インスパイア (英:inspire) - ラテン語の「in-(中へ) 」+「spirare(息、息吹) 」から、思想や生命などを吹き込んだり、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、ひらめきや刺激を与えたりすること。インスピレーションの動詞形。
(Wikipediaより)
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世界再生機構――通称WRO――の局長室の扉をノックする音にリーブはキーボードを叩く手は止めずに返事をした。部屋の主の許可を得、入室してきた隊員の手にはA4程の大きさの厚みのある封筒がある。「局長宛の手紙があったのでお持ちしました」と彼は言った。
「おおきに。ご苦労様」と言いながら王冠と赤いマントを身につけた黒と白の混じった模様の猫が二足歩行で歩み寄り(彼は普通の猫と違って二本足で歩くのだ)、それを受け取った。彼はケット・シーといい、リーブの秘書兼護衛であり、そしてリーブの分身のようなものだった。
リーブはケット・シーを通して手紙を持ってきた自分の部下のことを見つめた。確か――そう確か、一月程前に入隊した者ではなかったか。リーブも彼のことを面接したので顔と名前を覚えていた。
「WROにはもう慣れましたん?」とケット・シーは言った。
「はい。皆さんとても良くしてくださるので」
リーブはそれを聞き、モニターを見つめながら自然と笑みを浮かべた。「それは良かった。リーブは今手が離されへん。せやからボクが後で渡しておきます」
隊員は頷いた。「了解しました。明日から長い休暇に入るのですから忙しいのも無理はないです」
ちょうど今日は年内最後の出勤日であった。リーブも明日から一週間程休みを取るつもりで、ちゃんと休暇らしい休暇を過ごすため(要するに自分の家に仕事を持ち込まないため)に年内に済ませておくべき仕事は今日中に終わらせなければならなかった。
「局長は年末年始はどう過ごされるんですか?」
「友人達と集まる予定や。忘年会兼新年会として共に年を越さないかと誘われましてな」リーブはかつて共に戦った仲間達のことを思い浮かべながら、ケット・シーを通じて言った。
リーブは年内最後となるメールの文章を打ち込み終え、送信ボタンを押した。ふうっと息を吐き、思いっきりのびをする。今日だけで何件のメールのやりとりをしたのだろうか。少し休んでから家に帰ろうと思い、リーブは電気ケトルのスイッチを入れた。今日は業務中に飲み物を用意し、一息入れる時間もなかったのだ。カフェインの取りすぎにはあたらない。
お湯が沸くまでの間、リーブは昼頃隊員が持ってきた封筒を手に取る。住所はここ、世界再生機構本部、宛名にはリーブ・トゥエスティ様、とある。リーブは世界再生機構局長という自分の肩書きが書かれていないことに気がついた。手紙の差出人が書き忘れたのだろうか、それとも世界再生機構の局長宛のものではなくリーブ個人に宛てたものなのだろうか。
リーブはそう考えつつ、手紙の封を開けた。中身は何かの精密機械のようで、厳重に梱包されている。リーブはそれをはさみを使って慎重に剥がす。幾重にも重ねられた緩衝材の中から出てきたのはかなり旧式の記録媒体であった。今はもう使われなくなって久しいやつ。
怪訝に思いながらリーブはその記録媒体を持ち上げた。その拍子に厚みのあるカードが落ちる。リーブは床に落ちたカードを拾い上げ、目を通した。『ⅠNSプロジェクト 被験者様』――カードにはその一行のみ書かれていた。
リーブはそれを読み、自分が若かりし頃の、まだ二〇代に入るか入らないかくらいの時分に遡ったような心地がした。まさか。そんな。
ⅠNSプロジェクトはケット・シーがリーブの分身のようなものとなるきっかけを作り出した実験であり、そしてリーブもその実験の被験者であった。リーブはプロジェクトが中止になってからほとんど他人にこのプロジェクトのことを話したことはなかった。メテオが襲来した頃には、神羅内でもこのことを知る者はいなかったはず。それなのになぜ、誰が、どういった理由で。
リーブはもう一度記録媒体をじっくり眺めた。旧式の記録媒体であったため、局長室にある機材では記録されているデータを確認することは出来なさそうだった。倉庫にこの記録媒体を再生できるドライブは残っていただろうか。リーブの休暇は世界再生機構の倉庫を漁ることから始まりそうであり、中に記録されているものによっては、より詳しく調べる必要がありそうだ。
リーブはふうっとため息をつく。休暇らしい休暇にはなりそうになかった。
