Peoneyboy

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第3章

[u]-εγλ 0010   この前送っておいたメールの返信が返ってくる。
《調べたいこととはなんだ》
《ある神羅兵と科学者に関することです》
《それはWROに関係のあることか?》
《いいえ。WROではなく私個人とエアリスの養母に関係のあることです》
《私は神羅について調べることを止められるような立場に今はいないさ。だから、好きに調べればいい》
《万が一、貴方の機嫌を損ねるようなことがあったら大事な運営資金の出資者を失ってしまうのでね。一応聞いたまでです》
《そんなことで出資をやめたりはしないさ。私は君とはうまくやっていきたいと思っている》
《貴方からそんなセリフを聞くとはね》
 世界を牛耳っていた企業である神羅カンパニーが事実上崩壊したことは多くの人々を変えた。生活に使われるエネルギーの種類だけでなく、人々の考え方も。それはメールの相手――ルーファウスも例外ではなかったようだ。
《神羅カンパニーのやり方がよくなかったことは今となってはよくわかる。あれでは長続きしない》
《それには同感です》
《やはり、こちらから二人同行させることは可能か? まだ、神羅カンパニーの跡地について全てを調査し終わったわけではないからな。君がいるちょうどいい機会だ》
《別に私がいないときでも調査はできるでしょう。今までだって何度か貴方たちは立ち入ったことがある》
《君に倣って許可は取るべきだと思ってね。私も君の機嫌は損ねたくない、私の目的のためにも》
《わかりました》
 彼は確かに変わったが、野心的なところは変わっていないな、とリーブは思った。彼のそういうところは羨ましい。リーブにはないものだからだ。でも羨ましいとは思いつつも、彼は自分に満足していないわけではなかった。リーブが自分の努力によって手に入れた現在の立場は、昔のように彼の意に反することを行わずに済み、そのことにより自分の力の及ばなさに不甲斐ない気持ちになったりもせず、彼の人生の中で一番生き生きとしていた。これまで色々あったが、彼は現在の結果から自分の考えやしてきたことは間違っていなかったのだと考えていた。
 リーブは部屋の隅にある椅子の上に座らせているケット・シーを見た。ケット・シーはルイーゼという神羅の科学部門で働いていた科学者が彼女の助手であり、なおかつ娘のような存在でもあったシャルロッテに贈ったぬいぐるみを元に作られている。そのシャルロッテに贈られたぬいぐるみは随分前に失われてしまったが、今のケット・シーもオリジナルと外観は全く一緒であった。ケット・シーがなぜそのぬいぐるみのデザインを受け継ぎ続けているのかというと、ルイーゼはケット・シーという存在を作り上げたきっかけであるⅠNSプロジェクトというインスパイアを持つ者を作り出した研究の第一責任者であったからだ。そして、そのぬいぐるみはリーブにとって思いが深いものであったからでもあった。むしろそちらの理由の方が主だといってもよい。リーブはオリジナルのぬいぐるみを譲り受けたのである、彼女たちの遺品として。
 リーブは彼女の研究に協力していた。被験者としてだ。ルイーゼの研究のことを知ったのは任務でベン・ゲインズブールと出会ったことがきっかけであった。ベンはリーブがプロジェクトに協力する以前から彼女たちに協力していた。そのこともあって、エルミナの元へ爆弾が送られてきたことはリーブはどうも自分にも無関係ではないような気がしてならなかった。
 リーブは目の前のモニターに映る自分の元へ送られてきた記録媒体の解析結果を眺めた。この記録媒体にあったメッセージはⅠNSプロジェクトの研究者から被験者へ宛てたものであった。ⅠNSプロジェクトを研究していた側――ルイーゼは第一責任者という立場ではあったが、この研究は彼女と彼女の助手だけで行われていたものであった。つまり、ルイーゼ博士とシャルロッテの二人がⅠNSプロジェクトの研究者側にあたる。しかし、ここで問題なのが、彼女らは二人ともリーブがまだ二〇になるかならないかくらいの時分に亡くなっていることだ。亡くなった――原因は事故や病気などではない。彼女たちは殺されたのである。神羅カンパニーの機密事項を持ち出そうとしたから。
