Peoneyboy

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第2章

[u]-εγλ 1990

「まさか、初対面の人と同室なんて……」
 リーブは今回の任務のために用意されていた部屋に入り、二つ並べられたベッドを見てそうぼやいた。彼は他人と同じ部屋で寝泊りすることを心底嫌っていた。もともとあまり好きではなかったが、より嫌いであることに拍車をかけたのが学生時代に住んでいた寮で朝型のルームメイトと同室であった経験からである。リーブ自身は夜型で日付が変わってから寝るのだが、ルームメイトは夕食後シャワーを浴びてすぐ寝、夜が空けて一時間くらいで起床していた。問題だったのが、そんなルームメイトの日課が朝のランニングであり、その支度の音で起こされた経験が何度もあったことである。リーブはそれとなく彼に言ったこともあったのだが、君が夜更かししているのがいけない、で全て片付けられてしまった。世間一般的に早寝早起きは良いことだ、と言われているからリーブはそのときは何も言い返せなかったが――授業に遅刻しない範囲で遅くまで寝ていることぐらい自由にさせて欲しかった。
「仕方ないじゃないか。今夜、ここジュノンで有名な楽団のクラシックコンサートが開かれるから、どこもホテルが満室で、今回の任務が決まったときには既にこのホテルのツインルームしか空きがなかったらしいんだ」
「つまり、ここが空いていなかったら野宿する羽目になっていたのか。そうならなくて良かったです」
「ああ。それは同感だ。まだ若かった頃、もっと下の階級にいたときは遠征で野宿をすることも多々あったが、あれはもう経験したくないからな」
 ベンの話しぶりからすると彼は神羅に入社してから大分経つ、ベテランの兵士らしかった。そうでなければ今回のような任務に携わることもないだろう。リーブのような神羅の中でも特殊な、精鋭部隊にいる者でもなければ。
「それにしても、ツインルームは他のタイプの部屋に比べて人気がないのでしょうかね」
 リーブはなんとなく言った。任務開始まではまだ時間もあるし、こういうときは雑談でもしてリラックスするべきだった。力みすぎると本番で本来の力は発揮できない――これはリーブの先輩の言葉だ。
「ああ、その理由は単純だ」リーブとは違って、ベンはこの状況の理由が予想できているようだった。「クラシックコンサートに行くのは、クラシック好きかカップルだと大体相場が決まっている。俺も今日この街に来ている楽団のミッドガル公演を先週の休みに妻とのデートで聴きに行ったが、良かったぞ」
 その二種類のうち、ベンは後者の方に当てはまるに違いなかった。反対に前者に当てはまるのは今回のターゲットのジュノン都市開発事業部長だろう。事業部長は無類のクラシック音楽好きであり、なおかつ今回の演奏会で指揮を振る指揮者の大ファンでもあった。それこそ、その指揮者が指揮をする演奏会は余程のことがないかぎり、都合をつけて聴きに行く程には。今回の作戦決行の日と演奏会の日が重なったのはそういう経緯があったからであった。タークスに依頼したのは社長という神羅カンパニーの中で最も上の立場にいる人物ではあったが、証拠が見つかるまでは事業部長に不正について調査されていることを悟られてはならない。そのため、事業部長が確実にジュノン支社にいないときを狙う必要があった。
「既婚者だったんですか」
「ああ、妻はミッドガルの五番街スラムの外れで花を育てている」
「スラム? 貴方の話ぶりからすると軍のそこそこ上の階級にいるようですが……プレートの上に住まないのは何故?」
 リーブは疑問に思った。神羅カンパニーの本当に末端の社員の中にはスラムから出勤している者もいたが、大体の社員はプレート上に住んでいたからだ。特別な理由でもないかぎり。ミッドガル市民にとってプレートの上に住むことは皆憧れていたし、それができる状況ならば住まないという選択をする人はほぼいなかった。
「プレートの上だとあんなに立派な花畑は作れないからな」
「花なんかのために?」
「実際に見てみればわかるさ。今度、家に来るといい。その発言は失言だった、ってことを認めたくなるはずだ」