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ストライフ・デリバリー・サービスの配達の受付として利用している電話が鳴った。一コール目。店の主であるクラウドは遠方までの配達依頼を受けており、帰って来たのは早朝らしかった。マリンはまだ外が明るみ始めた頃にクラウドが立てた物音により一瞬目を覚ましたことから、そう予想していた。
二コール目。クラウドはまだ寝ているのだろうか。それも電話が鳴る音で目が覚めないくらい熟睡していそうだ。寝室からは物音一つ聞こえない。
三コール目。普段はもう少し待ってから、それでもクラウドが出ない場合に代わりに電話に出るのだが。クラウドは疲れているのだし、仕方ない。それに急ぎの依頼ではなかった場合、起こしてしまうのは可哀想だ。もし急ぎの依頼だったなら、その時起こせばいい――そう思い、四コール目で受話器を取る。「はい。ストライフ・デリバリー・サービスです」『ああ、マリンかね。エルミナだ――』マリンが聞きとれたのはここまでだった。鼓膜が破れそうな程大きな音が通話先から聞こえ、電話が切れる。大きな音――マリンの父であるバレットの右腕に装着されているガトリングガンの銃声の何倍も大きな音だった。まるで何かが爆発した音のようだ、とマリンは感じた。
マリンは慌てて受話器を元の位置に戻すと、クラウドを起こすために寝室へ向かった。昨日寝るのが遅かったからだとか起こすのは可哀想だとか言っている場合ではなかった。急ぎの配達依頼よりも火急の事態に値する。
「クラウド!」
「どうしたんだ?」
マリンは部屋に入ると、クラウドのいつもと変わらない落ち着き払った声がすぐに返ってきたことに驚いた。彼は先程起きたばかりではない様子で、寝巻きからは着替え終わっており窓から外を眺めているところだった。
「電話が鳴っていたことに気づいていたのに出なかったの?」
「出ようとしたけれども、先にマリンが出たから大丈夫かと思って」
「言い訳ばっかり!」
マリンは急いでいたことを一瞬忘れ、怒りが湧き上がってくるのを感じた。クラウドはいつもそうだ。配達で店にいない時間が長いことを考慮しても、明らかにマリンやティファやもしくはデンゼルが依頼を受ける頻度が多かった。マリンが思うに――クラウドは店に他に人がいると分かっているときは電話になかなか出ない傾向があるように感じられた。
「誰も店にいないときはちゃんと出るさ。それより、依頼の電話だったのか? にしては、話し始めてから終わるまで短かったようだが……」
クラウドは話を逸らすようにして、マリンに電話の相手を尋ねた。マリンはクラウドの言葉にこの部屋に来た目的を思い出す。そして、クラウドをまくし立てるように言った。
「エルミナさんが大変なの!」
クラウドはフェンリルをカーム郊外にある一軒の花屋の前に停めた。建物の脇を通り店の裏手に回る。裏側が住居用の出入り口になっているのだ。住居用の玄関の前にはここら辺では一番大きいのではないかという広さの庭があり、庭の大部分には店で売るための色とりどりの花が咲いていた。角の方に少しだけ家庭で使う分だけの野菜が育てられそうな畑もある。
クラウドが庭にある門から玄関まで続く木材で舗装された小道を中程まで進んだところで、ちょうど家から誰か出てくるのか建物の中からの話し声が耳に入った。玄関の扉を開け出てきたのは白衣を身につけた男であり、それを見たクラウドは服装からいってカームの街の医者であろうと見当をつけた。
「一週間程は店も休業にして、家で安静にしてください」と医者は杖の助けを借りながら立つ中年の女性――エルミナに向かって言った。
「ええ。わかりました。でも安心してください、もともと年末年始にはお店は営業しない予定だったので。ただ、休みの間に誘われていた予定に断りをいれなければならないのが悲しいのだけれど」
「もちろん、楽しみにしていたからって出かけるのも駄目ですよ――」
医者とエルミナが話し終えるのを待って、クラウドは玄関にいるエルミナに近づいた。途中、医者とすれ違い、クラウドは彼に道を譲る。「どうも」と軽くお辞儀をして医者は医療鞄を抱えながら足早に去っていった。こんな時期でも医者は忙しいらしい。
「クラウド」エルミナはクラウドが庭にいることに気がついたらしく、声をかけた。ちょうど医者の影に隠れて見えなかったのだ。エルミナはクラウドを一目見ただけで、彼がここに来た理由を察したようだった。「命に別状はないさ。まあ、とりあえず家にお入り」
