[u]-εγλ 0010
クラウドが結局郵便局員からの仕事を終えエッジに戻ってこれたのは、四日後のことだった。身体はヘトヘトですぐにでもセブンス・ヘブンに帰り、柔らかいベッドで寝たい気分ではあったが(昔は何日もベッドではない場所で寝ても何とも思わなかったのに、ここ数年の生活がクラウドをそうさせてしまっていた)、郵便局員への報告のために重い足を引きずりながらエッジの郵便局へ向かった。彼の頼みを引き受ける交換で頼んだ調査の結果もおそらく出ているだろうと考えながら。
クラウドが郵便局を訪れたときはすでに営業終了間際の時間帯ではあったが、多くの局員が忙しなく働いていた。今日中に済ませるべき仕事がまだ終わっていないのだろう。この前ここを訪れたときに貼ってあった営業日が書かれたスケジュールによると、確か、今日から通常営業を再開させたはずだ。つまり、休みの間に受付だけして人手不足から配達や仕分けができていなかったものがたくさん溜まっているのだろう。
例の郵便局員はクラウドの姿を見つけたようで、窓口の締め作業の手を止め彼の方から声をかけてきた。
「頼まれてくれていた仕事が全部終わったのか?」
「ああ。だからここにいる。頼んでいたことはやってくれたのか?」
「もちろんさ。調べ終わっている」彼は辺りを見渡したあと、クラウドに顔を近づけ、声を潜めて言った。「ここだと他の職員の目もあるから仕事を上がった後でも大丈夫か?」
「大丈夫だ。あと、十五分程で営業終了だろう。どのくらいで上がれそうだ?」
「それが結構かかりそうなんだ。見ての通り、今日から通常営業で、年末年始の間に貯まってしまっていた仕事がまだ片付かなくてね。だから、家に戻って休んでいてくれないか? 終わったらすぐにセブンス・ヘブンに向かうから。酷く疲れた顔しているし、お前」
クラウド自身は顔に出てしまう程疲れている気はしていなかったが、そう言われたのならそうなのだろう。確かに、カダージュ達との件の後片付けなどもあって(奴らは想像以上にエッジの街中を破壊していったのだ――間接的にではあるが)、元々疲れがたまっていたというのも原因かもしれない。そうでなければ、顔に出るなんてことはクラウドにとってありえないことだ。なにしろ、クラウドの身体はソルジャーと同等の能力を持つのだから。兎にも角にも彼の言うことは尤もだと思い、クラウドは彼の言う通りにすることにした。けれども、クラウドが疲労困憊の状況にあるのは彼も原因のひとつではあったから「あんたに頼まれた仕事が多かったからな」と一言、郵便局を去り際に付け加えるのは忘れなかった。
そういうことでセブンス・ヘブンに戻るとクラウドは自室のベッドに直行した。横たわり目を閉じ、わずか十秒程で眠りにつく。次に目が覚めたのは、ティファが階下からクラウドのことを呼ぶ声がしたのがきっかけで、窓の外を見ると既に辺りが真っ暗になっていた。けれども、時間はあれからそう経っていないはずだ、と階下の騒がしい物音からクラウドはそう判断した。ちょうどセブンス・ヘブンが最も賑わっている時間――具体的にいうと、一八時から二〇時くらいの間だろう。
下に降りると店は案の定賑わっており、例の郵便局員がカウンターの隅の椅子に座って待っていた。「待たせたな。夕食はまだだろう。食べていくか?」クラウドはそう言いながら、ちょうど空いていた隣の椅子に腰を下ろした。ティファが気を利かせて空けておいてくれたのだろう。クラウドが座った席の隣も空いているのは、ティファにはこれから二人が大声でするようなことではない話、つまりエルミナに届いた爆弾の件の話をすることがわかっていたためであろうと思った。
クラウドはティファにはエルミナの件で調べていることの詳細を話してはいなかったが、マリンにはリーブと打ち合わせた内容や郵便局員に話を訊きに行くことを話していた(もちろん、クラウドから話したのではなく、マリンの方から訊かれたからだ)。クラウドは尋ねられない限りあまり多くのことは話さないから、そのことをよく知る同居人達はお互いに自分がクラウドから聞いたことを話すようにしていた。そのため、今回のようにクラウドが話していないはずなのに知っている、ということがあるのである。クラウドはそういったことが頻発するようになってから、デンゼル、ティファ、マリンの誰か三人のうち一人に話したことは三人とも知っているものだと考えるようになっていた。