「すみません」リーブは謝った。ベンにとって妻が世話をする花畑というのは特別なものに違いなかった。それに対してさっきのような発言は、相手の気分を害するものだ。これから共に重要な任務に就くというのに、支障が出るような事態になってしまうのは避けたかった。
「別に気にしていない。ほとんどの者はこの話をすればそう言ってくる。――それより、任務開始の前に仮眠をとっておかなくていいのか。時間になったら起こしてやる」
「貴方は、大丈夫なのですか?」リーブはベンがそれほど気分を害していないことに安堵しながら言った。
「俺はミッドガルからここに来るまでの移動中に寝ていたから大丈夫だ」
 そういえば、ジュノンに向かうまでのヘリコプターの中でもジュノンに到着してからこのホテルに向かうまでの車中でもベンは寝ていた。リーブは運転手であったため移動中に仮眠をとることはできなかった。ヘリコプターを操縦したのは訓練以外では初めてのことだったが、ベンが道中寝ていたということは操縦が下手ではなかったのかと思い、リーブは安心した。ベンがどこでも寝れるような質であったならば、そのことは証明できないかもしれないが。
「それならば、お言葉に甘えましょうかね」
 リーブはベンならば同室でも大丈夫だな、と思った。彼はかつてのリーブのルームメイトと違って他人のことを気遣える人だ。リーブの睡眠の邪魔をするようなことはしないはず。リーブは内心、ミッドガルからジュノンまでのそこそこある距離の移動で少し疲れを感じていたため、ベンからの申し出はありがたかった。
「ああ、そうするといい。夜は長くなりそうだからな」



 ジュノンのコンサートホールでの演奏会が開演された頃、作戦は決行された。リーブとベンは目立たないよう量産型のスーツを身につけ、ジュノン都市開発部門のオフィスがあるフロアを訪れた。リーブのネクタイが曲がっていたり、ベンのシャツにシワが寄っているのが今日一日忙しく働き仕事に疲れた社員、というような雰囲気を醸し出している。実際のところはベンがリーブのことを起こすと言ってたのに彼もその後居眠りしてしまって、二人が起きたときには既に作戦開始まであと一時間を切っており、時間がなかったためである。リーブは自分が事前にジュノンの地図を暗記し、道が混む時間帯などの交通状況を調べていたことに感謝した。そのおかげで渋滞を避け、なんとか定刻通りにジュノン支社にたどり着けたのだ。備えあれば憂いなし、とはこういうことだろう。
「作戦中は居眠りするようなことは絶対にしないでくださいよ」リーブは汗を拭いながらさらに念を押した。「絶対に」
「わかってるって。本当にすまなかった」
 リーブはベンの謝罪の言葉を聞き、少しだけ機嫌を直した。そして、持ち物の最終確認をする。無線通信機――これはベンと作戦中に連絡をとるためだ。ベンはこのフロアのエントランスで作戦中に事業部長の部屋を訪れそうな者がいないか見張ることになっていた。記録媒体――これは目的のデータを保存するためのものだ。そして、IDカード――これは事業部長のオフィスへ侵入するためのものだ。ミッドガルを出る直前に支給されたものである。誰が用意したのかは知らないが、部屋の扉をハッキングする必要がないのはありがたかった。事業部長は一応はジュノンで働く都市開発部門に属する者の中で最も上の地位にいる。もしかしたら、今回のことが依頼された経緯を考えると、社長の命令により用意されたのかもしれない。神羅カンパニーにおいて社長というのは絶対的なものなのだ。
「俺は打ち合わせ通りここで誰かが事業部長のオフィスの方へ向かって行かないか見張る」言いながらベンは事業部長のオフィスがある側を見た。エレベーターから出て右側にある扉を抜けた先の廊下には、いくつかの資料室と事業部長のオフィスが位置している。
 リーブはベンの言葉に頷き、IDカードで扉を開けた。そして廊下を進む。一番奥にある扉が事業部長のオフィスだ。リーブは事業部長のオフィスの扉の脇にあるカードリーダーに緊張しながらカードをかざした。もちろん、問題なく扉は開く。