 リーブは彼女らのうちどちらか、もしくは二人ともがまだ生きていると仮定すれば全てこれまでに起こったことは説明がつくと考えた。けれども、その仮定が正しいものであるとの証拠はどこにもなかった。その仮定が絶対にありえないということも言えなかったが。リーブは神羅カンパニーの元幹部という立場上、様々な神羅の裏の情報を知っていた。そしてそのことから、神羅カンパニーが行ったルイーゼ博士とシャルロッテの死亡発表は本当のことではない可能性も大いにありえると思っていた。



[u]-εγλ 1990

 ベンとの任務から暫く経ってからのある日、リーブは神羅カンパニー本社ビルの科学部門があるフロアのカフェスペースの椅子に座っていた。ここ、本社ビルには各部門ごとの一区画にカフェスペースが設けられており、ちょっとした食事も提供している。もっと上の階には丸々一フロアカフェスペースだという階もあったが、それだけではお昼時がまかないきれないため、他の階にもそういったスペースがあるのであった。神羅カンパニー本社は七〇階まであるビルであり、働いている人数は想像以上に多い。
 リーブは目の前にある資料をめくった。これから会う相手の研究をまとめたものだ。これから会う相手――ルイーゼ博士は神羅の科学部門で働く科学者であり、クローン研究の第一人者でもあった。そんな彼女はここ数年、クローン技術の研究過程で得た知識や技術を基に新しい研究を始めたらしい。その研究の名はⅠNSプロジェクト。リーブがなぜこのことを知ることになったのかというと、ベンとの任務のときに彼が使用していたカメラの詳細を調べていたからである。彼のカメラは相手に取り付けても気づかれないほど小型で、ある程度の操作もきくらしい(このことは事業部長がキーボードで打ち込んだキーをベンが見ていたことからそうなのではないかと予想していた)もので、そのような便利なカメラがあるならば是非ともタークスにも導入するべきだと考えた。リーブは仕事の合間に自分のタークスという立場を活かし、神羅カンパニーの様々なデータを調べあげた。結果として、そのような便利なカメラの明確な情報は得ることができなかった。代わりに少し気になる研究論文を偶然見つけたのである。それが、リーブの今手元にあるこれだ。
 リーブが論文を眺めながらこれまでのことを思い返していると、フロア奥にある科学部門で働く者だけが入れるエリアへ通じる扉が開き、中から白衣を着た女性と神羅兵の制服を身にまとった男が出てくるのが見えた。リーブがいるカフェスペースは他部門の社員でも出入りは自由ではあったが、彼女らが出てきた扉の奥はそうではない。女性の方は服装からいって科学部門で働く者であろうが、男の方はどう考えてもそうは見えなかった。あの神羅兵は何か用事でもあったのだろうか。疑問に思い、リーブは二人をじっと見る。そして、その神羅兵が先日リーブと共に任務を行ったベン・ゲインズブールであることにリーブは気がついた。ベンとはあの任務以来、会っていない。リーブが聞いた話によると、事業部長は不正が明るみになってからジュノン都市開発事業部長の役職を降ろされただけではなく、神羅カンパニー自体を辞めさせられたらしい。けれども、そのことはリーブにとってどうでもいい情報であった。彼にとって重要だったのは任務の成功により、自分の力が認められたということだけである。リーブは正直言って、初任務が成功したことにかなり舞い上がっていた。
 科学者とベンはリーブの元に近づいてきた。女性科学者の方は今日、リーブが待ち合わせしている相手であった。彼女の顔は論文の執筆者名を検索した際に出てきたプロフィールに掲載されていた写真により把握済みであった。「こんにちは。お待たせしてしまって申し訳ありません。研究の話が聞きたいと連絡をくれたのは貴方?」リーブが彼女たちに挨拶しようと椅子から立ち上がったところ、科学者は自分の待ち合わせ相手がどの人物かわかったようだ。彼女の方から話し始める。
「今日、これから待ち合わせしていた相手っていうのはリーブのことだったのか、ルイーゼ。――久しぶりだな、リーブ。どうしてお前が研究の話を聞きたいとルイーゼに連絡したんだ?」ベンは不思議そうに言った。確かにベンの疑問は最もだ。リーブの仕事内容とルイーゼ博士の研究に関係性など普通に考えて思いつきようがなかった。
