大量の包み紙を前にして、「お腹いっぱいだぜ」と言いながらパイモンはお腹をさすった。元々、包み紙には食べ物が包まれていたが、それらは既に全てなくなっている。旅人の見立てでは、そのほとんどはパイモンの胃袋の中に収まっている。
「やはり、君たちを誘って正解だったよ」とパイモンの様子を見ながらセトスが言った。
パイモンの胃袋に収まるまで存在していた食べ物たちは、セトスが持ってきたものだった。正確にいうと、セトスがスメールシティの商人たちから貰ったものだ。どうやら今日はセトスの誕生日らしく、誕生日プレゼントとして食べ物をたくさん――それこそひとりでは食べきれないほど――渡されたようだった。しかし、貰った食べ物の処理にセトスは困ったらしい。好意で貰ったものだから押し返すわけにはいかないし、かといってひとりで消費しきれる量ではない。セトスが取った解決方法は、一緒に食べ物を消費してくれる人を見つけ出すことだった。白羽の矢が立ったのは、パイモンだ。
『君のそばで浮いているあのちびっこは、こういうことが得意なんだろ?』今朝、冒険貰っ協会へ行ったときに、キャサリンから旅人宛てだと渡されたセトスからの手紙には、そのようなことが書かれてあった。『
旅人はセトスからの手紙の内容を思い返しながら、辺りを見渡した。スメールの雨林が遠くまで見渡せる。旅人たちがいるのは雨林各地に点在する見張り台の上だ。死域を早期発見するために設置されたものであり、人々に影響を及ぼす前の死域の種ともいえる、潜在死域の見える特殊なレンズが頂上に設置されている。しかし、今となってはほとんど使われていないはずだ。草神ナヒーダによって世界樹の汚染は取り除かれ――マハールッカデヴァータが存在したという事実の抹消、という大きな代償と共に――それから、新たに死域の発生は確認されていない。つまり、定期的にこの見張り台のレンズを使って潜在死域の発生を観察せずともよくなったのだ。
「良い場所だろう」旅人が辺りを見渡しているのに気がついたのか、セトスが言った。「最近見つけた場所なんだ。なにかに利用されている様子がないから、たまに難題を解決するときに使わせてもらっているんだよ」
「これは放棄された見張り台だ」旅人は今いる場所の用途を簡潔に説明する。「放棄されているというのは、使う必要がなくなったからだよ。元々は死域の発生を事前に検知するためのものだったんだけれど、その必要はもうないからね。ところで、食べ物を貰うのはこれが初めてではないの?」
「初めてではないね。頼まれごとを解決した報酬としてたまに、食事をご馳走になるんだ。おっと、パイモンが期待してしまうかもしれないから言っておくと、いつもはこれほどまでに量は多くないんだ。僕ひとりで消費できるくらいだ。だから、今日みたいに難題の解決を頼むことはほとんどないだろうね。あったとして、次の誕生日かな」
「つまり、次のセトスの誕生日に、またご馳走が食べられるってことか?」とパイモンが言った。
「そうかもしれないね」セトスはそう言った後、立ち上がった。「さて、二人共この後、時間はあるかい。手紙にも書いていたと思うけれども、散歩でもして腹ごなししないかな」
「もちろん。今日は依頼を引き受けていないんだ。明日が期限の依頼もないから、遠出も問題ないよ」と旅人はうなずきながら言った。
「賑やかな場所と静かな場所、どちらがいいかな」
「静かな場所って、手紙に書いてあった露営地のことだよね?」と旅人は尋ねた。
「そうだよ。砂漠にある、タニット族という人たちが住んでいた集落だったんだけれど、今はわけあってほとんど人がいないんだ。学者たちが数人、研究のため滞在しているだけだ。彼らは調査に夢中だし、それに出歩くのは日中だけなんだよ。日が傾き始めると彼らはテントに戻るから、夕方以降はテントに近づかなければ話し声ひとつ全く聞こえない。静かで良い場所だよ。これから行けば到着するのは日が落ち始めるくらいの時間になるから、ちょうど散歩するのに適した時間になるね」
