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第5章

[u]-εγλ 1990 

 リーブは目の前の対象物に意識を集中させた。
 まず一体目。対象物――中身の入っていない、外装だけ完成されたリーブの背丈以上ある巨大な機械で、スイーパーのような見た目をしていた――は、彼のイメージした通りに動き出した。右足を前に。左足を前に。対象物はゆっくりと歩き出す。
 リーブは一旦、一体目への集中を止めると今度は奥にあった二体目の対象物に意識をもっていった。意識しだしてからわずか数秒後には先ほどリーブの『能力』で動かしたものと同じような見た目をしたそれも、一体目と同じように動き出す。
 ここまでは準備運動のようなものである。リーブは何回か行われた実験の中でこれらのことは既に成功済みであった。彼は今まで通り、これらの動作が問題なく行えることを確認し終えると、今度は二つの対象物を同時に意識するように試みた。右手、左手――リーブの思った通りにスイーパーもどきたちは両腕を交互に挙げる。二体の対象物に同時に同じ動きをさせることにも問題はない。問題はここから。
 次にリーブが試みたのは二体のスイーパーに別々の動きをさせることだった。このことには今まで成功したことがない。思った以上に二体の対象物に別の動きをさせるように意識をすることは難しかったのだ。
 右手、左手。左足、右足。目を閉じて頭の中でそう念じる。片方にはその場で両腕を上げ下げし、もう片方には左足から歩くという命令を。
 リーブは命令を数十回唱えたのち、目を開けた。二体のスイーパーたちの居場所の確認をする。そして、片方だけが元いた場所と異なった地点で静止していることが目に留ると、
「今日の結果は上出来だったのではないでしょうか」とモニタールームにいるルイーゼに届くように大声で言った。
「ええ、確かに上出来ね」とルイーゼはモニタールームに設置されたマイクをオンにして答えた。リーブはその言葉を聞いて満足気な気持ちになり、誇らしげな笑みを顔に浮かべる。けれども、それで終わりかと思ったルイーゼの言葉にはまだ続きがあった。
「歩く動作は」
「歩く動作は?」意味がわからない、といった風でリーブは訊き返す。
「そうよ。まさか、一体に歩行の命令を出しながらもう一体にその場で足踏みさせるなんてね。予め出しておいたオーダーとは違うけれども……今回の実験の様子を見ていて思ったのだけれども、もしかしたらインスパイアは歩幅の間隔なども細かく命令できるのかもしれない。これは他の被験者でもデータをとるべきね」
 ルイーゼは最後の方は独り言のようになりつつそう言った。インスパイアとはリーブが持つ能力のことだ。ⅠNSプロジェクトの被験者たちが得た無機物に働きかける能力のことをルイーゼを始めとするプロジェクト関係者たちはそう呼んでいた。
 ルイーゼは自分の言っていることが独り言になりつつあることに気がついたようで、
「今日はお疲れ様。毎回、仕事終わりにデータを取ることになってしまっていてごめんなさいね」と言った。
 前回もそのまた前回もリーブのデータを取ったのはこのぐらいの昼勤の社員たちが帰宅し、社内に残る社員も少なくなってくるぐらいの時間帯であった。確かにリーブも疲労を感じていなくはなかったが、仕事の関係上、時間調整の融通が利きそうな時間は夜しかなかったのだ。だからきっと二体の対象物にオーダー通りの動きを今回も別々に行わせることができなかったのは日中の仕事の、リーブの本職の疲れからであろう。言い訳に聞こえなくもないが、リーブは精神衛生上そう思うことに決めた。それに、二体に別々の動きをさせた、という点においては一応の成功はしているといえるのだし。
「かまいませんよ。仕事終わりのこの時間帯でないとなかなか空き時間がないものですから。ですから寧ろ、こういった少し遅い時間の方がありがたいのです」