「お久しぶりです。貴方がこの前の任務のとき使用していたカメラのことが気になりましてね、調べていくうちにやはり貴方の行動が思い返せば返すほど不思議で――カメラのことははっきりとはわからなかったのですが、調べていく過程で興味深い論文を読みましてね。それで彼女の研究のことを知ったのです。どうやら貴方が協力しているらしいということもね」
「ベン、貴方たち知り合いだったの?」ルイーゼは二人の様子を見て言った。そして辺りを見渡した。お昼時は過ぎているがカフェスペースは半分くらいのテーブルは使用されていた。科学部門で働く科学者は人によってお昼休憩にする時間帯が違った。仕事――彼らの場合は研究だが、本社ビルの科学者は研究を何人かで共同で行っている者より個人で行っている者の方が多かったことが関係していた。個人で行う仕事、ということは自分の好きな時間に休憩を取れるため、一般的にいう昼休みというものはあってないようなものだった。「ここでは落ち着かないし、私の研究室へ移動しましょう。そこで詳しい話をしてあげます。話せる範囲での話だけれども」



 リーブがルイーゼ博士の研究室を訪れて驚いたことは、彼女の研究室に子供がいたことだった。
「なぜ、ここに子供が? 彼女の子供?」リーブは隣にいたベンの服を引っ張ってそう尋ねた。ベンがさも当たり前かのようにルイーゼの研究室までついてきた理由も疑問ではあったが、それよりも神羅カンパニー本社にある研究室に子供がいることの方が疑問に思う気持ちが大きかった。
「私はルイーゼ博士の助手です」ベンが答える前に子供がリーブに向かって言った。聞こえていたようである。「助手ならばここにいても問題はないでしょう?」
「ああ、確かに問題はないな」リーブは彼女に目線を合わせるべく、しゃがみこんだ。「失礼なことを言ってしまってすまなかったね、ルイーゼ博士の助手さん」
「そんな反応をもらったのは初めて。だいたいの人はこんなに物分かりは良くなくて、私がルイーゼの助手だと言っても信じないもの。そこにいるベンだってそうだった」ルイーゼの助手はベンの方に視線を向けた。ベンは気まずいのかその視線から逃れるように顔を反対側に向けた。
「彼女はシャルロッテと言うの。私の娘でもあります」ルイーゼはリーブの前にコーヒーの入ったマグカップを置きながら助手のことを博士の方からも紹介した。娘――確かに言われてみれば二人はよく似ていた。ルイーゼ博士がシャルロッテくらいの歳だった頃はこのような顔立ちをしていたのだろう、と思うくらいには。
「話を始めますか。そこに座って」ルイーゼはリーブに座るよう椅子を勧めた。リーブが近くの椅子に腰を下ろしたことを確認してから話し始める。「さて、何から話しましょうか――私がクローン研究の第一人者であることはご存知?」
「ええ。貴女の記録を見ました。過去に貴女は学会でクローン研究をテーマに発表を行い、賞をもらっている。貴女のような若い研究者が賞を取ることは滅多になく、前科学部門統括のガスト博士以来の快挙らしいですね。それもあって、ガスト博士の後任の科学部門統括として推されている者のうちの一人でもあった」
「そうね、実際は宝条博士がガスト博士の後を引き継いだのだけれども。彼は科学者としては尊敬するけれども、精神的に不安定で何をしでかすかわからないところがあると私は考えていて……彼がガスト博士の後の科学部門統括になると聞いたとき、私は猛反対したの――結果は覆らなかったけれども。そして、私の懸念していたことが現実になってしまった」
「ええと、つまり?」リーブは彼女の話す内容は具体的ではないため理解できずにいた。科学者はどうして皆、説明するとき婉曲的に話すのだろうか。もっと最初から具体的に全てを話して欲しい。
「ごめんなさい。遠回しに言っても、私と宝条博士の噂など他部門で働く貴方が事前に知っているはずもないのだからわからないよね。ここでは他に聞いている人もいないしはっきり言うとね」ルイーゼは“他に“の部分で今いる研究室全体を見渡した。この部屋には現在、リーブとルイーゼ、シャルロッテ、あとはベンしかいない。助手であるシャルロッテはもちろんのこと、加えてベンもルイーゼ側についている者なのだろうなとリーブは見当をつけた。「私は宝条博士が人しての正常な倫理感を持てているのかどうか前々から疑問に思っていたの。あるとき、彼が私にクローン技術を用いてソルジャーを量産する計画を持ちかけてきた。