クラウドが案内されたのは家のリビングルームらしき部屋だった。彼がこの部屋に入るのは初めてのはずだったが、初めて入る部屋のようには感じられなかった。その部屋はミッドガルのスラム街にあったエルミナとエアリスがかつて住んでいた家のリビングルームにとてもよく似ていたからだ。部屋の中央には木製のテーブルセットがあり、ちょうどいい塩梅で写真や花で部屋の至る所が飾り付けられていた。この部屋に入ったら誰もが温かみの感じる部屋だと感想を言うに違いなかった。
「何があったんだ?」クラウドはエルミナが彼の向かいの椅子によいしょと少し難儀しながらではあったが座るのを確認すると自分の方から話を切り出した。クラウドにしては珍しいことだ。「マリンが電話の先で爆発音のようなものを聞いたと。それで、安否を確認してきて欲しいと言われたんだ」
「朝、届いた手紙を窓辺に置いておいたんだ。今晩会ったときに相談したいことがあったから、持っていくのを忘れないようにしておこうと思ったのでね。――それが爆発したのさ」エルミナはそういいながら窓辺を指さした。衝撃は大きかったようで窓ガラスは全部割れ、辺りに散乱し、窓枠は折れてしまっている。
「私はちょうどあんたに電話をかけたときは窓から少し離れた位置にいたんだ。だから、ちょっとした怪我で済んだ」
「誰がこんなまねを……」
エルミナは軽傷で済んだと言ってはいるが、それは結果論であった。もし爆発したときに近くにいたら、もしかしたら怪我では済まなかったかもしれない。
「さっき、今晩会ったら相談したいことがあると言っただろ? それなんだけれども、手紙の宛先が――」エルミナは一呼吸おいた。エルミナにとっても信じがたいことだったのだ。「何年も前に亡くなった夫宛だったんだ」
「エルミナの?」クラウドもエルミナの言葉が信じられず、訊き返してしまった。「つまり、エルミナの死んだ夫宛の手紙が届いてそれが爆発したということか?」
エルミナは頷いた。「ああ。そうさ。私には全く心当たりがないんだ。手紙は爆発により跡形もなくなってしまったから中に爆弾以外に手掛かりになりそうなものが入っていたのかどうかもわからない。唯一の手掛かりは、私の記憶違いでなければ、消印がエッジの郵便局だったことだ。クラウド、あんたエッジに住んでいるだろ? 調べてもらえないか?」
いつもならこういった依頼は、自分は配達屋だから――と言って丁重にお断りするところだが今回は断るわけにはいかなかった。もし断った場合、マリンに嫌味を言われそうというのもあったし、エルミナの娘が生きていたら怒られそうだというのもあった。そして何より一番の理由が、エルミナの娘――エアリスに関することでクラウドはエルミナに対して負い目があったのだ。
「わかった。引き受けよう」
「ありがとう。クラウド」エルミナは申し訳ないね、という体で言った。そして、「もう一つ頼みがあるのだけど」と続けた。
「なんだ?」
「医者から安静にしているようにと言われてね。すごく楽しみにしていたのだけれども、あんたたちの年越しパーティーには参加できなさそう」他人の表情からその人の感情を察することが得意でないクラウドからでもエルミナがすごく落ち込んでいるのが見てとれた。エルミナはエアリスが亡くなった場所である忘らるる都を訪れることを以前から渇望していたのだ。しかし、ここから忘らるる都まではかなり距離があり、それに加えてモンスターが出現するような人の行来がほとんどない道を通る必要があったため、今までそれが実現しなかったのである。今回、忘らるる都で忘年会と新年会を兼ねた年越しパーティーをやろうという話になり(旅の仲間たちの誰もがつい最近まで世界に蔓延っていた疫病――星痕症候群――の流行が治まったのはエアリスのおかげだと思っており、それで、エアリスへ礼を言うためにも彼女の眠る忘らるる都で年越しの案が挙がった)、シドが飛空艇でエッジの郊外までクラウドたちを迎えにきてくれることになったため、エルミナも誘ったのだ。飛空艇を使えばエッジもカームも同じ場所にあるようなもの。わずか数分で行き来できる距離だ。エルミナはその誘いにその場ですぐ返事をした。「とても嬉しい誘いだ。もちろん参加させてもらうよ」
「それで、花束を持って行って欲しくてね」エルミナはそう続けた。
「そんなことは頼みのうちには入らないさ」
「ありがとう。今用意するから待っていてくれ」と言い、立ち上がろうとする。クラウドはそれを止めた。怪我人にやらせるようなことではない。
「俺が代わりに花を取ってくる」
「あんたに花を選ぶセンスなんてあるのかい」
「――じゃあ、エルミナが選んでくれ。言われた花を取ってくるから」
「花の名前がわかるのかい?」
クラウドは返答に言葉を詰まらせる。そして暫くの沈黙の後、「エアリスから買った花なら、名前はわからないがわかる。黄色くて花びらの先が尖っているやつだ」と返した。