「夕食は確かにまだだが、明日は仕事で早いからあまり長居できそうにないんだ。報告が終わったらすぐ帰るから、またの機会にでも」
「だったら、お茶を淹れるね。ストレートだと夜寝られなくなってしまうかもしれないから、ミルク入りのやつを」
二人の会話を近くで聞いていたティファはそう言い、お茶の準備を始めた。ティファの作るカクテルはもちろん評判が良かったが、紅茶やコーヒーを淹れるのも上手かった。彼女いわく、美味しい紅茶やコーヒーを淹れられることはカクテル作りにも役立つから勉強したのだそうだ。実際、彼女の作るコーヒーや紅茶を使ったカクテルは特に人気があった。クラウドももちろんそういったカクテルも好きだったが、最近は配達屋という仕事の関係上、朝早く仕事に行く日が多く、カクテルより紅茶かコーヒーを頼んで作ってもらう機会の方が多かった。
「それでいきなり本題に入るわけだが」ティファがクラウドと郵便局員の前にミルクティーを置いた後、郵便局員は話し始めた。ティファはちょうどクラウド達から見て一番奥の席の客の相手をしている。二人の話は聞こえていないだろう。
「記録によると例の手紙を受け付けたのはお前から話を聞いた日の三日前だな。16:50に二件、おそらく記録内容からいって差出人は同一人物だと思われるが――これだな」郵便局員は鞄から一枚の紙を取り出し指さした。
「二件?」怪訝に思いながらクラウドは紙を受け取る。確かにそこには件の事件に関係するエルミナの名前の他にもう一件、同じ時間に郵便物を受け付けたことを示す記録が残っていた。そして記録の表の宛名の項目を見、クラウドは驚きを表情に表さないようにするのに難儀することになった。クラウドもよく知る人物の名前が書かれていたからである。
「エルミナ・ゲインズブール宛とリーブ・トゥエスティ宛の二件、だな。――確かに間違えはなさそうだ」
クラウドは郵便局員には平静を装いながら、今回の事件の調査についてリーブには何となく協力を仰いだだけであったが、より詳しく彼から話を訊く必要がありそうだ、と考えていた。この事件はリーブにも関係がある。クラウドはそう確信していた。リーブが今回の事件に自分が関係していることに気が付いているかどうかは定かではなかったが、そこについても話を訊けばわかるはずだ。もし、クラウドが今回の事件について協力を仰いだ時点で自身が関係していたことに察しがついていたのならば文句の一つや二つ言ってやろう。彼の性格からいって、察しがついていたがあえて言わなかったという可能性が高そうではあるが。そうやってクラウドは考えをまとめあげると、先ほどから気になっていたことを郵便局員に尋ねることにした。
「ひとつ聞きたいのだが、これを持ち出しても大丈夫なのか? コピーではなく原本のように見えるが」
「明日、早めに行って戻しておけばバレないさ。今日長居できないと言ったのはそういうわけだ。早起きしてこれを他の局員が出勤してくる前に元の場所に戻さないといけないのでね」
「なるほどね」
どうやら、郵便局員はこういったことに手馴れていそうだ。過去にも持ち出し厳禁の資料をこっそり持ち出したことがあるのだろうか――そう考えながら、クラウドは受付担当の項目を見た。例の二件の手紙を受け付けたのは目の前にいる彼らしい。
「受付担当にあんたの名前があるが、手紙を持ってきた者の顔は覚えているか」
「いいや」郵便局員は頭を振った。「俺が人の顔を覚えることが苦手なのは知っているだろう? それに加え、お前から今回のことを依頼されたときにも言ったが、一日に何人もの人が窓口に来るんだ。余程記憶に残るような特徴がなければ覚えていられないな、申し訳ないけれども」
やはりそうか、とクラウドは思った。そんなに簡単に犯人がわかるとは思っていなかったのもあり、そう返ってくるのは想定内のことだった。ポジティブに考えればエルミナに手紙を送った人物は同時にリーブにも手紙を送っていることがわかったわけで、手詰まりではない。次に調べるべき対象が明確にわかっただけでも苦労して配達した甲斐があるものだ。問題はリーブが彼の持っている情報を全て話してくれるかどうかだが――クラウドは思案した。そして思考する中でふと、過去の、彼が反神羅組織であるアバランチに手を貸していたときのことを思い出す。神羅に捕まってしまったエアリスの救出のため神羅カンパニー本社ビルに侵入した際、とある神羅に不満を持つ者が、クラウド達が侵入したことを気付かれないよう監視カメラの映像をすり替えてくれたということがあった。確か、監視カメラはエッジの街の公共施設の多くに設置がなされていたはずではなかったか。