ソルジャー適正を持つ人間のクローンを大量に作り出し、そのクローン達をソルジャーに仕立て上げるという内容の計画だった――ソルジャーは適正を持つ人間が少なく、それも相まって成り手が少ない状況で、そのことをなんとかしたかったようね。私はその話を聞いたとき、危惧していたことが現実になってしまったと思った。私の望まない形で自分の研究を彼に利用されるというね。自分の研究は戦争には使われて欲しくないと思っていたのだけど、ソルジャーを量産するということは、戦争に派兵する兵士を作るということだから。私はなんとか理由をつけて断ろうとしたけれどもできなかった。それで仕方なしに私はこれ以上クローンに関係する研究に携わることを諦めた――私の研究成果を彼に利用されたくなかったし、それに彼は曲がりなりにも自分の働く会社の幹部だったから。彼一人だけならまだしも、他にも幹部の人間を味方につけて会社からの命令という形での依頼になったのならば私には従うしか道はなくなってしまう。一般的に考えたら、倫理的問題が発生するような研究を進めることを会社は推奨しないとは思いたかったのだけれども、いろいろあって私は会社のことを信用できない状態だった。まあ、あの研究バカの宝条博士が周りを味方につけるなんてことをやるとは思えなかったけれども、念には念を入れてね」ルイーゼ博士は後ろに立つシャルロッテの方を見た。「私はクローン技術によって作られた人は普通の人と同じ人権を持っていると考えています。でも宝条博士はクローンのことをただの実験体としか見ていなかった。彼と初めて会ったときはこのような人だとは思わなかったのだけれども――彼は自分の研究の成果に固執するあまり、何か人して大事なものを失ってしまったようね」
「なるほど。貴女は宝条博士との間にあったいざこざからクローンに関する研究を止め、新たな研究を始めた。それが、ⅠNSプロジェクトというやつですか」
「ええ。私はクローンの研究の過程において、ある知識を記録したチップをクローンの脳に埋め込むことによりその知識を与えることに成功した。クローンといえどもオリジナルの知識をそのまま受け継ぐわけではないから、オリジナルと同じだけ学習しないとオリジナルと同等の知識をクローンが持つことはできない。そこから着想を得て思いついた研究だった。そして、これを応用した新たな研究を思いついた。これがⅠNSプロジェクト。私はちょうど新たな研究テーマを探していたし、渡りに船だと思った」
「それで、どういった研究なのですか?」
「貴方は私の論文を読んだのではないの?」ルイーゼはリーブの持つ資料を見ながら言った。彼女は資料の中にⅠNSプロジェクトの論文が含まれていることにはとっくに気がついていた。「まあ、いいか――ⅠNSプロジェクトは人と機械の間で通信を可能にできないか、という研究ね。クローンには知識を記録したチップを埋め込んだけれども、今度は通信機能を持ったチップを埋め込んだの。そのことにより、人と機械の間で通信が可能になった。もちろん通信機はなしで、よ。貴方の持っている資料にある論文にはその結果を出すに至るまでの過程が書かれている」
「論文には専門用語も多く、私がこれを読んでこういうことだろうと思ったことが本当に正しいのかどうか少々不安でしてね。それで、貴女の口から説明が欲しかったのです。とてもわかりやすい説明で、専門家でない私にもこの論文の内容が正しく理解できました。一つ確認したいことがあるのですが」
 何でしょう、という顔でルイーゼはリーブの方に改めて向き直った。
「ベンは貴女の研究の“被験者として“協力しているということでしょうか?」
 リーブがその言葉を口から発したとき、部屋にいる彼以外の人間の動きが一瞬止まったような気がした。部屋の空気感からリーブは返事を待たずしてベンが研究の被験者であるということは事実なのだな、と思った。
「ああ。そうだ」そう答えたのはルイーゼではなく、ベンであった。「事業部長に取り付けたカメラは、インスパイアで操作したんだ。インスパイアっていうのは、ⅠNSプロジェクトの被験者が得た能力のことだ。我々はそう呼んでいる――だから、特別高性能なカメラだったからパスワードを盗み見れたというわけではないんだ。あのカメラはただちょっとだけ俺がインスパイアで操作できるよう細工がしてあるだけの、性能はリーブが普段任務で使用するようなカメラの方が良いくらいの、特筆すべきことはないものだ。お前はあのカメラを利用することを考えていたのかもしれないが、期待外れですまなかったな」