「ああ、あの花ね」エルミナは少し考え込んでから言った。「それなら、その花を摘んできてもらおうか。あんたとエアリスの思い出の花らしいしね」
クラウドがエルミナに頼まれて忘らるる都まで花束を届けるのは二度目のことだった。
同日、日が落ちてきた頃、クラウド、ティファ、マリン、デンゼルの四人はセブンス・ヘブンからクラウドがカームに行っている間にティファが腕によりをかけて用意した大量の料理と、数日前から用意しておいたとっておきの飲み物たちをシドとの待ち合わせ場所として指定してあるエッジの郊外まで運んでいた。店にあった配達用の小さな荷車一台では納まりきれず、もう一往復しなければならなかったため、少し急ぎ目に。
待ち合わせ場所には既に飛空艇が停まっているのが遠くからでも見て取れた。飛空艇が停まっていることが視認できた位置から数分歩くと、シドとケット・シーが飛空艇の下に立ってクラウドたちを待っていることが確認できる。マリンとデンゼルは二人に向かって手を振った。こちらに向かってくる集団に気がついたようでシドとケット・シーも手を振り返す。
「やっとついた」
シドとケット・シーの元に着くなり四人は口々にそう言った。
「なんとまあ、すごい量やな」ケット・シーは荷台いっぱいに積まれたものを見て言う。
「ええ、でもまだあるの。店に載せきれなかった分の飲み物とあとお皿やコップなんかがあるから、もう一往復しないと」とティファはケット・シーとシドに対して言った。そして今度はこの場にいる全員に向かって、「さあ、早く荷車に積んである荷物を下ろしてしまいましょう」と呼びかけた。
「エルミナとの約束の時間には間に合いそうか? 今から店まで行ってここまで戻ってくることを考えると、俺が荷物を持ってくる間にカームへ行ってエルミナを飛空艇で拾ってこようか?」とシドは申し出る。
「ああ、それは必要ないんだ」クラウドは皆にエルミナに起こったことで心配させないように、いつもの調子で言うことを意識して話し始めた。「残念だが、エルミナは急遽来れなくなったんだ」
「一体なぜ?」シドは訊き返す。「あんなに楽しみにしていたというのに」
「あー、その、ちょっとした怪我をしてしまって、医者に安静にしていろと言われたらしいんだ」
「大丈夫なんでっか? 怪我の程度は」ケット・シーは淡々と尋ねた。彼はいつもならこういうときもなるべく明るく振舞うように努めているはずだった。彼にしては暗い雰囲気なのは、エルミナのことが心配なのだろうか。ケット・シーは(正確には本体であるリーブが)以前、エルミナとマリンを人質として利用したことがあり、良い関係かどうかは別にして彼らは顔見知りではあった。
「一週間程で治る怪我だそうだ――」
「話の続きは後にして、こっちを手伝ってくれないかな?」ティファはこのままだと話が長引きそうな雰囲気を察して言った。「早く運び込まないと、ユフィとの約束の時間に間に合わないでしょ」
「それもそうやな」ケット・シーは言った。クラウドたちを拾った後はウータイに行く予定だった。「ボクはこの体型やから重い物は運べなさそうやし、軽い物を運ぶわ」ケット・シーは自分の身体を見て言った。彼はマリンやデンゼルよりも背丈が低かった。
「前から思っていたんだが」シドは酒瓶の入ったケースを持ち上げながら言った。「お前さんが操縦していたデブモーグリはどうしたんだ?」
「あれは神羅で製造しとった部品を使うて作られとったんや。修理が必要な状況になってしまったやねんけど、部品はもう手に入れらへんし修理できなくて。リーブはロボットは専門外やから、代わりの部品を取り寄せて直すこともできんかった」
「神羅のエンジニアだったのに修理できないのか?」クラウドは最後の荷物を飛空艇に運び込みながら純粋に疑問に思って言った。
「クラウドさん、貴方はバイクに乗りながら剣を振り回したりとアクロバティックな走行ができるけれども、車を運転しながらそれができるかといったらそういうわけやあらへんやろ」
クラウドは深く納得した。彼は確かにバイクの運転技術は他人よりあると自負していたが、車を運転した経験はほとんどなかった。
「さあて、セブンス・ヘブンに戻って残りの荷物を持ってきてしまいましょうや!」
ケット・シーは気持ちを切り替えるように張り切って言った。いつものケット・シーだ、とクラウドは思った。安心して彼の後に続く。
「あのね、クラウド」マリンはクラウドの服を軽く引っ張り、ケット・シー達について行こうとするのを引き止める。「ケット・シーはエルミナさんにきっとあまり会いたくなかったと思うの」マリンはクラウドと同じことは思わなかったようだった。
「なぜ?」と訊きながらもクラウドの頭の中ではエルミナとマリンが人質として利用されていたときのことが思い出されていた。人質といっても、もちろん暴力的なことは一切されていなかったが。