「あの場所は、今そういう感じになっているんだな」とパイモンは呟くように言った。自然と口から出てきた感想のような言い方だった。
「前に、あの露営地へ行ったことがあるのかい?」
セトスはパイモンの呟きを聞き取ったようで、そう尋ねる。慌てたようにパイモンは顔を上げた。あそこであったことはあまり人に話せるような内容ではないというのもあり、セトスに興味を持たれるのは好ましくないからだろう。パイモンはなんと答えるべきか困ったような顔をして、旅人を見た。
「行ったことがあるはずだよ」旅人は助け舟を出す。「タンジという名前の学者がいるよね。そこで、七聖召喚の勝負をしたからよく覚えている」
「ああ、タンジさんね」
セトスは納得したようにうなずいた。それ以上、なにかを尋ねようという雰囲気はない。旅人は安堵した。
今までは気になってはいなかったが、話に上がると不思議と気になってくるもので、露営地のことを――ジェイドと最後に別れた場所のことを旅人は思い返す。あの場所は今、どうなっているのだろう。
「ちょうど話に上がったし、静かな場所の方にしよう」と旅人は言った。「あそこがどうなっているのか少し気になったんだ」
露営地につくと、たしかに旅人たちが前回訪問したときとは少し様子が異なっていた。タンジしかいなかったはずの学者の数が増えている。学者だとわかるのは、増えた人物たちのほとんどがスメールの学者がよく身につけている、丈の長いローブを着ているからだ。ほとんど、というのはローブを着ていない者もいるためで、その一部の人物たちは身体のどこかに緑のスカーフを巻いていて、エルマイト旅団が着るような動きやすい服装をしている。おそらく、ここにいる学者たちによって雇われた三十人団だろう。人が増え、物質の輸送が行われるようになると盗賊たちに目をつけられることも多くなる。そういったときに備えて警備の者をおくのはよくあることだ。
「物資がやっと届いたのか」
露営地に入るとすぐに、ひとりの学者が話しかけてきた。旅人は学者の姿に見覚えがある。以前、七聖召喚で対戦した学者――つまりタンジだ。タンジはセトスと顔見知りのようで(これは、見張り台の上でのセトスの口ぶりからいって予想できていたことではある)、気さくな感じに軽く手を上げて挨拶した。
「だが、肝心の物資が見あたらないな」とタンジは周囲を見渡しながら言った。
「友達と散歩途中に寄っただけだよ」
セトスは後ろに立つ旅人とパイモンを見ながら言う。タンジはセトスの視線に従って旅人とパイモンの方を見て、あっと声を上げた。
「この前来た旅人ではないか。君たちは知り合いだったんだね」
「そうだよ」セトスはタンジの方に視線を戻した。「ところで、物資が届いていないとはどういうことだい?」
「ああ、本来ならば二日前に物資を届けにキャラバンが到着する予定だったんだがな。まだ到着していないんだ。以前、セトスが物質運搬のキャラバンに同行していたときがあっただろう。それで、遠くから姿が見えたから、キャラバンが到着したのだと思ったんだよ。どうやら、早とちりだったようだね」
「期待させてしまって申し訳ないね。とにかく、その来る予定だったというキャラバンが心配だ」
セトスはそう言った後、視線をタンジからさらに彼の背後の方へやった。つられて、旅人もタンジの向こう側を見る。タンジと同じような、緑色の丈の長いローブを着た男がこちらにやって来るのが見える。その男はある程度の距離まで近づくと、「物資が来たのか」とこちらに向かって呼びかけてきた。
旅人は新たに現れた男の姿を見て、驚きの声を上げそうになった。旅人にしては珍しいことだ。旅人は熟練の冒険者であり常に冷静で、なにか不測の事態が起こったとしても慌てふためいたりしない。