「そうだったんですか」リーブは淡々と言った。ルイーゼの話の途中でベンが被験者であり、あのカメラがルイーゼの研究成果により操作されたのではないかということを考えていたため、ベンのそのような高性能なカメラは存在しないという言葉には特別には驚かなかった。そもそも、ルイーゼの研究にベンが協力しているらしいということを知った時点で普通のカメラではなさそうだなということは予想していたのだ。一介の神羅兵が科学部門の科学者に協力しているというのは十中八九、実験の被験者という形であろうから。それが事実であるならば、タークスが研究を利用させてもらえないかと打診しようと考えてもいたが、それも気がひけてしまった。彼女は他の多くの神羅カンパニーの科学者とは違うのだ。なぜ、神羅に入社したのか疑問に思ってしまうくらい、ルイーゼはこの会社の性質とは合わなさそうであった。
「私が想像していたような高性能なカメラが実際には存在しないことは残念ですが、まあ、貴女のような素晴らしい科学者が神羅の科学部門にいることが知れて良かったですよ。偏見かもしれませんが、神羅の科学者の多くは――」
「偏屈で自分の研究のことしか考えていない奴らばかりだと思っていた、でしょう。気にしないで、私もそう思っているから。そういう人は実際に多いし」ルイーゼはリーブの言葉の先が想像できたようで割り入って言った。
「事実、ですか……」リーブはルイーゼの全くオブラートに包もうとしない物言いに、正直何と返すべきか困ってしまった。この部屋に入ったときの話し方とは大違いだ。リーブに色々話していくうちに、リーブになら本音を何でも言っても大丈夫だろうと判断されたのだろうか。
「お前もルイーゼの良さを感じてくれたようで良かったよ。ルイーゼが他の大多数の神羅の科学者と同じような奴だったら、俺は今、彼女の実験に協力していないだろうしな。俺がルイーゼに協力したのは、彼女の目指すこと――人々の暮らしを自分の研究により良くしたいという目標に深く感銘を受けたからだ。この人に協力すれば、これからの未来のために絶対良いことになるって思ったんだ」ベンは力説した。
「ベンがそんなこと思っていたなんて、驚き」これまで黙っていたシャルロッテが言った。
「ロッテ、前から思っていたんだが、俺には当たりが強くないか?」
「だって、初対面での第一印象が悪かったんだもの」
「あんた、本当にルイーゼ博士の――まあいいか……」ベンはシャルロッテのそのセリフにむかついたようだが、何か言い返すのを諦めたようだ。ベンは心の中で、相手は子供だ、と呟いて怒りを収めようと試みていた。
「ロッテ、どうしてそういうことを言うの。ベンと貴女の初対面での件はベンが謝って仲直りしたはずでしょう」ルイーゼはシャルロッテを窘めた。シャルロッテは自分のことをルイーゼ博士の助手だと言っていたが、ルイーゼ本人はシャルロッテのことを助手だというより自分の娘だという気持ちで見ているような気がした。
「そうだけれども……」
「ベンに謝りなさい」
「ごめんなさい、ベン」シャルロッテはルイーゼに対しては素直だった。これはリーブの想像の域は出ないが、ルイーゼのことを尊敬する気持ちからルイーゼの言う事は聞くのかもしれなかった。
「さて」ルイーゼは手を叩いた。「話も脱線してきてしまっているし、何か質問がないなら終わりにしましょうか。ベンにこのフロアのエレベーターの前まで送らせます」
 この場は締めくくられようとしている。彼女の考えているような質問とは少し異なるとは思うが、先程から疑問に思っていることを訊く機会だとリーブは考えた。別に訊かなくても特別困ることでもない、単純にリーブ自身の興味からくる疑問であったが、ここまで打ち解けた今なら訊いても失礼にはあたらないであろうと思った。「では、研究内容に関する質問ではありませんが、一つだけいいですか」
「どうぞ」
「ありがとうございます」もし、彼女が答えにくそうであったらすぐに、謝ってベンと一緒にこの場を立ち去るつもりだった。「先程から思っていたのですが、貴女はなぜここに入社したのですか? 貴女は――神羅の方針とは反りが合わないような気がしまして」