 リーブは頭につけた計測機を外しながらルイーゼの労いの言葉に返答した。外した計測器を小脇に抱えつつ、実験室を後にする。
 実験室を出たリーブが向かったのはルイーゼがいるモニタールームであった。向かった理由はもちろん、脇に抱えているものを返却するためである。廊下を歩きつつリーブは今日の夕食のことを考えた。近所のスーパーマーケットにはまだ品物が残っているだろうか。夕食の買い出しに人々が行く時間帯を過ぎると、売れ残ったリーブのような若者にはたいして好まれないような微妙な品物しか残っていないのだ。残念なことに、時刻はとうに夕食時を過ぎていた。
「やあ、リーブ」
 リーブがそうやって考え事をしながら歩いていると、前方から来た人影がリーブに片手をあげて挨拶をした。リーブはその言葉に思考を一旦止め、挨拶してきた人物が誰なのかの確認を行う。
 その人物というのはベンであった。ベンとはここで会うのは初めてではなかった。彼も仕事の都合上、夜になってからではないと時間がとれないという日が多々あったので、リーブと同じような時間帯にデータ採取のためにこの実験室を訪れていたのである。リーブの帰り際に会うのか、それとも実験室を訪れた直後に会うのかは日によってまちまちではあったが。ベンの服装は日中に社内でたまたま会った際にいつも着ている神羅兵の制服ではなく、Tシャツに動きやすそうなズボンといった出で立ちであり、今日も仕事終わりに直接ここに来たのだろうということが容易に想像することができた。
「こんばんは、ベン。これからデータの採取を?」リーブも挨拶を返す。
「ああ、そうだ。そっちはたった今終わったところかい」
 ベンはリーブが脇に抱えている計測器を見て、そう言った。
「ええ、そうです。――そういえば、先週にいただいたお菓子、ありがとうございました。同じ部署の先輩から聞いたのですが、あのお菓子ってミッドガルの人気店の新商品だったのですね。購入するのは大変だったでしょう」
「いや、あれはいつも妻が花を届けている人から貰ったものなんだ。二人家族なのに大きいサイズを貰ってしまってね。早く食べないとせっかくの菓子の美味しさが半減してしまってもったいないと思ったから、ちょうど会ったお前に分けたんだ」
「そうでしたか」
 そうやって、リーブはベンと他愛のない話を二つ三つほど交わす。二人はこういった会話を交わすような関係にいつの間にかなっていた。初めてベンと出会ったときは任務が終わった後も度々会うことになるとは全く思ってはおらず、今現在、ベンとリーブが友人であるのは何とも不思議な感じがする、とリーブはふとした瞬間に常々思っていた。友人とは気がついたらなっているものではあるかもしれないが。
 そう、彼らは友人であった。
 そういうこともあって、お互いにこの後はやるべきことがあるだろうからとリーブがその場を去ろうとしたときに「そういえば、リーブ」と引き留められてベンの方を振り向いたリーブの動きはすごく自然であり、反射的な行動のようにもみえた。
「今度、恐らく来週になると思うが俺の家でクリスマスパーティーをやる予定なんだ。ほらクリスマスが近いだろ、それで妻が企画したんだ。せっかくなら俺の友人も誘ったらどうかと妻に言われてな。お前も来ないかリーブ。ルイーゼとロッテは既に来るとの返事を貰っているんだ――実をいうと、現在決まっている参加者は妻の友人を含め俺以外全員女性でな、聖夜を祝うパーティーで男俺一人というのはなかなかに辛いものがある。女性たちは同性同士でおしゃべりに華を咲かせるだろうからな、それこそ俺がパーティーにいることを忘れているかのように。だからお前が来てくれると助かるんだ。遠慮はする必要はない」
 ベンはそう息継ぎをどこでしているのかと思われるほどの早口で言った。彼のその長い言い分からは必死さがひしひしと感じられた。その日はリーブも休日であり――もちろん特に何も予定がないリーブが親友の必死の願いを聞き入れないはずがなかった。