だが、パイモンは旅人と違って驚きの声を押し留めることができなかったようだ。タンジが「違ったようだ」と言い終わるか終わらないうちに、「ティルザード」とやってきた男の名を口にした。
「なんでここにいるんだ? だって論文は書き終えたはずだろ」とパイモンは続けて言う。
「旅人とパイモンじゃないか」ティルザードも旅人たちの存在に気がついたようで、二人の方を見るとそう言った。「すごく久しぶりじゃあないか。あれから、元気にしていたかい。ここにいる理由は話せば長くなるんだが――まあ、なんだ。学者というのは、論文を一本書き終えたらそれ以上書かなくていいということにはならないだろう。学者であるうちは書き続けなければならない。困ったことにね」
「つまり、新たに論文を書くため、また砂漠に来たってことか」とパイモンが言った。
「そういうことだ。本当は、ここ以外の場所を調査したかったのだがね。前に考古学の旅をしたときと同じ道を行けば、新たに一から調べるよりは調査しやすいかと思っていたんだ。ところが、以前行った場所の調査許可が下りなくてね。私が『黄金の眠り――アフマル文明晩期の統治モデル及び遺物の段階分けに関する研究』という題の論文を提出した後、私たちの調査した辺りを調べに行った学者が大勢いたらしく、彼らが怪我や遭難などトラブルを起こしたせいで砂漠調査の審査が厳しくなったんだ。今では、アアル村に教令院から派遣された監視員が駐在しているほどでね。どうやら、有休を使って個人的に砂漠調査をしようとする者がいるらしく、それで監視員を派遣しているようなんだ」
「オイラたちが初めて会ったとき、ティルザードも遭難していたよな」
パイモンはそう指摘する。慌てて、旅人はパイモンの方をじっと見た。ティルザードにとって指摘されたくないことだろうから、あまり言ってあげるなということを伝えるためだ。パイモンは旅人の視線に気づき、慌てたように咳払いをすると、仕切り直すように言った。「アアル村の監視員ってソヘイルのことだよな?」
「そうだ。会ったことがあるのか」
「ずいぶん前だけれどね」旅人がパイモンの代わりに答える。「ティルザードさんたちとした考古学の旅の後、しばらくしてからアアル村に行く機会があってそのときに会ったんだ。アアル村で教令院の学者からガイドの依頼を受けたのだけれど、引き受けてすぐにソヘイルさんに依頼者が見つかってしまってね。その学者は強制的にスメールシティへ帰らされたんだ。それで、依頼が流れてしまって報酬を逃してしまうという事態になった。その後、色々あったのだけれど――ソヘイルさんは、まだアアル村で監視を続けているんだね」
「それで、ティルザードがここにいる理由と砂漠調査の許可が下りないことはどう関係するんだ」とパイモンは尋ねた。
「私が誘ったのだよ」パイモンの疑問に答えたのはタンジだった。「彼の書いた論文は教令院内でかなり噂になっていてね。それこそ、ティルザードのような成果を探し出そうと砂漠へ向かう学者たちが大勢現れるくらいだ。噂を聞いて私は彼の、砂漠での考古学の旅をまとめあげた論文を知り、読んだんだ。その論文の内容からいって、私の申請したプロジェクトにも興味を持って貰えると思い、だから誘ったんだ」
「なるほどな」とパイモンはうなずいた。
「君たちは知り合いかい」
横でずっと四人の会話を聞いていたセトスが口を開いた。パイモンはセトスの質問に答える。
「昔、一緒に考古学の旅をしたんだ。旅人の、依頼人とでもいうのかな」
「さすが旅人だね。前から思っていたけれど、交友関係が広くてすごいと思うよ。各地に様々な立場の知り合いがいるんだろう。それで、話を戻すけれども」セトスはタンジの方を向き直った。「物資のことだけれど、あと何日持ちそうかな」
「三日だ」タンジは真剣な面持ちで答えた。「一日くらい前後することはよくあるから、余裕をもって物資の配達を頼んでいるとはいえ、猶予はそのくらいだな」