「ケット・シーは――リーブさんはエルミナさんの旦那さんとお友達だったらしいの。初めてエルミナさんの家にリーブさんが来たときそう言ってた。それから、定期的に家に来るようになったんだ。私たちはそのときは知らなかったけど、クラウドたちに対しての人質として利用することを目的に監視していたんだ、って後になって知った」
「なるほど。それでエルミナとリーブの仲はあまり良いとはいえない状況なのか。――本当のことを、リーブが俺達への人質として利用していたことをエルミナに打ち明けたとき、マリンもそばにいたんだな」
「うん。だって、リーブさんは私のことだって騙していたんだから、私に対しても謝るのは当然でしょ? 良い人のように見せかけて本当は悪い人だった、って打ち明けたとき、エルミナさんはとても怒ってた。――加えてとても悲しんでいた」マリンは言いながら当時の様子を思い出し、そのとき感じたようにとても悲しい気持ちになった。「エルミナさんの旦那さんがまだ生きていたとき、リーブさんとエルミナさんの間でも交流はあったらしいから」
「マリンは怒ったり悲しくなったりしなかったのか?」言いながら、クラウドはマリンの頭の上に右手をポンと置いた。二人は立ち止まる。
「悲しかった。でも、なぜ悲しかったかっていうと、エルミナさんとリーブさんの仲が一瞬にして悪くなってしまったから。あんなに楽しそうにお喋りしていたのに。今も仲直りできていないことは確実だよ」マリンは十メートル程先を歩くケット・シーを見た。「だって、明らかにケット・シーの様子がおかしいもの。エルミナさんの怪我のことを訊いたときのケット・シーは、何ていうか、うまく言葉で言い表せないけれどもいつもと調子が違かった。でも、そのすぐ後には違和感を感じた彼の調子はいつものように戻っているように感じたの」
「そうか」クラウドはマリンの頭から手を離した。マリンとクラウド以外のメンバーは二人の先を歩いていた。どんどん距離が空いていく。
「なあマリン。今日の昼間にあった出来事をリーブに話してみても良いか? エルミナの夫と友人だったんだろ。何か心当たりがあるようなことがあるかもしれない」
マリンにはエルミナの元に届いた夫宛の手紙が原因で怪我を負ったことは既に話してあった。マリンの予想が正しいならばあまり話すべきことではないかもしれなかったが、今はとにかく情報が欲しい。マリンもエルミナに爆弾を送りつけた犯人は一刻も早く見つけて欲しいと思っているようで、クラウドの提案に頷いた。それを見、クラウドは彼ら以外のメンバーの中で一番後ろを歩いていたケット・シーの肩を叩く。
「なあ、エルミナの怪我のことなんだけど――」クラウドは話しかけた相手が自分の方を見上げたことを確認すると、返事が返ってこないうちに今日の昼間のことを話した。簡潔に、けれども情報の漏れがないように。クラウドは話をまとめるのが上手かった。
ケット・シーは『エルミナの夫宛の手紙』という単語以外、特に目に見えた反応は表さずクラウドの話を聞いていた。そしてクラウドが最後に「エルミナの夫が生前関わっていたこととかで何か心当たりになるようなことはないか?」と訊くと、少し考えたのち、「特に心当たりになることはありませんね」とケット・シーとして話すときではなくリーブのときの口調で返した。
「でも、現在、個人的に見たい記録があって神羅の記録を調べられないかどうかと考えていましてね。ここに来る前に打診のメールを送ったんです。エルミナの夫のことも一緒に調べておきますよ。何か手掛かりになるような記録が神羅のデータベースに残っている可能性もありますから」
「ありがとう、助かる。打診相手は了承してくれそうなのか」おそらく打診相手というのは神羅が崩壊した際に社長だった者だろう(クラウドは一ヶ月も経たないくらい最近に彼の――ルーファウスの生存を知る機会があったのだ)、とクラウドは当たりをつけていた。
「ええ。彼らには断る理由もありませんし。まあでも、そこは気にしなくて構いません。断られた場合でも調べますから」彼がルーファウスに打診のメールをしたのは形式的なものであった。
リーブはクラウドの話を聞きながら先日、自分の元に届いた手紙のことを考えていた。まさかこれは偶然なのだろうか。そうだと少しは思いながらも、リーブは自分の中だけで決めつけたのだ。この二つのことに関連性はないと。彼自身がそう思い込みたかっただけなのかもしれないが。
「貴方はこの会の後、エッジの郵便局に話を聞きに行くんでしたね。でしたら、お互いにわかったことを共有する場を数日後に設けましょう。とにかく、今はセブンス・ヘブンから荷物を運ばないと。あんまり歩くのが遅いと――」