「事業部長のオフィスに無事侵入できました」小声でリーブは通信機に向かって言った。ベンに状況を報告するためだ。
「事業部長のコンピュータを発見しました」コンピュータは部屋の中央の机に置かれていた。会社から支給されている最新モデルのデスクトップ型のコンピュータだ。もちろん神羅製の。「コンピュータにアクセスを試みます」
 コンピュータに掛けられているロックは管理者権限でアクセスし、事前に変更してあった。つまり、事業部長が設定したパスワードではないパスワードが現在設定されているのだ。もし、事業部長がこのコンピュータを使おうとすれば、外部から操作されたことは明らかにわかるであろう。要するに、この作戦は状況がよくなくなってしまっても進行を止められないものであり、そしてなおかつ今回しかチャンスのないもの――今回限りの一発勝負であることを意味する。再び出直すということはできないのだ。
 そう考え、リーブの中で緊張感が高まった。自分の気持ちを落ち着けるため、一回深呼吸をする。力が入りすぎると本来の力は発揮できない、そう言い聞かせるとリーブは先程よりかはいくらか落ち着いたことを感じた。引き続き作戦の実行を続ける。パスワードを入力し事業部長のコンピュータのロックの解除を行う。
「パスワード入力。ロックを解除しました」
「順調だな」
 今まで黙っていたベンがそう一言喋った。
「ええ。でもまだ気は抜けません――」リーブは喋りながらも手はマウスを操作していた。それらしきファイルがないか一つ一つチェックする。素早く、それでいて正確に、見落とすことのないように。
 事業部長はどうやら几帳面な性格のようで、カテゴリーごとに分かりやすく名前の付けられたディレクトリにファイルが整理されていた。そのことにリーブは感謝した。雑然と並んでいる中からより、ある規則に則って並ぶ中から目的のものを見つけ出す方が容易であるからだ。それは今回の目的のファイルについてもいえる。整然と並ぶ中で一つだけ、名付けに適用されているであろう規則に従わない名前が付けられたディレクトリが目についた。これだ、これに違いない。
「目的のものを見つけたかもしれません」リーブはベンに報告した。ディレクトリの中身を見る。日付、ファイル名――事前にあった情報と一致している。ビンゴだ。事業部長の部屋への侵入時が最も今回の作戦の中で失敗のリスクの可能性がある場所であった。リーブは何事もなく任務を終えられそうだ、と思った。何かトラブルは起きないに越したことはない。タークスの中にはトラブルを楽しむような輩もいるらしいが、リーブにはそういった人の考えは一生理解できそうになかった。リーブは一応ファイルの中身を軽く確認しておこうと思い、ディレクトリの中で一番上にあったファイルを開こうとした。
「まずいですね……」
「どうかしたか?」
「ファイルにパスワードがかかっています」
 事業部長は几帳面な性格であった。数分前はそのことに感謝したリーブであったが、今度はその几帳面な性格を恨むことになった。パスワードをかけられていては証拠のファイルを入手したとしても、その中身を見ることはかなり厳しい。
「第三者が予測できるようなパスワードであれば良いのですが」リーブは言いながらポケットから記録媒体を取り出した。とりあえず、後のことは安全な場所に移動してから考えるべきだ。ここに長居するということは、事業部長、もしくは他の見つかってしまうとまずい人物に発見されてしまうリスクを高めることになる。「目的のファイルたちをコピーします――」
「ああ、大変だ! リーブ」ベンは酷く慌てた様子で言った。
「どうしました?」
 リーブはベンにつられて慌てないようにいつも以上に落ち着いた調子で訊いた。慌てるような状況でも平常心を保つことは重要だ。何かトラブルでも発生したのだろうか。やっぱり、任務にトラブルはつきものなのだな。仕方がない、ここまでが順調すぎたのだ――危うく作戦開始時間に遅刻しそうになったことを含めなければだが。
「事業部長が、ジュノン都市開発事業部長がエレベーターで上がってくるのが見えたんだ」
 ジュノン支社のエレベーターは側面がガラス張りになっており、ベンのいるエントランスからは誰が乗り込んでいるのかを確認することができた。