「ええ、もちろん」リーブは是の返答をした。



 辺りが暗くなり、夜の兆しが見え始めた時間帯。リーブは本日のパーティー会場であるゲインズブール家の扉を叩いた。ミッドガルには似つかわしくない、一面の花畑に囲まれた家。出迎えてくれたのはベンではなく、ゲインズブール夫人で(名はエルミナという)、彼女は薄く開けた戸の先にいる人物がリーブだということが見て取れると家の中へ招き入れた。ようこそ、といった風に開け放たれた戸を潜り抜けたリーブの目に飛び込んできたのは色とりどりの花で飾り付けられたパーティー会場と中央に位置する丸テーブルの上に並べられたクリスマスパーティーにふさわしい料理たちだ。
「もうそろそろ、他の人も来るだろうから。乾杯の前にウェルカムティーはいかが? 庭のハーブを使ったオリジナル・ブレンド・ハーブティーさ」
 エルミナはそう言いながら、リーブに椅子を勧める。テーブルの片隅には分厚い硝子のヴィンテージ物と思われるティーポットが置かれていた。
「前にいただいたハーブティーとは違ったハーブを使っていそうですが」リーブは勧められた椅子に腰かけながらそう言った。何度かリーブはベンに連れられてこの家に来たことがあった。その際、毎回そのオリジナル・ブレンド・ハーブティーをごちそうしてもらっていたが、その際に使われていたハーブと(リーブは作る過程をベンと会話しながらよく観察していた)、今テーブルの上にあるポットの中に見えるハーブは違う風に感じられたのだ。
「そうだね、これはオリジナル・ブレンド・ハーブティー、クリスマスバージョン。いつもと違うのは味や香りだけではない」よく見ておいで、とエルミナはリーブに目くばせをするとキッチンから持ち出してきた湯気のたったやかんの中身をティーポットの中に注いだ。リーブはほう、と現れたハーブティーの『色』に対して感嘆の声をあげた。
「奇麗な色。まるでソルジャーの瞳のような色ね」
 リーブの気持ちを代弁するように言ったのはちょうどベンに連れられてやってきたシャルロッテだ。ポットの中に出現した色は確かに彼女の言うとおり、青とも紫ともつかないなんとも絶妙な色だった。
「まさかここにあるのは全部本物?」
 さらに後ろからやってきたルイーゼが部屋に飾り付けられた花々を見て感嘆の声をあげた。
「ああ本物さ」エルミナは少し得意げに言った。
「ミッドガルに於いて生花は高級品なのに……。全部でどのくらいコストがかかったのかしら。安く入手できるルートをお知りなら、もしよろしければ教えていただけないでしょうか」
 最後のはエルミナに対する質問だ。
「私がこれらの花を入手するのにかかったコストは、肥料代と水道代とあとは数年単位での時間だね」エルミナはルイーゼの質問に答える。「安く入手できるルート? スラム街で、いや、ミッドガル内で一番安く入手する方法はよく知っている。私から購入することだね」
 ルイーゼはそれを聞くと目を輝かせてエルミナに購入できないかの交渉に入った。研究に使用するのだろうか、とリーブは明確な根拠のない予想を立てる。そんなことを考えているとエルミナが今回はクリスマスということでプレゼントするよ、と言っているのがリーブの耳に入る。
 リーブは二人がどの生花をあげるかもらうかの算段を立てている間、ポットの中のハーブを見つめた。ポットの中で循環するハーブたちはまるで任務で訪れたアイシクルエリアで初めて見た雪のようだ。
「奇麗」
 思いにふけるリーブの隣でシャルロッテがそう呟いた。