「郵便局には監視カメラは設置されていなかったのか? その映像を見れば犯人の顔がわかるかもしれない」
「それは俺も思いついたんだけどな」郵便局員は申し訳なさそうに切り出した。何か事情があるらしい。「確かに郵便局に監視カメラは設置されている。けれども、個人情報保護の観点からそこで働いているからといって、録画された映像を気軽に見れるわけではないんだ。誰も見ていないうちに見るということもできなくはないが――紙切れ一枚をこっそり持ち出すことよりも録画データを持ち出すこと、いや見ることでさえもはるかに難しいことだ。というのも、あそこの監視カメラの設置場所からいって、映像を持ち出す過程がどうしてもカメラに写ってしまうから監視カメラか録画データに細工する必要があるのでね。そういったリスクを考えると、もっと簡単で確実性のある他の方法を取るべきだと俺は思う。例えば、何か事情があれば映像を確認するだろうから、それに乗じて映像を確認するとか」
「なるほどな――事情とは、例えば?」その特別な事情が発生すれば見ることが可能ではないかと思い、クラウドは詳細を尋ねた。
「何か事件が郵便局内で起こったときか、あるいはエッジの自警団、またはそれに準ずるような組織から映像を確認したいと言われたときだな。それ以外には確認する理由もないし。あくまで郵便局にある監視カメラというのは犯罪抑制と犯罪が起きた際に状況を確認するために設置しているもので、そう頻繁に局員がチェックしているわけでもないんだ。世界再生機構本部や今はもうないが、神羅カンパニー本社ビルに設置されているものだったら常に警備員が確認はしているかもしれないけどな、ああいった大きくて重要な施設に比べたら郵便局が保持している情報は大したものではないし」
「エッジの自警団、またはそれに準ずる組織から確認したいと言われたときには映像を確認する、と言ったな。WROではどうだ? WROが録画した映像を見たいと言ってきたら了承するのか」
「WRO? 確かに、何かそれらしい理由があれば大丈夫だが、お前、WROの人と知り合いだったか?」
彼とはあくまで仕事に関する付き合いしかしていない。クラウドはクラウド自身のこと、例えば、ストライフ・デリバリー・サービスを始める前にどういった仕事をしていたのかなど話したことは一度もなかった。二人の間にあったのは仕事の契約のために必要な会話だけだ。それと、毎回最初か最後に追加される、なぜあんた達のところで引き受けたものを配達せねばならないのか、というクラウドのため息と小言。そのため、クラウド一行がメテオの発動を阻止するべく奔走していたことなど知る由もなかったし、ましてやその仲間の内の一人に元神羅カンパニー都市開発部門統括であり尚且つ世界再生機構創設者のリーブ・トゥエスティがいたこと(正確には彼が操作していたロボットだが)なんてもちろん知らなかった。
「昔、色々あって知り合ったんだ」
「そういえば、お前に調べて欲しいと言われた記録のうち、一つの手紙は世界再生機構本部の住所が書かれていたな――」そこまで言ったあと、郵便局員は何かに気がついたようだった。「リーブ、リーブ・トゥエスティって世界再生機構、WROの局長の名前じゃないか。もしかして、WROの局長も今回の事件の被害者なのか?」
「いや、リーブは被害者ではない――おそらくは。というのも、リーブにこの前会ったときにエルミナの元に届いた手紙の話をした際は何も言っていなかったからな。彼の身に何かあったとしてもあえて俺には言わなかった可能性は大いにあるが。兎にも角にもリーブも被害者かどうかはさておいて、今回届けられた爆弾手紙事件に多かれ少なかれリーブが関係していることは間違いなさそうだ」
クラウドは世界再生機構の局長、というたいそうな肩書きを郵便局員が驚きから少し大きな声で口にしたことで、店内の客がこちらの話に興味を持ってしまっていないかが心配になった。店内には酔っ払いも大勢いる。単純な興味から詮索されることになったら面倒だ。