 リーブは左腕の腕時計を確認した。まだ時間的にコンサートは前プログラムが終わるか終わらないかという時間なのに――まずいことになった。リーブはコンピュータの画面を見る。数がそこそこあったのとファイルのサイズが大きかったためか時間はもう少しだけかかりそうであった。
「ベン」リーブは無理難題であることは承知の上で頼んだ。「データのコピーにはあともう少しかかりそうです。事業部長を足止めしてください。三分――いや、二分でいい」
「そんな無茶な!」
「無茶かもしれない。でも、やってください」そう言い残し、通信を切る。
「おい! リーブ!」
 返事はなかった。事業部長を乗せたエレベーターがこのフロアに到着したのが見える。こうなっては仕方がない、なんとかするんだ――ベンはそう決意し、腕にある資料を抱え直した。リーブが事業部長の部屋を調べている間にここで見張るために用意した小道具である。資料を眺めながら携帯電話を耳にあてておけば、リーブと無線で会話しても怪しまれることはない。この小道具がリーブと通信を行うため以外にも役立つことになるとは。用意しておいて良かった、とベンは思った。
 ジュノン都市開発事業部長は自分のオフィスがあるフロアに到着すると、エレベーターから降りた。一人の社員が事業部長の乗って来たエレベーターに乗り込もうとする。彼はエレベーターから降りてきた人物が事業部長であることに気がついたようで会釈しようとした。――しようとして、盛大に腕に抱えていた資料を床にぶちまけてしまった。
「すみません、事業部長」資料を落とした社員――ベンは、拾い集めるのを手伝おうとする事業部長に礼を言った。もちろん、事業部長の前で資料を落としたのはわざとである。古典的手法ではあったが、うまくいったようだ。これでリーブの方は大丈夫であろう。
 ベンは自分のとった行動に自画自賛したい気持ちになった。ベテランならではの機転である。きっとリーブにはできない芸当であろう。彼は年齢的にタークスとしての経験はまだ浅いだろうから――ここまで考えたところで、ふと、見つけ出したファイルにはパスワードがかかっていたと言っていたことを思い出す。これは、さらに機転を効かせるべきではないか。今、そのチャンスがある。
「ありがとうございます」ベンと事業部長は資料を集め終わり、立ち上がった。
「ああ。別に、気にしなくていい。気をつけて歩くんだよ」事業部長は優しく言った。穏やかで誠実そうで一見悪事など働こうとしなさそうな雰囲気に、一瞬この人が今回のターゲットであることを忘れそうになった。人というのは見た目では判断できないものだ。
「事業部長、ちょっといいですか。襟が乱れています」ベンはそう言いながら、思いついたことを実行した。「よし、直りました」事業部長の襟を直すふりをして、手に隠し持っていたカメラを取り付けることに無事成功したのだ。ベンはもしものときのために自分のカメラを持ち込んでいた。特別製の超小型で、なおかつ高解像度の映像を撮れるやつだ。唯一の欠点は、一般的な人にはこのカメラで撮影した映像を見ることができないこと。
「ありがとう」今度は事業部長が礼を言った。
「それでは――」
「ちょっと待ってくれ」
 立ち去ろうとしたベンを事業部長は引き留めた。ベンは一気に身体の体温が上昇するのを感じた。カメラを取り付けたことに気がついたのだろうか。ベンがやったことは年長者による機転ではなく、ただのお節介だったか――余計なことをしなければよかった。そのせいで、作戦が失敗するなんて。ベンは早くも先程の自分の行動に後悔した。
「君、どこの部署だい?」どうやら、ベンの考えたことは杞憂のようだった。事業部長はカメラの存在には気がついていない。「こんな時間まで残っているなんて、残業かい」
 今度は別の意味で焦ることになった。ここで余計なことを話してしまって、ベンがジュノン支社の社員ではないことがバレたら大変だ。ベンは必死に作戦前に確認した資料の中にあったこのフロアの地図のことを思い返した。確かこのフロアには事業部長のオフィスの他に――
「第一事業部です」