「クラウド! ケット・シー! お喋りに夢中になっていないでちゃんと着いてきて」
ティファは遅れている二人に聞こえるよう大声で言った。いつの間にか、二人と他の者達との距離はかなり空いてしまっている。「ほら言わんこっちゃない」とケット・シーは小声で言った。クラウドは肩を竦めてからケット・シーの分も含めて返事をした。
「わかってる! 今行く」
[u]-εγλ 1989
リーブは十六回目の不合格だという内容を婉曲的に伝えるメールを確認し終えた。ここまで何回も不合格通知をもらってしまうと、十六回目、二進数で考えるとけっこうきりの良い数字だな、という感想しか今回は浮かばなかった。もう何度も悔しいだとか悲しいだとかいうことは思っているのだ。いちいちそう思っていたら余計に精神をすり減らす羽目になる、とリーブは考えるようになっていた。
リーブの学校の同期は既に大多数の者が進路を決め終えていた。なぜそのことがわかったのかというと、入社までのどこかの時間で旅行に行こうという話をしていたからだ。社会人になってからはまとまった長期の休みを取れる機会はそう多くないと皆考えていた。ミッドガルの外との交通手段はあるにはあったが、そこまで本数が多くない上にしっかり舗装されていない道を行かねばならないため時間がとにかくかかったし、その乗り物の乗り心地はすこぶる悪かった。ミッドガルでの暮らしに慣れてしまうと目的地までの移動が楽しめず、むしろとてつもない苦痛を感じる人も多く、旅行を断念する者も多かったが、彼らには関係なかった。彼らはまだ若く(一番年齢が上の者でも二〇を少し超えたくらいだった)、そういった交通の不便さを非日常として楽しむことができたからだ。
「なあ、リーブ。今度ミディールまでクラスの連中と旅行に行く話がでているんだが、一緒にどうだ?」
ある日、クラスメイトの内の一人が訊いてきた。彼は先日まではクラスの中ではもう数少ない、進路がまだ決まっていない者のうちの一人だった。先日までは、というのは彼はちょうど一週間前に就職先を決めたのだ。彼から報告を聞いたとき、リーブはもうかなり焦りを感じており心の余裕がなかったため、素直に祝福することができなかった。そのため、冗談っぽく聞こえるように努めつつも彼に言ってしまったのだ。「抜け駆けするなんて!」
「僕がまだ進路を決めていないことを君は知っているだろ」
「その理由だけで旅行に行くことを諦めるのか? 最悪、就職活動は来年まで続けられるかもしれないが、今回のメンバーで旅行に行けるのは最初で最後の機会なんだぞ。なんなら、俺の親に斡旋しようか?」
彼の両親は神羅カンパニーの中でもそこそこ上の地位にいる社員だった。それも、社員の採用の可否に意見することが可能な程の。リーブは以前からそのことを知っており、そのため、彼の家がかなり裕福であることも分かっていた。
「今年中に進路を決めなくてもなんとかなるのは君だからだよ。僕の場合、母がミッドガルに行くことを反対していたのにこの学校に入学したんだ。それで、進路が決まりませんでしたって実家に戻るのか? そんなことはできやしないよ。それに、君が斡旋する必要もないさ。そういうのは嫌なんだ。君だって親のコネを使うのは嫌で自分の力だけで頑張ってたんだからわかるだろう?」
「まあ確かにそうだが。よし、そんな頑張るリーブ君に俺からのアドバイスだ。いいか、神羅カンパニーってのは会社にとって従順な者を求めているんだ。決して、面接官に対して神羅を変えていきたいとか言ってはだめだ。とにかく神羅が喜びそうな返答をすることが面接を制するコツさ。全ての科目で下から数えた方が早かった成績の俺だって受かったんだ。俺より成績の良いリーブがどこも受からないはずはないさ」
「軍事学校に通っているのに射撃以外の戦闘実技の成績が軒並み低くてもか?」
「座学はトップの成績なのにな、お前。なあ、ミッドガルには大学もあるんだし、編入したらどうだ? この学校の卒業生にも毎年何人かそういう人がいるみたいだし」
「僕がなぜ、大学ではなく軍事学校に入学したかの理由をまだ話していなかったか?」リーブは彼が言ったことは至極最もだと思ったし、実際、リーブ自身も自分は軍事学校には向いているか向いていないかでいえば、どちらかといえば向いていないと思っていた。「ミッドガルの大学はミッドガル市内に住む者に対しては奨学金制度があったが、市外に住む者に対してはないんだ。親が反対している以上、学費を払ってもらうことはできなかったし、講義を受けながら自分で稼げるような額でもなかった」
