Peoneyboy

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幼少期

 リネはブーフ・ド・エテの館の裏庭に設置された取水設備の前で、手に持っていたスパナを放り出した。この目の前にある物体は見た目から受ける印象よりも、はるかに複雑なつくりをしているらしい。貯水タンクとそれに繋がるポンプでの継ぎ目から漏れ出ていた水は止めることができたが、これで直ったといえるのかリネには全く検討がつかなかった。
 そもそもなぜ、リネが取水設備の修理をしようとしていたのか。彼は取水設備の修理業者だというわけではないし、特別この手の機械に詳しいわけでもない。素人といって相違ない彼が修理をしようとしているのは、全てが双子の妹であるリネットのためであった。
 今日はブーフ・ド・エテの館の裏庭を、住んでいる子供たち皆で清掃作業をする日だった(ブーフ・ド・エテの館はいわゆる孤児院であり、この手の清掃作業は孤児院で暮らす子供たちの仕事なのだ)。リネットはこの取水設備周辺の雑草取りを担当していた。彼女曰く、少し後ろに下がったとき、取水設備のポンプ部分に身体が当たってしまった。そしてそのことに気づいた途端、ポンプと貯水タンクの継ぎ目から水が溢れ出したようなのだ。
 周りにいた子供たちはすぐにこの事態に気づき、皆そろってリネットのことを非難した。
「リネットがポンプを壊した」
「こんなに水が漏れ出ているんじゃ、水が飲めなくなってしまうよ」
 もちろん、兄であるリネはこの騒ぎを耳にすると、慌ててその場に駆けつけた。そして、その場の惨状を一周見渡し、いつものことだと思った。リネットはこういったことが起こった場合いつもするように、どうすればよいのかわからないというような表情を浮かべている。リネットのことを助けるのは兄である自分の役目だ――そう思ったリネは、勢いのまま「僕が直すよ」と言ったのだった。
 リネはその場に座り込むと、取水設備を見上げながらため息をついた。一応は直っているように見えるから、直したと言ってしまって良いだろうかと、そのようなことを考える。いや、駄目だろうとリネはその考えを即座に振るい捨てた。もし、致命的な不具合が残っていたとしたらどうするのだ。今日以上にリネとリネットは子供たちから非難されてしまうだろう。彼らはここでは新参者で、まだ信用をされているわけではない。これからこの館で生活するのにあたって余計な揉め事は避けるべきであり、そのためにも一刻も早くここに住む者たちから信用を得る必要がある。
「ねえ」
 目の前の問題に頭を悩ませていたリネは、そのように呼びかけられ、一人の少年が彼のそばへ近づいて来ていることに気がついた。最近まで頼れる保護者がいなかったためか、リネは警戒心が強い。だから、ここまで近づかれてやっと少年の存在に気がついたとは、相当この問題に対して精神的負荷がかかっているのだろう。
 リネに声をかけた少年は、様々な金属製のパーツが入った箱を抱えていた。明るい金の髪を肩の上辺りで切りそろえていて、クロックワークのおもちゃのペンギンを引き連れている。
「どうしたんだい? フレミネくん」とリネは自身に声をかけてきた少年――フレミネへ返事をした。
「ぼくの名前をもう知っているの?」とフレミネは驚いたような表情を浮かべつつ言った。
「もちろん。家族としてここに迎え入れられたんだ。まずは、みんなの名前を覚えなければならないからね」
「そういうことなんだ。すごいと思うよ。ここに来て、リネくんほど早く名前を覚えている子は初めて見たから。それで、その取水設備のことなんだけど」
「ああ、これ」リネは後ろを振り返って、取水設備の方を再び見た。「さっきの騒ぎは君も聞いていただろ? 僕の妹が壊したとかなんとかというね。妹は取水設備が壊れたタイミングで、たまたま近くにいただけなんだ。彼女はそう言っている。事実はどうなのかよくわからないけれどね。でも、事実なんてどうでもいいんだ。あの場では事実なんて特に意味を持たなかった。僕たちは新参者で、みんなはリネットがどのような人物であるかを知らない。ものを故意に壊したりする乱暴者であるか、そうではないかがわからないんだ。そんな状況で、みんながリネットのことを疑いの目で見るのは仕方がないと思う。だから、僕はみんなになにかを言い返したりはしなかった」