「ああ、あそこね。この前、第一事業部の社員の残業時間について指導したばかりなのになあ。君の上司の名は?」
 今度こそ本当に困った。ベンは必死になってここをなんとか切り抜けられるような返しを考える。第一事業部で働く社員の名前なんて誰一人知らない。絶対絶命であった。
「あの、その……」
「先輩! すんません、お待たせしました」
 ベンが次になんと話すべきかまごついていると、ベンの後ろから自分たちに話しかける声があった。その声自体には聞き覚えがあった。リーブの声だ。会ったのは今回の任務が初めてだが、つい先程まで声を聞いていたのだから間違えてはいないはず。けれどもベンは違和感を感じていた。さっきまでとは話し方が違うような――そう、話し方のイントネーションが違うのだ。
「君は人を待っていたのかね」事業部長はベンに話しかけてきた人物に向かって言った。
「そうなんです。僕の仕事の失敗で生じた作業を先輩は一緒に手伝ってくれはって」そうやろ、とリーブはベンに話に合わせるように促した。
「え、ええ。そうなんです。彼、まだ仕事に慣れていないのもあって、それで失敗してしまいまして。それに伴ってやらなければいけない作業が増えてしまって、彼だけでは今日中に終わらなさそうになかったので」
 事業部長は二人を見た。「なるほどねえ。君はどうやら、良い先輩のようだ」事業部長はリーブの話し方のイントネーションのせいか、リーブがここの部署に新しく配属された新入社員であることを微塵も疑っていないようだった。
「ええ。ベンは良い先輩です。これから彼がおすすめのお店を紹介してくれるんです。今日、ジュノンで開かれている演奏会が終演して店が混む前に向かいたいので、もう行っても大丈夫ですか?」
「ああ。引き止めて悪かったね」
 リーブの言葉に、事業部長はこの会話を終わりにしてくれるようだった。助かった、とベンは思った。
「さあ、行こうや」リーブに促さられる形で二人はエレベーターに乗り込んだ。
 エレベーターの扉が閉まり動き出すと、リーブはジャケットの胸ポケットに入っている記録媒体を服の上から叩いた。「ベンのおかげで、なんとかファイルを持ち出せました」リーブのイントネーションは元に戻っていた。
「礼を言うのはこちらの方だ。あそこで助けに入ってくれて助かったよ」ベンはリーブの話し方の急激な変化に少々戸惑いながら礼を言った。
「貴方、通信機のスイッチ、入ったままになっていたでしょう。事業部長との会話が聞こえてきて、ああこれは助けに入らないとまずいな、と思ったので」
「あ!」ベンは何か思い出したように言った。記憶の中で何か聞き覚えがあったように感じており、ずっと考えていたのだ。「リーブ、お前ミディール出身か?」リーブの先程の話し方が誰かとそっくりだと思っていたが、その"誰か"がわかった。ミディール出身の同期が話すときのイントネーションと彼のものが一緒なのだ。
「そうや」リーブは肯定した。ベンはやっぱり、と肯いた。彼は自分の予想が当たったことに満足しているようであった。任務が全て終わったような和やかな会話をしているが、まだ任務は終わったわけではない。このことをリーブは忘れてはいなかった。「このファイルのパスワードを予測して、色々入力してみて正しいものはなにかを調べないと。事業部長が我々が予測できるものを設定していなかった場合は、彼を脅して聞き出すしかありませんね。それは最終手段ではありますが」リーブは事はなるべく穏便に済ませることを密かに自分の中でのポリシーとしていた。「このファイルの中身が見れないようでは、任務が成功したとは言えません」
「それなら大丈夫だ」ベンはリーブにそう言いながら視線はどこか遠くの方へやっていた。「さっきまではピンチだったが、今はチャンスが到来している」
「どういうことですか?」
 リーブがそう言ったところでエレベーターが一階に到着した。ベンはどこかにやっていた視線をリーブの方に向け、ついて来い、と無言で促した。
 ベンはジュノン支社から出て道を挟んだ所にあった人気のない路地に入り少し行くと立ち止まり、「フェリクス・バルトルディ」と一言だけ言った。
「なんだって?」