「そうか。だったら、早く行動を起こすべきだね」セトスは考え込むような姿勢で意見を話し出す。「ここからキャラバン宿駅に行って状況を確認したとして、代わりにキャラバンを出さなければならないかもしれないだろう。そうなったら、人を集めたり物質を集めたり準備を整えるのに一日はかかる。今から頼みに行ったとしてギリギリだ。まあ、途中で来る予定だったキャラバンと遭遇できたら、これは杞憂で終わるのだけれどね」
セトスは、よしと言うと顔を上げて、集まっている四人の顔をそれぞれ見た。
「僕がキャラバン宿駅まで行って、状況を聞いてくるよ。もし、キャラバン宿駅の人たちも、来る予定だったキャラバンの情報を持っていなかったら、代わりの物資を輸送して貰えるよう手配する。これでどうかな。もちろん、追加でかかる金額については全て教令院に請求して貰うよう言っておく」
「いいだろう。しかし、頼んでしまって大丈夫かな」とタンジは言った。
「問題ないさ。こういう頼まれごとをよく引き受けているのは知っているだろう。無事に、物資が届いた後になにかちょっとした礼を貰えればいい」
「もしかして、
パイモンが期待するような目でタンジの方を見る。今日のように、ご馳走を貰えることを期待しているのだろう。量が多ければ、一緒に
「難題?」
「今日なにを食べるかっていうこと」旅人はタンジに説明した。「つまり、食べ物を報酬として渡すということだよ」
「それだけでいいのか?」とタンジはセトスの方を見て尋ねた。
「充分さ」セトスはうなずいた後、旅人の方を見た。「そういうわけで、これから僕はキャラバン宿駅に行ってくるよ。散歩に付き合えなくて悪いね。そうだ、旅人はせっかく旧友に会えたのだし、一晩ここに滞在したらどうかな。結果はどうあれ、明日にはここに戻って来るから、そうしたら一緒にシティへ戻れるよ。明日は依頼が入っていないんでしょ」
たしかに良い案だ、と旅人は思ってタンジのことを見上げた。タンジの許可を取らねばならないことだと思ったからだ。彼がきっと、ここタニット露営地の現在の長であるはずだ。
「もちろん、歓迎するよ。状況が状況だから、もてなしはできないがね」
こうして、旅人たちはタニット露営地へ一晩泊まることになったのだった。
案内されたテントに旅人たちが腰を落ち着けると、パイモンが口を開いた。
「ここへまた滞在することになるなんてな」
「本当にそうだね」
旅人は昔を思い返す。ここは、ジェイドと最後に別れた場所であり、様々なできごとがあった場所だ。それらの思い出は、残念ながら思い出して良い気分にはならない
ジェイドは今頃どうしているだろうか、と旅人はテントの隙間から覗く空を見上げた。
「なあ、オイラたちはタニット族に起きたことを知っているわけだけれど、ここにいる学者たちにはもちろん言わない方がいいよな」とパイモンが隣でそう話すのが聞こえた。
旅人は空を見上げるのをやめ、パイモンを見た。「そうだろうね。ジェイドのことを考えるとやはり真実は言いにくいよ。彼女はタニットの一員だったのだし、そんな彼女がタニットの人々を殺したなんて、その部分だけ切り取ればまるでジェイドだけが悪者みたいだ。前にここへ来たとき、タンジさんはタニットの人々がいなくなったことについて、歴史だとか言っていたよね。もし彼に知られたら、ジェイドが悪者だとして歴史に記録されるかもしれない。それは避けたいよ。実際は、込み入った事情があって、仕方なくああなってしまったのだけれど――もちろん、この露営地の惨状を引き起こしたことについて正当化しようというつもりはないよ――状況を説明するには証拠が足りない。タニット族に起きたことを目撃したということをタンジさんに証明する術がないんだ。だから、このままなにも言わずにいるのが一番だよ」