「リーブ、お前って苦労しているんだな」彼はしんみりと言ったあと、一変してこう続けた。「でも、そんな状況だからこそ旅行にはリーブも参加するべきだ。旅行の予定が存在することで、旅行に行くことを目標に頑張れるだろ?」
「もし今、この場で進路が決まったとしても君たちの旅行には参加しないさ」リーブは彼の何としてでも旅行に誘おうという押しの強さに呆れながら言った。「何故かって? 僕にとってミディールへ行くことは旅行ではない。帰省だからさ」
リーブの通う学校には一ヶ月に一回程特別授業というものがあった。何が特別なのかというと、実際に神羅カンパニーで働く者達を講師として招いていたことだった。今日は年に二回、上半期と下半期の一回ずつに順番が回ってくる総務部調査課(タークスと言った方が一般的か)で働く者による授業が行われる日だった。
いつも通り授業が終了したあと、リーブは講師のヴェルドに呼び出された。リーブはヴェルドのことを特別授業の講師の中で一番気に入っていた。特別授業の講師が毎回ヴェルドであったらいいのに、と考えるくらいには。おそらく、そう思っている生徒は多いはずだとリーブは予想していた。彼の授業は理論的かつ実践的であり、他の講師と違ってまだ経験の少ない若者である生徒達を下に見たりは決してせず、対等に見ていたからだ。
「私が君を呼んだのは、君をタークスにスカウトしたいからだ」
ヴェルドはリーブが正面の椅子に腰を落ち着けるなり言った。この話を始めたのが他に誰もいない講義室であったことから、リーブは他の者に聞かれては困る話なのだろうな、と考えた。タークスは神羅の特殊工作部隊であり多くのことは一般には知られていない。どのような基準で選ばれるのかも明らかにされていないし、そうすることでメンバーがどのような技術を得意としているかを広く知られることを防いでいた。タークスはその性質上、長く在籍している者が多い(簡単には辞められないということだ)。メンバーの詳しい情報を知られ、任務に支障がでないようにするための対策は大いに必要だった。
「今のタークスには後方支援に特化したメンバーがいなくてね。君の成績を見たのだが、是非うちにと思ってね」
「それは本当ですか」リーブの返答にヴェルドは頷く。「もちろん、この話を引き受けるか否かはよく考えるべきだ。まずは――」「もちろん引き受けます」
リーブは即答した。ヴェルドはリーブの言葉がすぐには飲み込めていないようだった。タークスはもちろん公にはされていなかったが、神羅カンパニーの汚れ仕事を請け負っているという噂はミッドガルに住む多くの者が知っていた。もちろん、ミッドガルに住んでいる上に軍事学校の生徒であるリーブもその噂は何度も聞いたことがある。
「私はまだ就職先が決まっていませんから、このままだと田舎にある故郷に戻らなくてはならなくなります。教官の申し出はミッドガルに残りたい私にとって願ってもないことだったんです」リーブはヴェルドから訊かれるであろうことを先回りして言った。
「君が学校に提出した書類を見た。ミディールに母親が住んでいるらしいが、故郷にいる家族のことはいいのか? そう頻繁に故郷には帰れなくなるし、それに――一般的に好かれるような仕事をする組織ではない」
ヴェルドはリーブの母への心象を気にしてくれているようだった。リーブはきっとこの人は家族をとても大切にする人なのだろうな、と思った。きっと皆が理想とするような幸せな家庭で育ったか、そのような家庭を築き上げたか、はたまたその両方なのだろう。リーブも自分の母のことは嫌いではなかったし一応愛してはいたけれども、頻繁に会って話したいとは思わなかった。リーブの母は田舎の長閑でほぼ変わりばえのしない生活が好きであったが、リーブは変化の移り変わりの激しい都会での生活の方が好きであった。他にも色々、リーブと母は考え方が正反対であり、そのせいかよく揉めた。母はよく、リーブのことを早くに亡くなった父と性格がそっくりだと言った。要するにリーブとリーブの母は気が合わなかったため一緒にいるべきではなかったし、母の意見をリーブは端から聞くつもりはなかった。
「おそらく、教官からスカウトを受けた話をしたら母は反対するでしょうよ。というより、私がミッドガルに残るような選択だったらどれも反対するはず……でも、これは私の人生なのです。私自身が選ぶべきなのです。こういった事情ですから、どんな仕事についたかは実際に働き始めてから言おうと思っています。それだと不都合でしょうか?」
「いや」ヴェルドはリーブの目を真正面からしっかり見る。そして、顔の前で組んでいた手を組み直してから言った。「タークスは実力主義だ。その人の事情などはどうでもいい。実際、込み入った事情を持つメンバーもいるからな」
ヴェルドは手を差し出した。