「なるほど――だったら話は早い。WROの局長に事情を話して、彼らの方から映像の確認をしたいという依頼を自警団にすればいい。自警団はすぐさま郵便局にWROが映像を確認できるよう取り計るだろう。その方法を取るのが最も安全で確実だな。郵便局の監視カメラの映像を録画するシステムはネットワークに繋がれていないから外部からハッキングすることもできないし。お前が自警団の者を装って確認する、というのもリスキーだからな」
「ああ。俺もあまり危ない橋は渡りたくないから、その方法でいくよ。影響力のある大きな組織のトップに知り合いがいるとこういったとき助かるな。もし、俺がリーブと知り合いではなかったら、ハイリスクな方法を取らざるを得なかった」
「俺もお前がWROの重役と知り合いで良かったと思うよ」郵便局員もクラウドの話していることには大いに同感していた。「もし、お前があの人と知り合いでなかった場合、ハイリスクな方法を取っていたかもしれない。そうしたら、捕まってしまう可能性もある。お前が捕まってしまったら俺も困るんだ。何かあったときに配達を手伝ってくれる人がいなくなってしまうからな」
郵便局員が帰ってからもクラウドはカウンターの席に座っていた。特に何か考えるでもなく壁を見つめ、時折される「次はどうする?」という、グラスの中身が無くなっていることに気がついたティファの質問にだけ答える。それを数回繰り返し、ふと気がついたときには店内にあれだけたくさんいた客がめっきり減っていた。そろそろ皆、帰るかそうでない者は店を変えるような時間なのだろう。このぐらいの時間から閉店までの数時間、セブンス・ヘブンの雰囲気はピーク時とは違ったものになる。ティファは飲み物を中心に提供し、手の空いた時間で客と会話を楽しむ。また、初めて会った客同士で会話が弾むこともしばしばあった。この時間帯のゆったりのんびりとした雰囲気が好きで、あえてピークが過ぎた少し遅いこのぐらいの時間帯に来る常連の客もいるくらいだ。
今日は人気のない日のようで、セブンス・ヘブンにはある一時を境にして、新たに入ってくる客は一人もいなかった。一組、また一組と少しづつ客が帰ってゆき、とうとうクラウドともう一人しか店内の客はいなくなってしまった。そろそろ部屋に戻るか、そんな風にクラウドが考えていると、突如としてドタドタと階段を駆け下りる音が店内に響いてきた。
「おじいさん、来てる?」
そう言って店内に入って来たのはデンゼルだった。続いてマリンも入ってくる。「おじいさん、おじいさん来てるね。今日もお話して」
「何なんだ、あれは」クラウドは目の前でグラスを拭いているティファに訊いた。
「ここ数日、ほぼ毎日来ている人だよ。クラウド、最近、夜ここに来れていなかったもんね。とても子供の相手が上手くて、マリンとデンゼルもすごく懐いているの」
「なるほど」
クラウドはその客の老人を見た。紳士的な身なりの、温厚そうな人好きのする顔立ちだ。確かに、子供に好かれそうな。――どこかで見たことのあるような気がする。
「あの」クラウドは老紳士のそばまで行き、彼に話しかけた。老紳士は子供たちとの会話を一旦止め、こちらに顔を向ける。やはりそうだ。
「君は配達を請け負ってくれた――何とかデリバリーの人ですね」
「ああそうだ。無事、荷物は届けた。あんたの娘、すごく喜んでいたぞ」
「本当ですか、それは良かった。いや、元々ミッドガルに出店していた菓子屋のケーキなのですがね、そこの胡桃とピスタチオのケーキが娘の大好物でして。ミッドガル崩壊後、食べられなくなってしまったのですが、最近、エッジに再出店したことを聞きまして。これはエッジに来た際は娘のために買ってやらねばと思って買ったので、貴方に配達してもらえて本当に良かった。どうもこの度はありがとうございました」老紳士は深々とお辞儀をした。
「対価を貰っているんだから当たり前のことだ」クラウドは仕事だからだと、老紳士のお辞儀を止めながら言った。
「ところで話は変わりますが」クラウドが止めたことによりお辞儀から直った老紳士はさっきまでとは全く違う話題の話をしだした。「貴方、さっきまでいた男性とWROの局長の話をしていましたね」
やはり誰かしらに聞かれていたか、とクラウドは思った。有名人の名前が聞こえてくれば、耳を澄まして会話を聞き取ろうとする者は多くいるだろう。この老紳士もそういった部類の人間だったということだ。問題となるのはクラウドにあえてその話をふってきたのが、ただの興味本位で、という範囲から抜け出ないかどうかで、場合によってはうまい言い訳を考えなければならないかもしれない、とクラウドは身構えた。