 夜はだんだんと更けていく。クリスマスパーティーでの締めのデザートはエルミナの友人である伍番街スラムの診療所の医者夫人が作ったフルーツのたっぷり入ったチョコレートケーキとルイーゼが買ってきた胡桃とピスタチオのケーキだった。二つのケーキのうちルイーゼが買ってきた方はシャルロッテの大好物である。エルミナや彼女の友人たちを始めとする女性たちはフルーティーで口当たりの良い白のスパークリングワインと、子供であるシャルロッテはリンゴジュースをお供におしゃべりに華を咲かせながら取り分けたケーキを食していたが、シャルロッテは大人たちが口々に自分の好物のケーキを褒める度に得意気な顔になっていた。
 ベンは女性たちの喧騒を避けるように窓辺近くに座るリーブの隣に椅子を右手で引っ張ってきて座った。左手でウイスキーのボトルの細くなっている部分を掴んでいる。
「やはり、お前を呼んでおいて助かったよ」ベンは妻とその友人たちが集まっている方を振り返った。その輪の中にはルイーゼとシャルロッテももちろんいる。「こうやって俺は蚊帳の外になることが予想できたからな。一人で月見酒というのは風情がない」
「私がいたところで貴方と酒を酌み交わすことはできませんが」
 リーブはまだ未成年だった。
「酒を酌み交わさずとも俺には付き合ってくれるだろう。お前なら」
 ベンは両ポケットにそれぞれ挟み込んでいたグラスを取り出した。一つをリーブに渡す。
「十八年ものだ」ベンは瓶のラベルを窓から差し込む月明りに照らすようにしてリーブに見せびらかした。リーブにはベンの見せびらかすものの良さがよくわからなかったがきっと普段飲んでいるものと比べて良いものなのだろうと思い、軽く頷いてみせた。
 ベンはボトルの封を切ると、コルクを抜き自分の分のグラスに琥珀色の液体を注ぎ出した。グラスに顔を近づけて香りを楽しむ。そして「乾杯」とグラスを胸の高さまで挙げて言う。
 リーブは右手の空のグラスをベンの持つグラスに軽く打ち当てた。
 そんな風にして二人はパーティーを楽しんでいった。
 夫人たちが立ち上がる気配を感じたのはベンがする彼の同僚がやらかした話がちょうど終わり、彼の一杯目のグラスも空になった頃だった。
 そろそろ帰らないと主人の小言を聞くことになってしまうから、などと口々に言いながらエルミナの友人であるスラム街の夫人たちは帰り支度を始めた。庭までお見送りする、と言ってエルミナは友人たちについていこうとする。ルイーゼも夫人たちと同じように立ち上がりながら、
「私たちもそろそろお暇しないといけないからお見送りついでにお土産のお花を選んでくる」と言った。
 そうやって女性たちが立ち去り、部屋にはリーブとベンとシャルロッテの三人だけが取り残された。庭からは女性たちの笑い声が聞こえる。ルイーゼはいつの間にか夫人たちと仲良くなったらしく、はずむ話はとどまるところをしらないらしかった。エルミナとルイーゼがお土産を選び終えて戻るまでにはまだ当分時間がかかるであろう。
「今日はとても楽しかった。呼んでくれてありがとう」
 ルイーゼたちについていかず家の中に取り残されたシャルロッテはお礼の言葉をベンに対してそう述べた後、呟くように言った。「家族っていいものなのかしら」
「急にどうしたんだい」
「夫人たちの家庭の話をそばで聞いていたから」
 なるほどね、とベンは頷いた。
「家族とは頭ごなしに良いもの、とは限りませんよ」これはリーブの言だ。
「まあ、全部が全部良いものとは限らないけどよ、やっぱり良い部分も多いものだぜ」ベンはそうなの、と首を傾げるシャルロッテに対して言った。「ロッテだって、ルイーゼと喧嘩もすれば仲良く出かけたりもするだろう。それと同じさ」
「ルイーゼと私は家族ではないわ」
「どうしてそう思うのですか」
 隣でベンとシャルロッテの会話を聞いていたリーブは不思議に思って二人の会話に加わる。リーブにはシャルロッテとルイーゼが家族であるようにしかみえなかったからだ。彼とは違ってとても仲の良い。