「フェリクス・バルトルディ。そのファイルのパスワードさ。今日、ジュノンで行われている演奏会の指揮者でもある――くそっ! なんともまあ、予測しやすいパスワードだ。あんな危険な橋を渡らずとも予測することはできたな。彼は、事業部長は、この指揮者の追っかけまでしているほどの大ファンだ」
 リーブはまだベンが言っていること全てが理解できないでいた。「――どういうこと? 何故パスワードがわかったんですか」
「事業部長の足止めをするために俺が持っていた資料をわざと事業部長の目の前で落としたときに隙を見て事業部長のジャケットにカメラを取りつけたんだ。事業部長は自分のオフィスに入ったとき、何か異変に気がついたらしいな――そのカメラで事業部長がオフィスのコンピュータにある不正の証拠であるファイルを開いて確認したのが見えたんだ。そのときに打ち込んだキーをしっかり覚えておいたからな。これがパスワードのはずだ。事業部長はファイルを確認した後、コンピュータにあったファイルを自分の持つ記録媒体に保存して、コンピュータからは削除してしまったようだが大丈夫なのか?」
 ベンが事業部長取り付けたカメラというのは随分と便利なものらしかった。事業部長に気づかれないほど小さくて、それでいて――そういえば、ベンはどうやってカメラの映像をチェックしているんだ?  何か端末で確認している様子はなかったが……
「今回入手した不正の証拠であるファイルはパスワードと共に今晩中に本社に送るので、大丈夫です。明日の朝には事業部長の不正は明るみになり、彼は事業部長の職を解雇されているでしょうから。それより、いつ事業部長に取り付けたカメラの映像を確認したのですか? そんなそぶりは見えなかったですが……」
「君はタークス所属だろう?」リーブはベンの言葉に頷いた。「タークスは一応、治安維持部門内の組織とはいえ、その実態は治安維持部門統括の命令で動くわけではない、いわば治安維持部門とは独立した組織だ。俺は治安維持部門統括のハイデッカーを上司に持つからな、お前に言えないことも多々ある」
「つまり?」
「企業秘密ってやつだ」



[u]-εγλ 0010

 クラウドは宴会の疲れがまだ抜けないままエッジにある郵便局を訪れた。もちろん、エルミナに届いた手紙の件を調べるためである。クラウドはエッジを拠点とする配達屋として、以前に何度か郵便局が引き受けた荷物の配達の手伝いをしたことがあったため、彼らの協力を得るのは比較的容易であると考えていた。郵便局側にとって、腕がたつ協力者を失ってしまうのは避けたいことであり、そのためクラウドと良好な関係を築いておくことは必須であると考えるはずだ。
 郵便局として使われている建物に入ると、大きな都市らしくたくさん設置されている窓口は年始のためか一つしか開いていなかった。ちょうどその窓口では客の対応中であり、クラウドは順番を待つためその後ろに並んだ。
「ゴンガガエリアまでの配達にかかる日数はどのくらいですかな?」客と郵便局員の会話が聞こえてくる。客は温厚そうな老紳士であった。
「誠に申し訳ありませんが、現在、年始のため遠方への配達はお休み中でして。休み明けの配達となりますと――今から数えると、十日程かかります」
「十日ですか……」老紳士はひどく残念そうに言った。「娘の好きなミッドガルの店の洋菓子を買うことができたので送りたかったんですが、十日だと賞味期限が切れてしまいますな」
「それなら、この街にはストライフ・デリバリー・サービスという配達屋があるんですが、そこに頼んでみてはいかがでしょうか」クラウドは郵便局員のそのセリフが聞こえてきたとき、二つの意味でびっくりした。まさかここで自分が営む配達屋の名を聞くとは思わなかったし、郵便局にきた依頼人に他の業者に頼むことを積極的に勧めるなんて。郵便局とクラウドの営む配達屋はライバル業者であるともいえるんだぞ。
「おい、ライバル業者を勧めていいのか」クラウドは二人の会話に割り入った。