「そうね、貴方の指摘は尤もね。私自身、ここに入社していなければこんなに悩まさせられる事はなかったのだろうと考えもした。けれども、それはそれで違うことで悩んでいたとも思う」リーブが何か言う前にルイーゼは後に続けた。「逆に、貴方はどうしてここに入社したの? 貴方とは今日初めて会ったけれども、それでも今まで感じた印象だと神羅には合わないと私は既に思っている」
 リーブは一瞬、返答に迷った。そして、一言だけ、「色々な道を比べた中でここで働くことがもっとも良いと思ったから」とだけ言った。
「私も同じ。神羅は今では世界で最も権力を持つ大企業よ。平凡な一般人が生きていく上で最も楽なのは、権力のある者にすがりつくことだと思うの。私もそう。ベンだって、貴方だってそうでしょう。デメリットもあるかもしれないけれども、それを考慮しても神羅カンパニーに入社した方が他の道より遥かに楽で良い」ルイーゼの言うことにはリーブも深く納得した。彼女とリーブは似ているのかもしれない。「まあ要するに、私は神羅の援助を受けないで研究するという道は研究費のこともあったし選ばなかったの。このご時世で神羅の力を借りず何かを成し遂げたという人がいるならば深く尊敬するね、私は」ルイーゼは自分に対する皮肉を込めて言った。



「ルイーゼに打診しないでいてくれて助かったよ」ベンは研究室の扉が並ぶ廊下を進みながら隣を歩くリーブに言った。
「何のことです?」
「リーブはルイーゼの研究を利用するつもりで、コンタクトを取ったんだろう? お前は初めに想像していたような高性能で便利なカメラがなさそうだということは彼女に連絡した時点では薄々気づいていたはずだ。けれども、そう思いつつも彼女に連絡を取ったのは、彼女の研究に利用価値があると感じたからだ。どうだ? 当たっていないか」
 リーブはこのベンの言葉には驚いた。まさか勘付かれていたなんて。そんな素振りを出してしまっていただろうか。「ええ、そうです。なぜ、そういうことだとわかったのですか」
「彼女に利用価値を見出して連絡を取ったのはリーブが初めてではない。けれど、過去にもリーブのようにコンタクトを取った者が何人かいたが、あそこまでルイーゼが自分の秘めた気持ちを話すのは初めてだ。俺ですら、ああいったことは直接話されたことはない――どうやら、お前は彼女に相当信用されたようだな」
「なるほど、そうだったのですか。――なぜでしょうね」
「俺に聞かれても」
 二人はちょうどカフェスペースまで歩いたところだった。カフェスペースはルイーゼと待ち合わせたときよりも人が倍以上多い。そのためそこそこ騒がしく、ここで話してもおそらく周りの者は誰も聞いていないだろうと思われた。ベンはカフェスペースの壁際で立ち止まった。合わせて、リーブも立ち止まる。「博士はここを抜ける機会を伺っている」
「そうした方が彼女のためだと思いますし、私も賛成ですよ、そのことには。科学者というのはそんなにも一度入ると抜けるのが大変なのでしょうか。研究に関する機密を知ってしまっているから?」
「そういった理由で抜けられない科学者も多いが、彼女の場合は違う」ベンはリーブの顔を正面からじっと見る。彼の顔は何時にも無く真剣であった。「辞める際はこれまでに得た研究成果は渡さねばならない。研究者が持ち出すことはできないんだ。彼女にとってそれが一番のネックなんだ。娘を渡さねばならないことになるから」
「どういうことですか?」ベンのその言い方だとまるでシャルロッテがルイーゼの研究成果であるかのようである。
「博士の娘は――ロッテは博士のクローンなんだ。遺伝子上は全く同じ人間であるってことさ。ロッテはルイーゼ博士の成果物であるんだ、リーブ」
「なるほど、そうですか……」リーブはそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。ルイーゼとシャルロッテは思った以上に複雑な立場にあるらしかった。ルイーゼがシャルロッテを手放すことはないだろう。リーブが彼女たちに会ったのはたった小一時間程ではあったが、ルイーゼがシャルロッテのことを自分の娘として愛しているのは見て取れた。実際は娘ではないのかもしれないけれども。シャルロッテは自分たちの置かれたこの状況を知っているのだろうか。彼女はルイーゼのことをただ単に助手として尊敬しているようにしか見えなかったが。ルイーゼはシャルロッテにこの状況を話せていないのかもしれないとリーブは思った。