「ああ。確かにそういった話もしていたな」
「いや、突然こういった話をしてしまって申し訳ない」老紳士はクラウドが訝しげに思っていることを感じとったのか、謝った。「懐かしい、と思いましてね。WRO局長――リーブとは、彼がまだ若い頃でしたか、一緒に仕事をしたことがありましてね。実をいうと、私は昔はミッドガルで建築の仕事をやっていたのですよ。私は自分で言うのもなんですが、建築家としては優れておりました。けれどもてんで機械はだめでしてね、当時の機械化の波について行けなかった私は彼に随分と助けられました。リーブはとても優秀なコンピュータエンジニアでしたから。それに加えて彼はとても勉強熱心で私を助けるために建築の知識も一から学んでくれました」
どうやら、クラウドの心配は杞憂だったようだ。老紳士はリーブの古い知り合いだったらしい。話からして、リーブが都市開発部門の統括の地位を得るより前の。
「貴方はリーブと現在も連絡を取り合っているのでしょう。最近もお変わりありませんか」
「ああ。特には」
実際は全く何もないとは言えなかったが、この老紳士はあくまで昔のリーブの知り合いであり、現在起こっていることを事細かく正直に伝えるべき相手ではないと思ったためそう答えた。実際、今現在リーブ自身に何か起こったとは彼から聞かされていないし、嘘を言っているわけではない。
「そうですか――それは安心致しました。もし今度会う機会があればよろしく伝えておいていただけますかな」
「ああ、それは構わないが。名前は? 誰がよろしく言っていたと伝えればいい」
「古い仕事仲間が、とだけ言っていただければいいのですが。でも、そうですね、それだとあれですよね。ならば『統括』がとお伝えしていただけますか。当時は彼にそう呼ばれていましたから」
「統括?」その役職名はかつて存在した神羅カンパニーの、各部門を統括する立場――つまり各部門の長を意味するものであった。どうやらこの老紳士はただの元建築家ではなさそうであった。
「はい、そうです。よろしくお願いしますよ」
「おじいさん、クラウドとの話は終わった?」デンゼルは老紳士の服の裾を引っ張りながら言った。「あんまり遅くになるとティファが子供は早く寝なさいとうるさいんだ。だから、クラウドとの話が一段落したならばこの前の話の続きを早く聞かせてよ」
「ああ、もちろんだとも。昔、設計した建物の話だったね」
「おじいさんが設計した中で一番印象に残っているものはなんなの?」そうマリンが尋ねているのを聞きながら、クラウドは老紳士に一言断りを入れ、今度こそ自室に戻ろうと歩き出した。
「そうだね――もちろん、印象深い仕事はたくさんあるが、中でも特に印象に残っているものはやっぱり、ミッドガル建設の設計の仕事かね。あの都市の大まかな部分は全て私が設計したんだ。細かいところは他の者に任せたがね。いわば私にとっては子供みたいなものだったんだ」子供たちと老紳士が話しているのが聞こえてくる。
「そうなのね」マリンは悲しそうに言った。「ごめんなさい、崩壊してしまった都市のことを訊いてしまって。ミッドガルはおじいさんにとって子供のような存在であったのに。悲しいことを思い出させてしまって」
「気にすることはないさ」老紳士は優しく子供たちに語りかけた。「あれは確かに私にとって大切な都市ではあったが、崩壊したことに対して特に何か感情は抱いていないよ。あの都市は晩年、いつ崩壊してもおかしくない状況だったからね――人の手に余る程になってしまった都市の末路だ」
遠くを見つめながら老紳士はそう言った。
[u]-εγλ 1990
ベンとはあれから業務時間外に数回は共に食事をしたりするような仲にはなっていたが、その日リーブがベンと出会ったのは神羅本社ビルにある射撃訓練所であった。彼はリーブの後ろ姿を見て、知り合いだとすぐに分かったようで「やあ、リーブ」とベンは肩から下げたボストンバッグを足元に置きながら挨拶した。
リーブは安全装置がしっかりかかっているのを確認すると、今しがた撃ち終わったものをその場にあったテーブルに置いて振り向いた。「こんにちは、ベン。貴方とは社内でも何度も会っていますが、ここで会うのは初めてですね。これから訓練を?」