「でも、ティルザードはどうする?」パイモンは言った。「ティルザードはジェイドのことを知っているだろ。真実を教えてあげてもいいんじゃないかと思うんだ」
「だからといって、ティルザードさんにだけ教えるわけにはいかない。ティルザードさんの性格を考えてもみてよ。ひとりでこれだけ大きな秘密を抱えることはできないよ。それに、彼がどういった考えでいるのかはわからない。ここであったことについて非難するかもしれないし、逆にジェイドが悪者とならないよう歴史を改ざんしてしまうかもしれない。後者のパターンだったら最悪だよ。ここでの調査を妨害することになってしまう」
「そうだけれどよ。もしかしたら、調査が進むうちにティルザードが真実を知ってしまう可能性があるぜ。かといって、タンジに働きかけて無理矢理ティルザードをタニット露営地の調査から外すわけにもいかないしよ――」パイモンはそこまで言うと、地団駄を踏むように、空中で足を数回上げ下げした。「せっかく、今日なにを食べるかという難題は解決したのによ、他の難題が二つも出てきたぞ。オイラたちはここであったことを学者たちに話したくないけれども、かといってティルザードにタニット露営地であったことについて真実を知って欲しくない。この二つの難題の解決は両立できないぞ」
「当初の予定通り、ティルザードさんが前に砂漠地域を旅した箇所を、調査できるように取り計らうとか」と旅人は言った。
「そうすれば、ティルザードはタニット露営地の調査プロジェクトに参加するのをやめると思うか?」
「どうだろう」
旅人は遠くに見える学者二人を見た。タンジとティルザードだ。彼らはなにかを熱心に話し合っているように見える。案外、二人は共同研究者として上手くいっているようだ。
旅人は視線をタンジとティルザードからパイモンの方に向けると、続けた。「なかなか、難しいかもしれないね」
旅人は意識が眠りの世界から急激に浮上する感覚を感じた。目を開け、テントの隙間から空を見る。空はまだ薄暗く、日が登り始めたくらいの時間だろうと旅人は現在の時刻を見当づけた。再び目を閉じる。隣から、パイモンの寝息が聞こえてくる。
旅人はしばらくの間その状態でいたが、眠りの世界はなかなかやってこなかった。諦めて、旅人は目を開ける。身を起こすとパイモンを起こさないよう、そっとテントから出ていった。
ゆっくり歩き、ひらけた場所にまで出ると旅人は思いきり伸びをした。野宿のときに眠りが浅くなってしまうのは仕方ないが、ここは魔物や盗賊などが襲ってくる恐れのない安全な場所だ。安全な場所で寝たのにも関わらず、こんなに早い時間に目が覚めてしまうなんて珍しい。この露営地では過去に色々あったし、知らず知らずのうちに緊張でもしていたのだろうか。
そのようなことを考えながら遠くを眺めていると、露営地の中央部にある水場の辺りに人が立っているのが見えた。旅人のように早くに目が覚めてしまったのか、はたまた元々早起きなのかはわからないが、旅人は水場に向かって歩き出した。一晩寝床を提供してもらった以上挨拶すべきかと思ったし、それに水場で顔を洗うのもよいと考えたのだ。
水場の近くに立っていたのはティルザードだった。旅人が話しかける前に、目が合う。ティルザードは片手を上げて挨拶をした。
「昨日はよく眠れたかな」
「まあまあ」旅人はティルザードの挨拶に返事をする。「色々あったからか、身体が緊張しているのかもしれない。思ったより眠りが浅かったみたい。こんな時間に起きてしまったからね。まあ、生活に支障をきたすほどではないよ。ティルザードさんは、いつもこの時間に起きているの?」
「最近は」ティルザードはそう言った後、なにかを考えるような表情を顔に浮かべて俯いた。しばらくして、顔を上げると続けて話し出す。「個人的に調査したいものを見つけたから、毎朝このくらいの時間に起きて調べているんだ。私が発見したものを見てみるかい」