「それで、君は自分が直すよと言ってしまったってこと?」
 フレミネの質問にリネはうなずいた。「そうだよ。でも、困ったことにこいつがちゃんと直ったのか、いまいちわからないんだ。これが館に水を供給する仕組みは僕が想像していたよりずっと複雑だったみたいだ」
「それはそうだよ。この取水設備にはクロックワークが使われているからね。クロックワークは初心者が少し見ただけで理解できるものではない。少しずつ学んでいく必要があるものなんだ」
 そう言うと、フレミネは抱えていた箱を地面へ下ろした。
「それは?」とリネは尋ねる。
「取水設備の部品だよ」フレミネは答えた。「今回の件、本当はぼくのせいだと思うんだ。状況からいって、取水設備はどこかの部品の老朽化により水漏れが発生したのだと思う。ぼくは館の設備の維持補修を担当しているから、前回点検したときにぼくが部品の老朽化に気がつかなかったのがいけないんだ。君の妹は少しも悪くない。これは、ぼくが修理するよ。老朽化している部品を取り替えるから、君が直す必要はない」
「そうなんだ」
 それだけ言うと、リネはフレミネの手元を見た。工具を取り出し、分解をし出している。ボルトを緩める手つきに迷いはなく、たしかにフレミネはこの取水設備の構造について熟知していそうだった。
「ねえ、ここで作業を見ていてもいい?」とリネは言うと、フレミネの隣にしゃがみこんだ。
「いいけど、見ていて楽しいものではないと思うよ。みんな、ぼくが機械をいじるのを見て、そんなものをずっと触っていてなにが楽しいのって言うんだ」
「そうかな」リネはフレミネが部品の入った箱に手を入れて、部品を漁るのを見ながら首を傾げた。「だって、こんなに複雑な仕組みの物体を直せるんだろう。まるで魔法みたいじゃないか」
 フレミネは部品を漁る手を止めた。「そんなことを言ってくれたのはリネくんが初めてだよ」
「リネでいいよ。僕たち、家族だろう? そんなによそよそしい呼び方をしなくてもいい」
「わかった。リネもぼくのことはフレミネって呼んで」
 フレミネはそう言い、目当ての部品を取り上げた。古い部品を取り外し、新しい部品を取り付ける。そこまでを終えると、フレミネはこれで良しとでもいうようにうなずき、立ち上がった。部品が入った箱を再び抱える。
「修理は終わり。館の中に入ろう。清掃作業を頑張ったご褒美に、お父様がみんなにケーキを用意してくれているんだ」
「ありがとう、フレミネ。本当に助かったよ」言いながら、リネも立ち上がる。
「礼なんていらないよ。さっきも言ったけれど、壊れた原因はぼくにあるんだから」
「そんなことより、君に頼みがあるんだ」リネはフレミネと並んで歩きながら言った。「僕を君の弟子にしてくれない?」
「弟子?」
「そうだ。リネットがものを壊してしまっても対応できるようにしたくてね」
「いいけど――リネの妹がものを壊す?」
 フレミネは首を傾げた。取水設備が壊れた件はフレミネが原因だったはずだ。それなのに、リネの妹のリネットがものを壊すことが、これから起こり得るような言い方だ。
「ああ、それは――」
 リネは館のキッチンへ繋がる扉を開けた。そして、その部屋の惨状を見てリネはため息をついた。
 キッチンの光景はいつもとは異なっている。具体的にいうと、リネットが部屋の中央にひとりで立っており、シンクの下に備えつけられている食洗機から泡が溢れ出ている。
 リネットから詳細を聞くまでもなく、異常事態だということがリネにはわかった。こういったことは、初めてではない。この家へ来る前に、何度か起きたことがあるのだ。
「お兄ちゃん。ケーキを食べるときに使った皿を洗おうとしたら、食洗機が動かなくなってしまったの」とリネットはキッチンに入って来た二人の方を見ながら言った。
 リネは後ろにいたフレミネの方を振り返った。
「こういうことがよくあるからだよ」


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