「そうだ」言いながらベンはリーブの練習相手であった的を眺めた。「調子はどうだい?」
「まあ、ぼちぼちですよ」リーブは苦笑いしながら言った。彼の射撃訓練の結果は決して悪いものではなかった――すごく良いものでもなかったが。「タークスの一員として最低限といえるラインには、なんとか」
「確かにそうだな」
ベンは苦笑しながら言った。何か気の利いた言葉をかけらればよかったが、特に何も思いつかなかったのだ。こういったときに取り繕ってお世辞を言ったりしないベンの性格をリーブは好ましく思っていた。
「お前さんはここにいるよりもコンピュータの前にいる方がお似合いだ。技術職の方への転職はいつだい」
「まさか、大学も卒業していない私が神羅カンパニーの技術職へ転職ができるとお思いですか」
リーブはベンに自分が心に密かに秘めていた憧憬を見透かされたような心地がした。けれども、誰にもこの秘めた気持ちを明かしたことはない。だからきっと彼の冗談に違いないが。
「私は今の仕事に十分、満足していますよ。転職なんてとんでもない。私は確かにそういったことは好きですが、趣味として関わるだけで満足しているのです。この仕事に就いたおかげで趣味仲間もできましたし、最近の休日は本当に充実している。貴方という友人もいますしね」
「お前がそう言うなら俺からは何も言うことはないが。しかし、改まって友人とか言われると少し照れくさいな。もちろん嬉しく思うが――ところで」ベンはそういえば、という口調で続けた。「お前の上司がお前のことを探していたぞ。もし、リーブに会ったら執務室まで来るように伝えてくれと言われていたんだった。どうやら、何か話があるらしいな」
「そういうことは早く言ってください!」
リーブは彼にしては珍しく、声を荒げた。そして、ベンのことを友人だと言ったことをほんの少しだけ後悔した。
リーブはヴェルドの執務室の前で深呼吸した。何の話だろうか。もしかして、最近疲れたような顔で仕事をしていることが多いことを指摘でもされるのであろうか、とリーブは考えた。
リーブはここ一か月の休日は先輩に紹介してもらった例のエンジニアの友人との遊びに夢中になっていた。遊びといっても世間一般的な遊びとは少々異なる。お互いにお題を出し合ってそれに則したプログラムを書くというもので、相手が難儀しそうなお題を考えたり、反対に出された問題を解くというのが思いのほか面白い、一風変わったゲームのようなものであった。さらに、ゲームであるからこそただやるだけではつまらないので、三連続で負けた方は昼食を奢るという約束が二人の間でいつの間にか交わされていた。
リーブは負けが続いており、次の勝負で負けてしまうと昼食を奢らなければならない状態まで追い詰められていた。だから、特に今週は早ければ次のリーブの休日に行われる勝負のための調べもので夜遅くまで起きている日が多く――要するに、寝不足であったのだ。
リーブはそこそこ長い間執務室の扉の前で思案していたが、いつまでも扉の前に立っているのは廊下を通る人に怪訝に思われるだろうと思い、意を決して扉をノックした。
「ヴェルド主任いらっしゃいますか、リーブです」
中から返事が返ってきたのを確認すると、失礼します、といい部屋に入る。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません。何か御用でしょうか」
「別に急ぎの用事というわけではないから大丈夫だ。とりあえず、そこに座って」ヴェルドはリーブに部屋の中央に位置するソファを勧めると、隅に置いてあったポットの湯を沸かし始めた。「コーヒーで大丈夫かな」
「ええ、お構いなく」リーブは言いながら部屋全体を見渡した。
ヴェルドの執務室は必要最低限の家具だけが置かれた簡素なものであった。というのも、タークスの主任であるヴェルドはこの部屋で事務仕事をすることよりも外で任務をこなすことの方が多かったのだ。実際、リーブがこの部屋に入ったことがあるのも二、三回程度であり、この程度のものがあれば事足りてしまうのだろう、とリーブは見当をつけた。
ヴェルドはコーヒーを手早く二人分淹れるとテーブルに置いた。一つはリーブの目の前に、もう一つはリーブのコーヒーカップが置かれた反対側のテーブルの辺に。ヴェルドがリーブの向かいに置かれたコーヒーカップの後ろに鎮座しているソファに座る。リーブはありがとうございます、と一言断ってからカップに口をつけた。
