうであるならば、とりあえず迎え入れる状況を整えるまでそれなりの時間がかかるだろう、とカーヴェは考えた。だとすると、長時間立ったまま待つのではなく、冷たい石の上ではあるがせめて腰かけよう。そう判断したカーヴェは玄関ドア前の段差に腰かけた。
 しばらくの間、家具を移動させている音を聞きながら、カーヴェは作曲家の男の家に面している通りの様子をなにも考えずに、ぼんやり眺めて過ごした。都合のいいことに作曲家の男の家はほとんど人の通らない、大きな通りから少し奥まった道路へ面したところにあった。そのため、道行く人々から家の前に座り込んでなにをしているのだろうか、という疑わし気な視線を受けることなく、ゆっくりと待つことができる。
 そんな風に待つこと十分、少々眠気を感じるようになってきたためかひとつ欠伸をしたタイミングで、カーヴェは背後にあるドアがゆっくりと開けられようとしていることに気づいた。カーヴェが立ち上がると、ドアはというストッパーがなくなったためか、人一人が充分通れるくらいになるまで勢いよく一気に開かれた。
「待たせたな。まだ散らかっているけど、どうぞ入って」
 作曲家の男の招きに応じ、カーヴェは彼の家に足を踏み入れた。
 家に入ってカーヴェが最初に感じたのは、どうやら作曲家の男の模様替えは大々的なものらしいということだった。ほぼ全ての家具が移動最中というかのように、いくつかのグループを作って置かれていたのだ。例えば、家に入ってすぐ右側は収納棚のグループのようで、カーヴェの身長以上の高さのある棚が三つまとめ置かれている。他には、奥の部屋につながる扉の近くは椅子とテーブル、一番大きな窓のそばは楽器のグループ、といったような感じだ。カーヴェは窓のそばのグループにざっと目を通すと、さっそく彼の家を訪れた目的を果たそうと要件を話し出した。
「突然来てしまって申し訳ない。今、わけあってズバイルシアターの公演準備の手伝いをしているんだが」そう言いながら、カーヴェは目線を窓のそばにある楽器のグループの方へやった。「次の公演でシタールを使いたいらしいんだが、楽器を貸してくれるあてがないらしいんだ。君から借りることはできたりしないだろうか? もちろん君が所持していればの話だし、所持していたとしても、君の都合もあるだろうから可能であればの話だ。借りる期間も君の都合に合わせたものでかまわない」
 それを聞いた音楽家の男は、カーヴェと同じく楽器のグループの方へ視線をやった。
「シタールね。ああ、所持しているよ。貸すのだってかまわない。僕が使用する予定はしばらくないからね。なんなら貸すのではなく、あげたっていいよ」
「『あげる』だって?」カーヴェは驚きを隠せない調子で言った。「なぜだ? 君が曲を作る際に使っているものだろう。しかもこれは楽器で、それなりの値段がするものなんだ。まだ『売る』ならわかるけれども、『あげる』だなんて、いったいどういう風の吹き回しなんだい」
「僕がスメールを離れてフォンテーヌに行くつもりだからさ」作曲家の男はなにもおかしなところはないだろう、といった調子で答えた。「付け加えると、その離れるっていうのは一定期間ではなく、という意味合いだ」
「なんだって」カーヴェは思わず大きな声を出した。
「ああ、だからこうやって家にあるものの整理をしていたんだ」作曲家の男はそう言いながら、部屋全体の様子を確認するかのようにぐるりと一周見渡した。「スメールからフォンテーヌまではかなりの距離があるから、荷物を送るのにかなりの輸送費がかかるんだ。自分で運べる量にも限界があるしね。そして、『売る』という選択肢も考えてはいるが、これはこれで難しさを感じている」
「難しい?」
 カーヴェは疑問に思って尋ねた。スメールシティは人の集まる場所であり、商人だってたくさん出入りしている。そのような場所に住みながら難しいと言っていることに、カーヴェは疑問を感じたのだった。
「シティの商人には買い取ってもらえないのだろうか。とても貴重で専門家でないと値段がつけられないのならばわかるが、君が持っているシタールだ。実用性にとぼしい、おもちゃのような安物でも、使うことがはばかられるくらい希少価値が高いものというわけでもないだろう。それなりにちゃんとしていて、実用的に使いやすいもののはずさ」
「もちろんだ。だから、僕もある程度の値段で買い取ってくれると思っていた。それで、シティに店を構えている商人の何人かに尋ねてみたんだ。『楽器を買い取ってくれませんか』ってね。でも、予想とは裏腹に結果は駄目だった。全員に断られたんだよ。彼らはなんて言ったと思う?」
 そこまで早口で言い切ると、一呼吸おいて作曲家の男は続けた。