「その言葉の通りよ。ベンとリーブは家族ではない、ベンと私もリーブと私も家族ではない。それと同じよ。家族とは、男がいて女がいて、それに加えて子供がいたりして――ひょっとしたら男や女の親なんかもいるかもしれないけれども――とにかく、そういうものよ」
「私には母しかいませんがその場合は家族ではないと」
 貴女のその言い分なら、といった風にリーブは口にこそ出さなかったがそんな体で言う。
「違う、貴方と貴方の母は血が繋がっている。繋がりはあるけれども微妙に異なる、別々のモノといえる血よ。けれども、私たちはそうではない。『全く同じ血』が流れているの」
 シャルロッテはそうやって反論した。
「家族に必要なのは血の繋がりだけではない――最も必要なのは信頼関係、心さ」
 ベンはそう言った。シャルロッテはその言葉に関しては半信半疑、といった風ではあったが先ほどやったのと同じようにそうなの、と首を傾げた。
「血の繋がりがあっても形だけの家族というものがこの世の中には存在している。連絡を長らくとっていないだとか、一緒に住んでいてもほとんど会話がなく互いに空気のようにいないものとして扱っている場合なんかもあるだろ」
 ベンはちらとリーブの方を見た。リーブの方もそんなベンの視線に気づき、軽く睨みつける。彼の視線は明らかにお前も当てはまるだろう、と言っているように思えたのだ。真相は定かではないが。リーブはベンに自分の家族――ベンの先ほどの言葉に当てはめるならば血の繋がった家族、の話を以前にしたことがあった。だから、リーブがベンの視線を含みのあるものとして捉えるのも無理はなかった。
「そんなものよりはよっぽどロッテたちの方が家族らしいさ。たとえ一般的な家族とは違うものであったとしてもだ。そうだろう、リーブ」
 リーブは突然振られた話に若干ではあるが驚いた。この振りも何か含みのあるようなものにリーブには感じてならなかったがベンの意見は尤もだ。賛同する。
「そうですね。少なくともルイーゼはシャルロッテのことを娘のように思っていますよ。私から、第三者からはそう捉えられます。その事実だけではだめなのでしょうか?」
「いいえ、だめではない。もちろんよ」
 シャルロッテの声色は先ほどとは打って変わって明るいものになっていた。それを聞いたリーブは頷く。良かった、と。隣を見ればベンもリーブと同じような表情をしていた。
「リーブの家族はどうなの」ねえ、と切り出し、そう問うたのはシャルロッテだ。「母しかいないと言っていたけれども」
 リーブにはシャルロッテに何か盛大な勘違いをされているように感じ取れた。もちろん、予測通りだった場合後々面倒なことになっては困るので誤解を解いておくのは忘れない。
「私の父は既に亡くなっているだけですよ、特に何も心配することはありません」
 シャルロッテはほっとしたような顔になった。
「母とはまあ――貴女たちと同じような関係ではないかもしれませんが」
 リーブが小声で呟くように言ったその言葉はその場の誰の耳にも届いていなかった。



「最後にプレゼントがあるの」
 そう言ったのは『お土産』を摘み終えたルイーゼだった。彼女の後ろではエルミナがルイーゼが選んだ花々を形よく整え束にしていた。
「プレゼントって花のこと?」
 ルイーゼは首を振った。
「年に一度のクリスマスプレゼントが花だけだと寂しいじゃない」ルイーゼはそう言うとパーティー会場の隅にある、つまりゲインズブール家の箪笥の引き出しを開けに行った。その場にいる皆の視線がルイーゼを追う。リーブは彼女が一体、何をしようとしているのか予想がついていた。そうだ、クリスマスに子供たちが最も楽しみにしている催しものをまだ行っていないではないか。
「メリークリスマス! ロッテ」
 そう言いながらルイーゼが手渡したのは猫のぬいぐるみだった。黒と白の混じった模様で、首にはプレゼントボックスにかけるような感じのリボンが巻かれている。一般的にプレゼントにはリボンを巻くものだからこのぬいぐるみにもリボンが巻かれているのだろう、リーブはそう考えた。目は細く、リアル志向のというよりデフォルメされたキャラクターのような見た目だ。