「君は、科学部門で働くルイーゼ博士を知っているか」ヴェルドはリーブがコーヒーカップをソーサーに戻すなりそう切り出した。
「はい、知り合ったのは最近ですが」リーブは目線をコーヒーカップからヴェルドの方に向けた。「彼女は少々、変わった科学者ですね。その、変わっているというのは科学者らしくない、という意味です」
そうか、と小さく呟くとヴェルドは座っているソファの背もたれに寄り掛かった。暫しの沈黙。しかし、それもわずか数秒しか続かなかった。すぐに、ヴェルドはすくっと正しい姿勢になるようにソファに座りなおすと言い出した。
「ルイーゼ博士からある申し出があってね――君に実験に協力してほしいそうだ」
「実験?」
リーブは何とも言いようのない不安を感じた。ルイーゼは神羅で研究を続けたくないのではなかったのか。ベンは確かそのようなことを言っていた。あとは、彼女たちに何かあった場合は助けてくれないかとも。そこまで考えて、リーブは一つの予測を立てた。
「前に会ったときは特に何も言っていなかったのですが。急に事情が変わるような事態が彼女の身に起こったのでしょうか」
「詳しいことは何も聞いていない」ヴェルドは首を振った。
「そうですか」リーブは落ち着くためにコーヒーカップに口をつける。香ばしいいい香りを感じる。いい豆を使っていそうだ。「兎にも角にも、彼女から詳しい話を聞いてみないことには何とも返事はできません」
「それは心配することはない」ヴェルドは静かに言った。「ルイーゼ博士の方からも、返事は詳しい話をしてからと言われているからな」
リーブが心が落ち着かない気持ちで扉を叩くのは本日二回目のことであった。部屋の主はリーブのことを待ち構えていたのか、ノックから僅か数秒後には扉が開いた。
「わざわざ来てくれてありがとう。どうぞ入って」
「失礼します」リーブは博士の後について入室する。部屋は一か月前に訪れたときとほとんど変わっていないように見えた。唯一違うのは、小さな助手のシャルロッテがいないことか。
「シャルロッテは?」リーブは素朴な疑問から訊いた。
「資料室にとある資料を探しに行かせています、どうぞ座って」ルイーゼはリーブに椅子を勧めると、部屋の隅にあるミニキッチンの方へ向かった。「コーヒーで大丈夫?」
「いえ、お構いなく」リーブは椅子に腰かけつつ言った。彼がこのような会話をするのは本日二回目だった。「先ほど一杯いただいたので」
「そう、ごめんなさいね。急に呼び出してしまったりして」
ルイーゼはキッチンに置いてあった自分の分のマグカップを手に取ると、リーブの向かいの椅子に座った。マグカップには湯気の立っていないコーヒーが入っていた。
「ヴェルド主任から聞いているとは思うけれど、貴方にベンのように実験に協力してくれないかと思って。それで、今回はこうやってお呼びしたの」
「そうと聞いています。前回お会いした際は何も言っていませんでしたが、何故、急に私に協力を?」
数秒の沈黙。ルイーゼは次に言うべき言葉を探しているようにリーブには見て取れた。そして、言うべきことをまとめあげたのかこう続けた。「上からの命令でさらなるデータ採取のために被験者を増やすように、と。私の研究はどうやらまたもや注目されてしまったようね」
「なるほどね。クローン研究だけでなく、ⅠNSプロジェクトも注目されるとは。貴女は宝条博士より天才なのでは?」
皮肉混じりにリーブは言った。リーブには彼女が今回された注目を手放しで喜んでいるわけではないことがわかっていた。
「その言葉通り受け取れたらどんなに嬉しいか――条件によっては引き受けていただけるということで、詳しい話をしてもいいかしら」
「『条件』というより『理由』でしょうか。私が訊きたいのは。何故、私なんです?」リーブとルイーゼの目線が交錯する。「それに、シャルロッテに資料室に行かせているのは今からする話をあまり彼女に聞かれたくないからでしょう」
違いますか、という体でリーブはルイーゼの目を見つめた。二人の間に緊張が走る。リーブはベンに何かあったときは彼女らを助けるよう頼まれていたが、リーブにはそれを実際に引き受けるかどうかを見極める必要があった。彼女は親友の頼みを引き受けるに値する人物か否か。