「『市場で価値のないものに値段をつけることはできない。それに楽器をスメールシティで売ったら、我々が教令院から目をつけられてしまう。砂漠の方へ品を卸しに行く行商人へ頼んでくれないか』と、皆そのようなことを言っていたよ。だから、君からの話はむしろちょうど良くて助かったくらいなんだ。同じことを何回も言われた後で、行商人を探すような気力もあまりなかったからね。それに、僕は神の目を所持しているわけでもないし、戦闘能力に自信があるわけでもないから、僕自身が売りに行くことはなおさら無理だ。つまり、気にすることはないんだよ」
「そういうことならば」
 カーヴェは作曲家の男が言ったこと全てに納得したわけではなかったが、本人が良いと言うのならばと、ひとまずうなずいた。楽器を買い取ってくれる商人がいないとはにわかに信じ難いが、美術館の前で燃やされた美術品たちのことを思うと嘘を言っているわけではないだろう。商人が楽器を買い取ってくれないことと美術品が燃やされたことは無関係でないはずだ。
 作曲家の男はカーヴェがうなずいたのを見ると、楽器が集められている方へ向かって歩いて行った。壁際に積み重ねられていた楽器ケースの前に立ち、しばらくの間その山を眺めた後、目当てのものを探し出したのかあるひとつに手をかける。その様子を見ていたカーヴェも、彼の近くまで歩いていく。
「これだ」
 作曲家の男は山から楽器ケースを引っ張りあげるとそう言った。楽器ケースを床に置き、慣れた手つきで蓋を開ける。中に入っていた布を取り出すと、あたりまえではあるがシタールが姿を現した。
 作曲家の男はシタールを手にとり、ていねいに拭きあげる。その後、彼は拭きあげたシタールをケースの中へしまうと、カーヴェへケースを手渡した。
「さあどうぞ。大事にしてほしい」
「ありがとう」
 カーヴェは礼を言いながら楽器を受け取った。手に持ったケースを見おろす。大事にされていたようで、ぶつけたりした跡はひとつも見受けられない。使用されていたにしてはとても奇麗な状態だった。
 ふとカーヴェは顔をあげた。そのとき、カーヴェの視界に入った作曲家の男の顔はどこか寂しそうであった。

 作曲家の男と別れたそのままの足で、カーヴェはグランドバザールの方へ向かった。ズバイルシアターの団員に作曲家の男からもらったシタールを渡すためだ。
 カーヴェがズバイルシアターについたとき、団員たちの様子はいつもと全く違っていた。
 舞台上で動きの確認をしている者は誰もおらず、演者たちはすみの方でなにやら不安げな表情を浮かべながら会話をしている。演者たちのちょうど反対では大道具係が舞台装置の作成をしているところであったが、彼女もいつも様子が違っていた。具体的にいうと、数十秒おきに作業の手を止め、虚空を見つめつつどこか落ちつかない様子で考え事をしているといった感じだ。カーヴェが確認した限りでは、皆どこか落ちつかないといった雰囲気だった。
 団員たちの様子に疑問を持ちつつもカーヴェは引き続きその様子を見ていたが、あるとき彼らに動きがあった。おかしな様子だったズバイルシアターの団員たちが一斉に舞台の方へ注目し出したのだ。カーヴェも彼らにつられて舞台の方へ視線をやると、ちょうどシェイクズバイルが舞台へ上がろうとしているところであった。どうやら、団員たちはズバイルシアターのマネージャーに注目しているようだった。
「ああ、皆!」
 シェイクズバイルは普段の落ちついた雰囲気をどこかに忘れたといったふうに、早口で声をはりあげた。シェイクズバイルの呼びかけに対し、団員たちは口々に声をあげた。
「ズバイルさん、結果はどうなんだい?」
「早く、教えてちょうだい!」
「聞いてくれ」とシェイクズバイルはいつも通りの落ちついた雰囲気に戻ると、そう一言口にした。それを聞き、団員たちは皆一斉に口をつぐんだ。
「この前教令院に提出した脚本が、教令院の審査を通ったんだ。内容に不足はないため、ズバイルシアターに公演の許可を与えると」
 沈黙。皆、黙ったままなにも話さない。
「本当かい」
 そんな中、静寂を破ったのはカーヴェであった。
「本当だとも」シェイクズバイルはカーヴェのことを舞台上から見据えながら言った。「カーヴェさんのおかげだ」
 その瞬間、舞台の辺りは歓声に包まれた。
 皆、喜びを抑えきれないようで、手を叩いたり、飛び上がったり、さらには涙をこぼしているものまでいる。よく見ると、シェイクズバイルも感極まったのか涙を流していた。
 カーヴェは舞台の方に駆け寄ると、左右にある階段を利用する時間も惜しいとでもいうように舞台のちょうど中央から上によじ登った。そして、まっすぐにシェイクズバイルの方へ近づくと彼の肩を叩いた。
「おめでとう」
 涙をこぼし、嬉しさでなにも言えずに腕で顔を覆っているシェイクズバイルに対し、カーヴェはただ一言だけ口にした。そんな彼の目からも、こらえきれなかった涙が一粒だけこぼれていた。


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