旅人はうなずく。ティルザードは旅人に背中を向けると、学者たちや旅人が昨晩使用したテントから反対側の方向に歩いていった。彼が立ち止まったのは、ひとつのテントの前だ。旅人はそのテントに見覚えがあった。ジェイドが使っていたものだ。
旅人はテントを前にして、なんとティルザードに言えばよいかわからなかった。彼は既に、ジェイドがタニット露営地にいたのだということに気づいているのか? それにしては、随分冷静に見える。
「なあ、旅人。ここにあるものを知っているか」旅人がテントを見つめたまま黙っていると、ティルザードの方が口を開いた。彼は、テントの入り口に貼られた紙を指さしている。「この紙には、ジェイド・タニットと人名らしきものが書かれているんだ。
旅人はその紙の存在に初めて気がついた。いつからここに貼られていたのだろうか。ジェイドが旅人と別れたとき、つまり彼女がタニット露営地を去るときに貼ったものかもしれないし、それより後に貼られたのかもしれない。いずれにせよ、紙が貼られた経緯は今となっては知る
「これはジェイドが書いたものだと、ティルザードさんは思っているの?」と旅人は尋ねた。
「わからない」ティルザードはテントの入り口に貼られた紙へ視線をやったまま、首を横に振った。「事実はまだはっきりしていないんだ。だが、そうであればいいと思っている」
「ここであったであろうことについて、タンジさんからなにか聞いている?」と旅人は言葉を選びつつ、質問を口にした。
ティルザードは旅人の方を振り返った。「あるとき、タンジが露営地を訪れたとき、数週間前まではいたはずのタニット族の人々がひとり残らず消えていたということかい。もちろんタンジから聞いているよ。皆で新天地を目指すために去ったのならばよいが、残されていた状況からいって、そうではない可能性の方が高いようだね。血の跡のようなものを複数、それもひとりの人間から流されたのではないであろう量のを見つけたと言っていた」
「らしいね」旅人は言った。「それで、これはあくまで可能性のひとつだとは思うけれど――もし、露営地にいた人々の消えた原因である災難がここを襲ったときに、ジェイドがいたということは考えられないかな」
「それはないだろう。断定はできないが、有力な説ではない。この紙には、行ってくるねと書いてある。行って戻ってきたのならば、紙は外されているはずだろう。残っているということは、ここを出た後に戻ってきていないんだ。だから、彼女がタニットを襲った災難に巻き込まれて既に命を落としている可能性は低いと考えている」
旅人はティルザードの説明に納得した。たしかにそうだ。彼の説明はつじつまが合っている。それもそのはずで、ティルザードは旅人の知る歴史と異なる主張を、今のところしていないからだ。
「じゃあ、ティルザードさんはどういった説を考えているの」
「事実ははっきりしていないと言っただろう。よくわからないのが現状なんだ。しかし、ありえそうなシナリオは既に複数考えている。露営地を去った後に事故か事件に巻き込まれて帰って来られなかった説、ジェイドが運良くタニット族を襲った災難から生き残れた説、あとは、ジェイドがタニット族を襲った災難そのものであるという説もあるな」
「最後の説が本当だったらどうする?」旅人は感情の読めない、淡々とした口調で尋ねた。ティルザードが質問の本当の意図に、気づかないようにするためだ。
「タニット露営地を襲った災難を引き起こしたのはジェイドである、ということが歴史に残るということかな」
「そうだね」
「そうだとしても、そうだということにしかならない。なぜなら、ここであったこと――つまり歴史は変えられないからだ。歴史を研究する学者たちが歴史をでっちあげることは可能だが、それはこのプロジェクトに参加する学者の誰しもが望んでいない。旅人は歴史の登場人物にジェイドが登場することについて、なにか懸念しているのかな」