ルイーゼはふうっと息をついた。そして、「もちろん、理由も」とだけ言った。リーブがその言葉に頷くとルイーゼは詳しい説明をしだした。
「上層部から被験者を増やし、研究のデータを集めるようと命令されたとき、もちろん貴方のお察しの通り私はあまり乗り気ではなかった。しかし、命令であるからやるしかないと思っていた矢先、ある人物から私たちが神羅カンパニーを出奔する手助けをするとの打診があった。その人物は私の研究ばかりが注目されることに不満を持っていて、彼にとっても私が神羅から去ることで彼の研究が注目されるという利点があったの。正直言って私は、彼のことをあまり好ましく思っていなかったけれども、神羅と関係を断ち切るまたとない機会だと思ったので協力してもらうことにした」
ルイーゼに打診してきた人物というのに何人か心当たりがリーブにはあった(リーブは職業柄、神羅内でマークされている人物の情報についてある程度知っていたのだ)。一番可能性が高いのは科学部門の統括である宝条博士ではないだろうか――ルイーゼが好ましく思っていない人物、というところで真っ先に思いついたのが彼だった。ひと月前の研究室での会話を思い出しながらリーブはそう考えた。
「そういうことならばこの研究を続ける必要はないから、私に被験者になってくれないかと頼む必要もないのでは?」
「協力者ができたといってもそうすぐにできることでもないの。それに協力者は社内に味方が多いわけでもないから一人でほぼ全てのことをやらねばならないといけないというのもあって、私たちが出奔するための上手い状況を作り上げるのには時間がかかるのよ」ルイーゼのその言葉からリーブは協力者が宝条博士に違いないと確信した。「私がⅠNSプロジェクトから手を引くことが確定している以上、今度の被験者は私が信用できる者から選びたいと強く思った――私がこれからずっと被験者たちを監視できるわけではないし、得た能力を悪用しないと信頼できる者にね。それで、今回の実験データを集める上で私から譲れない条件として、私が推薦する者を被験者にする、ということを挙げた。そして、私は貴方を推薦したいのよ。貴方は得た能力を正しいことに使ってくれるはずだから」
「買いかぶりすぎではないですかね、私と貴女はたったの数十分しか話したことがないのに」
リーブはルイーゼが語った今回リーブに被験者を頼むことに至った経緯を聞き終えると、そう言った。理由はよくわからないが、何故かリーブはルイーゼにとても信用されているらしかった。しかしそれはリーブの方にも当てはまっていた。リーブもルイーゼのことをわずか数十分しか話したことがないはずなのに大いに信頼のできる人物であると思っていたのだ。
「これでも、私は人を見る目はあるの――それで? どう」
「どう、とは」
「ⅠNSプロジェクトの被験者を引き受けてくれるか否か、よ」
「被験者を引き受けたとして、副作用などの不安要素はあるのでしょうか」
「そうね」ルイーゼはリーブが前向きな返事をしたことに嬉しく思っているようだった。「被験者は今ままでにベンしかいなかったから完全にないとは言い切れない。けれども、用途は違えど似たような外科手術はクローンたちも受けている。クローンたちの中でもそれが原因となる副作用がでた者はいなかった」
「クローンといことはシャルロッテも?」リーブは訊いた。
「ええ、そうね」
ルイーゼはリーブの言葉を聞いてあまり驚いているようには見受けられなかった。ベンがリーブに話したことをルイーゼに言っていたのだろうか。
「なら、引き受けましょう。貴女が大事な娘であるシャルロッテをリスクの高い外科手術を受けさせるとは到底思えないのでね、それなら安心です」
「本当に?」いよいよ、ルイーゼは嬉しさがあふれ出るのを隠し切れなくなっていた。「早速スケジュールを組みましょうか」
「おっと、スケジュールについては少し待ってもらってもいいでしょうか」リーブはルイーゼが早まる気持ちが抑えきれないのか、早くも話を進めようとしているのをなんとか止めようとした。「上司に確認をとらないと。それに、大事な予定があるのです、今週末にね。場合によってはその予定が来週に先延ばしになってしまうかもしれませんし」
「なるほど、別に大丈夫よ。週末も仕事があるなんて、大変ね。何かの任務なの?」
ルイーゼは何か大きな勘違いをしているらしかった。
「ええ、とても大事な」
リーブは苦笑いしつつそう言った。