「シャルロッテはこのことを知っているのですか?」
 リーブの質問にベンは首を振った。「おそらく、知らない。けれども、俺からシャルロッテに話すこともできないしな。ルイーゼが言っていないということはロッテに知られたくないからだろうしな。俺は彼女の考えを尊重したい」ベンはそこで一旦言葉を切った。そして、リーブと改めて呼びかけた。
「何でしょうか」
「彼女たちに何かあったときは助けてあげてくれないか」
「なぜ? 貴方が助けてあげればいいでしょう」リーブはそう言い、そのようなことを言った自分に対して随分冷たい奴だなと思った。
「そうしてあげたいのは山々なんだが、できない状況になるかもしれなくてな。――ウータイとの戦争へ派兵される話が出ているんだ」
 リーブはベンのその言葉に目を見張った。「まだ決定ではないがな。でも、もしそうなった場合はリーブ、お前に頼みたいんだ」
「ええ、わかりました」リーブには引き受ける以外の選択肢しかなかった。ここまで言われて断る程、リーブは薄情な人間にはなれなかった。
「ありがとう。ルイーゼが信用している人に頼めてよかったよ。よろしく頼む」
「まるで、貴方が戦争に行く話が決定事項かのような言い方ですね。あくまで私は、貴方が彼女たちを助けられる状況でない場合に助ける――」「ほぼ決定事項なようなものだ」
 ベンはリーブが言い終わる前にそう言った。「今年中は回避できたとしても、来年には確実に行くことになっているだろうな。そして、それまでに戦争が終結するとは思えない」
「そのことはルイーゼ博士には言ったのですか」
「いいや。妻にすらまだ言っていない――いや、言えていないの方が正しいな、妻にもまだ言えていないんだ」
 兵士の中には出世のために手柄を取りたく、戦争へ行くことを志願する兵士もいるが、ベンはそういったタイプではないことは明らかであった。彼ははっきりとは言わないが、戦争には行きたくないのだろう。けれども、上からの命令には逆らうことはできない。リーブはベンに何と返したら良いかわからなかった。二人の間に沈黙が生まれる。辺りの喧騒がやたら騒がしく聞こえた。
「そういえば、俺の妻が世話をしている花畑を見せる話をこの前していたよな」ベンは場の暗い空気を変えるように明るい話題に変えた。「週末見にくるか?」
「急な話ですね……まさか、いつ戦争に行くことになるかわからないからではないでしょうね。縁起でもない、私は貴方が戦地へ行く話がそんなにすぐに現実になるとは思いたくありませんから」
「休みの日に友人と会いたいと考えるのは普通だろう? 俺だってそんなに急に行くことになるとは考えていないさ。で、どうだ?」
 ベンの“友人“という言葉にリーブはハッとさせられた。そうだ、リーブとベンは現在は共に任務を遂行する間柄ではない。それならば、二人の関係は友人というものだろうか――そうであるけれども、ただの友人とは少し違うな、とリーブは思った。ベンが助けられる状況にない場合は代わりにルイーゼたちに手を貸す、という約束があるからだ。簡単に友人と言い表すよりももっと深い関係である。盟友という方が相応しいと感じた。「ええ、もちろん。素晴らしい花畑であると期待してもいいですか?」
「ああ、もちろん」ベンは笑顔で返事をした。
 二人は詳しい時間などを打ち合わせながら、エレベーターまで歩いた。「それにしても」リーブは週末のことをあらかた決め終わった後、話し始めた。「あのときは驚きました。急に虚空を見つめた後、パスワードを言い当てたものですから」
「ああ、あのときか」ベンは確かに何も知らない人が見たらそう感じるだろうな、と言った。「けれども、俺も驚いたぞ。お前が急にミディール弁で話しかけてきたのだからな」
「そんなに驚くことです?」
 ベンはリーブの言葉に頷いた。そういったことを話しているところでエレベーターホールに着く。
「では、また週末」ベンはエレベーターに乗り込んだリーブに対して言った。
 リーブはエレベーターに乗り込み、扉が閉まり切る前にエレベーターホールに立つベンに対して小さく会釈した。口に出して、「また、週末」とは言いたくなかった。もし、言ってしまったらベンが戦争に行くという話がすぐに現実になってしまいそうな気がしたからだ。


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