旅人はじっくりティルザードのことを見た。彼は狼狽し出したりなどせず、極めていつも通りだった。旅人が想像していたのとは違う反応だ。以前のティルザードなら考えられないことで(予想していないことが起こると、彼は思い込みで行動したり発言したりする節があった)、あの考古学の旅、もしくは旅の後にあったなにかが彼を変えたのだろうか。
「ジェイドが歴史上で悪者として記録されるのが、少し嫌だなと思っただけだよ」旅人は言った。「もし、災難の原因が彼女だったとして、きっと彼女の方にも災難を引き起こす理由がなにかしらあったと思うんだ」
「それを調査するのが、私たちだ。旅人は少し勘違いしていないか」ティルザードは珍しく、旅人に指摘した。「ジェイドが生きていたとしても、歴史上の登場人物にジェイドの名が加わって彼女が困ることはないだろう。私たちが行うのは、ここであったことを記録に残すことで、災難の原因を非難することではない。教令院のマハマトラだって問題にならないだろう。彼らの仕事は学者たちを
旅人は思ってもみなかった意見に驚きつつ、たしかにそうかと安堵した。今まではどこか、ジェイドと旅人はタンジたち学者から悪として扱われるようなことをしでかしてしまったのだと思っていたのだ。ティルザードの言葉を聞いて、学者たちはそのように考えていないということがわかった。彼らはただここであったできごとを、実際にあったことを記録として残したいのだけなのだ。おそらく、これが歴史というやつなのだろう。
誰かが呼ぶような声が聞こえてくる。旅人は声のした方を見た。セトスが旅人とティルザードの方に向かって手を振っているのが見える。どうやら、もう露営地に帰ってきたらしい。旅人はキャラバンについての報告を聞こうとセトスの方へ近づいていった。
「朗報だよ。物資が届いたんだ」旅人たちがセトスの前で立ち止まると、彼は後ろを振り返って荷車を引いた集団を指さした。「キャラバン宿駅へ行く途中で彼らに会ってね。一緒にきたんだ。どうやら、配達の日付を勘違いしていたらしい。出発したのが昨日みたいだ」
旅人はほっと息を吐く。無事に物資の問題も解決したようだ。
「なんだ、たったそれだけの理由だったのか。私たちはそのせいで、いつ届くのかと不安に感じて神経を擦り減らす日々を数日間続けていたのだがね」とティルザードは文句をこぼした。
「まあ、落ちついてよ。そうだ、届いた食材で朝食にするのがいいんじゃないかな」とセトスはティルザードをたしなめた。
「タンジに言ってそうするとしよう」ティルザードはキャラバンが荷物を下ろすのを見ながら言った。ちょうど、酒瓶の詰まった木箱を荷車から下ろすところだった。「酒もやっと届いたことだし、それに免じて遅れについては許そうではないか。私たち学者には酒というものが必要なんだ。研究調査に行き詰まったとき、これがないとなかなかしんどいんだよ」
「ほどほどにね」と旅人は言った後、ふと昨日のことを思い出す。「少なくとも、朝食については今日も難題に悩まず済みそうだね」
「難題? たしか、今日なにを食べるかということが難題だと昨日言っていたな」とティルザードは言った。
「そうだよ。毎日多かれ少なかれ悩むことだろう」とセトスが補足する。
「なるほど」ティルザードは納得したようにうなずいた。「では、難題を解決しに行こうか」
歩き出したティルザードとセトスについて旅人も歩き出す。
「そうだね、三つ目の難題を解決しに行こう」と旅人は前を歩く二人に向かって言った。
NPCオンリー用に書くつもりが、間に合わなかったお話です……
2025年のセトスのお誕生日メールに、『露営地』という単語が出てきて、セトスはタンジと知り合いなんじゃないかとか、旅人が再び露営地訪れたらどう思うだろうかとか考えていて、そこらへんの妄想を膨らませた話でした。