「君のタークス入りを歓迎するよ。次年度からよろしく、リーブ」
入社してから最初の二ヶ月は研修や歓迎会などであっという間に時間が過ぎていった。タークスの年若のメンバーが企画した新入メンバーの歓迎会には、行われる日にミッドガルにいる予定のメンバーは全員参加することになっていた。リーブはそのことにとても不安を覚え、乗り気ではなかったが、その年に新しく入ったのはリーブだけであったため参加せざるを得なかった。
「どうしたんだ、新人。あまりこういう場は好きではなかったかな?」
先輩のうちの一人が歓迎会中にずっと浮かない顔をしているリーブに話しかけてきた。彼はタークスの中でも真面目で様々な人の相談にも親身になって聞いてくれる人だと、この二ヶ月程の間で感じていたためリーブは正直に言うことにした。
「別にこういう場は嫌いではないです。ただ……今日ミッドガルにいるタークスのメンバーは全員この場にいるではないですか。もし、緊急に招集がかかったらどうなるのかと考えてしまって」
「そんなことを考えているなんて、君は真面目だなあ」先輩はうんうんと頷きながら言った。彼にそう言われるとは。「俺達は神羅に給料、つまりお金という対価をもらって彼らのために働いている。別に神羅やプレジデントに対して忠誠心があって働いているわけではないんだ。利害関係に基づいた契約を我々は結んでいる」
「どういう意味ですか?」
「つまり、もし、彼らが頼む仕事がハイリスクな仕事であったときはその分手当てをたくさん要求するべきだし、彼らが払う報酬分の仕事ができなさそうな状況であるならば断るべきだ。例えば、今回の場合、酒を飲んでしまったメンバーは通常通りの能力を発揮できないから断るべきだというわけだな」
その理論でいけば、ここにいる者のほとんどが断らなくてはならないだろうな、とリーブは思った。
「私のために開かれた会で会社からのタークスの印象が悪くならなければ良いのですが……」
「今までの神羅カンパニーに対する我々タークスの功績を考えれば多少悪くなったところで問題はないさ。それにリーブ、君は何か間違いを起こしてしまいそうだから言っておくが――オンとオフの使い分けは大事にするべきだ。これから、自分の意にそぐわないような命令を聞かなければならない事態も出てくるはずだ、ターゲットの人生を悪い方向に変えてしまうような。でも、オンのときにそういった命令通りの働きはしても、オフのときは自分の考えに基いて行動するべきだ。人を殺したって、騙したって、自分の善悪の物差しは失ってはいけない。あくまで我々は神羅の命令により動くのだ」
それから、しばらくして、リーブは先輩と共に実際の任務につくようになった。多くリーブとペアを組んだのはリーブにアドバイスをくれたその先輩であり、彼は未熟な新人の失敗をフォローしたり、アドバイスしたり熱心に指導した。彼はその人間性から他の部署にも友人が多いようで、リーブが情報技術に興味があることを聞くと、コンピュータに詳しい兵器開発部門で働く友人を紹介してくれた(彼は、兵器に用いるプログラムを書くことを仕事としていた)。リーブは先輩が紹介してくれた友人とコンピュータやプログラムに関する話をしたり、共に勉強することを少ない休みの日の楽しみとするようになった。
リーブの神羅カンパニーでの、タークスでの生活は順調だった。そして、先輩について任務にあたるようになってから三ヶ月が過ぎた頃、リーブは初めて先輩の助けなしで任務にあたることになった。その任務は、神羅カンパニーの一般兵一名とジュノン支社へ赴き、そこでそこそこ上の地位に就いているジュノン都市開発事業部長の不正の証拠を得ることであった。
それは、もともと後方支援やスパイとして採用されたリーブ向きの仕事であり、この任務を一般兵一名と任されたということはリーブの成長が認められたことを意味していた。しかも、今回は社長からタークスにされた依頼であり、それをタークスの主任がリーブに任せてくれたのだ。この期待に応えたいとリーブは思ったし、そのため失敗は許されないと考えた。
共に任務にあたる一般兵とはミッドガルの七番街にある七六分室のヘリポートで待ち合わせだった。リーブは待ち合わせ時間ぴったりに着くようにヘリポートへ向かった。着くと、既に青い制服を身につけ、ヘルメットを被った兵士が待っていた。
彼は(リーブは事前に聞いていた名前から一般兵の性別が男であることは把握済みだった)リーブの着ている服から今回の任務で組む相手だと気がついたようだった。リーブに近づくと、リーブから話しかける前にヘルメットを取り、彼の方から自己紹介を始めた。
「はじめまして。今回共に任務にあたります、ベン・ゲインズブールです」