「やあ、クラウド」郵便局員はもちろんクラウドがすぐ近くで会話を聞いているとは全く思っていなかったようだった。少し驚いている表情からそのことが予想できる。「ライバルではない、持ちつ持たれつの関係ってやつさ。言わば協力者だ。お客様、この人が先程話したストライフ・デリバリー・サービスを営むクラウドです」彼は驚きながらも、すぐにいつもの調子を取り戻して軽口を言った。最後の方は老紳士に対してのセリフだ。
 老紳士は郵便局員の紹介を受け、クラウドに依頼することに決めたようだった。「クラウドさん、この時期に無理を承知でお願い申し上げたいのですが、この荷物をゴンガガ近くに住む娘の元に届けてもらえないでしょうか」
「――ああ、わかった。うちは基本的に依頼は断らないんだ。他に依頼があるわけでもなし、もちろん引き受ける」
「ありがとうございます!」老紳士は感激しているようだった。「それで、料金はいくらになりますか」
「ゴンガガまでは特にすごく危険なルートを通らざるをえないわけではないからな――そうだな、ここで頼んだ場合にかかる金額で手を打とう」
「本当にそれだけで大丈夫なのですか?」言いながら老紳士は財布から紙幣を抜き取りクラウドに一枚手渡した。
「ここからゴンガガまで行って帰ってくることは大した仕事ではない」クラウドは金を受け取った。契約成立である。
 クラウドは老紳士から配達先の詳しい住所を聞き終えた後、本来の目的を果たすため、自分が依頼を引き受けたことにより空いた窓口にいる郵便局員に話しかけた。「ちょっと、頼みがあって来たんだ」
「頼み?」
「ああ」クラウドは机を挟んだ向かい側にいる郵便局員に顔を近づけた。老紳士が既にこの建物を出ていることも確認する。「知り合いのところにここで引き受けた荷物が届いたんだが――中身が爆発したらしくて」と小声で言う。
「爆弾!」郵便局員はクラウドにつられて小声で話すよう努めながらも、驚きの声をあげた。クラウドは頷く。
「それで、今その犯人探しをしていてな。あんたに協力してもらえないかと思って」
「協力? どうやって」
「荷物を引き受けたとき、犯人の顔を見ているはずだろう」
「そうだな……」郵便局員は何かに悩んでいるようだった。「普段、一日に何十件も配達依頼を引き受けるんだ。荷物を持って来た人の顔なんていちいち覚えてられないさ」
「そうか」犯人探しは早くも難航しそうであった。クラウドにはこれ以上手掛かりを得られそうな場所は思いつかない。リーブが持ってくる情報に頼るしかない状況だ――「でも、配達先の住所と宛名がわかればこっそり記録を盗み見て何日の何時に受け付けたかはわかるぞ」郵便局員は言った。
「本当なのか? それならば、是非頼みたい。送られてきた手紙は跡形も無くなってしまったらしいから、それすらも分からないんだ」とにかく今は小さなことでもいいから情報が欲しかった。
「ああ、いいぞ。お前には以前の借りがあるからな」郵便局員はそう言いながらも付け足した。「ただし」
「『ただし』だと? さっきはあんた、俺に借りがあるだとか言っていたじゃないか」
「ゴンガガまで行って帰ってくるのは大した仕事ではないんだろう? だったら、多少届ける荷物が増えたってそう変わらないだろう。道中で寄り道してうちが引き受けている手紙を配達してきて欲しいんだ。なあ頼むよ。記録を郵便局員でない者に教えるのは本当はいけないことなんだ。バレたら俺はクビになってしまう。そういう危ない橋を渡るんだ。頼まれてくれたっていいだろう」
「本当はいけないこと――か」クラウドは郵便局員の言い訳に納得はしたが、それでも、言いたいことが一つだけあった。「郵便局で受け付けた荷物をよその業者に頼み、運ばせていることは本当はいけないことではないのか」
「ま、まあそうだけどよ」郵便局員は何も言い返せないらしかった。クラウドは呆れた。持ちつ持たれつの関係とはなんだ。クラウドは郵便局員に仕事をくれと頼んだことはこれまで一度たりともなかった。
「あんたがいつもどういう経緯で俺に荷物の配達を依頼しているのかわかった気がするよ……心配するな、仕方がないから今回の依頼も引き受けてやるさ。今はとにかく情報が欲しいしな。今回ばかりは持ちつ持たれつってやつだ」


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