「ありがとう」シャルロッテは目を輝かせながらぬいぐるみを受け取ると、胸の前で抱き締めた。「とても素敵。まるで妖精さんのようね」
「猫の妖精……ですか」リーブは不思議そうに呟いた。彼には猫から妖精が連想できなかったのだ。妖精といったら人型ではないのか、そういった雰囲気である。
「知らないの。北の地方にはそういった伝承があるのよ、猫の妖精の。ケット・シーといって二本足で歩いてしかも人の言葉を話すらしいの。このぬいぐるみも二本足で立っているし、それにほら、今にも喋り出しそうな感じでしょ。だから妖精のようね、と言ったの」
 リーブはなるほどと頷いた。
「だったら、この子の名前はケット・シーね」
 ルイーゼが微笑みながら言う。
「さて、次は俺たちからだ」
 今度はベンが言い出した。彼は懐から綺麗にラッピングされた両掌に収まりそうなくらいの小さな箱を取り出す。シャルロッテはまたもや目を輝かせた。けれども慌ててすぐにいつもの表情に戻す。私はプレゼントをもらっただけではしゃいだりしない、とでもいうように。まるで大人に見せかけようとしているませた子供のようだ。実際シャルロッテは子供なのだが。シャルロッテはひどく落ち着いた様子で、開けてみても、と目線でベンに尋ねた。ベンとそれに加えてエルミナもそんなシャルロッテの様子に微笑みながら頷いた。
 箱の中身は小さなオルゴールであった。蓋を開けるとメロディが流れ出す。有名な、ヴァイオリン協奏曲の一フレーズだ。
「この前ベンと一緒に聴きに行ったリサイタルでこの曲が演奏されていたのだけどね、聴いたときに思い浮かんだのがロッテとルイーゼだったんだ。オルゴールの曲は何種類かから選べたのだけどそういうこともあってその曲にしたんだ」
 エルミナがこの音楽を選んだ説明をする。シャルロッテはフレーズの頭から終わりまでじっくりと聴き入ると、うっとりした表情になった。オルゴールは何度もそのフレーズをループする。心地良い音色。オルゴールが奏でる楽曲はだんだんとテンポが遅くなって、やがて完全に停止する。
「本当に素敵なクリスマスね」とシャルロッテは明らかに興奮した様子で言った。「毎日がこんな日であったらいいのに!」
 リーブはここで、最後は私からだ、と言うべきなのだろうと思っていたが言うことができなかった。何も用意していなかったのだ。皆、何かを用意してくるならその旨言ってくれればいいじゃないか。内心そう悪態をつきつつリーブが顔をあげると、その場にいたリーブ以外の目が一斉にリーブの方を向いた。皆からの視線が痛い。特にシャルロッテからの期待するようなまなざしがリーブには堪えた。彼女はどうやら大人のように振る舞うのをやめたらしかった。
「ええ――私からは最後に、そうです、占いを」リーブはつっかえつつ言った。「そう、私からのクリスマスプレゼントです。あまり人前では披露しないんですが」
「占いだって?」ベンは訝しげに言った。「お前が占いができるなんて初耳だ。本当にできるのか」
 ベンはどうやらリーブの占いを信用していないようだった。
 無理もない、最近となっては彼が他人を占うなんてことはめっきり無くなってしまったのだった。たまに自分のことを占うだけ――それも当たり障りのない事柄を。占いとは良い結果ばかりがでるわけではないし、皮肉なことにリーブの占いは悪い結果が出たとしてもたかが占いだから、で片付けるにはいささか的中率が良すぎたのだ。
「ええ、実をいうとこういった趣味もあったのです。少々嗜んだ程度ではありますがね、まあ見ててください」そう言うとリーブはテーブルの方へ向かって歩いた。席につくとポケットからカードケースを取り出す。「さあ、シャルロッテ、あちらへどうぞ」手で自分の向かいの席を指す。
「なんとまあ、道具は本格的だな」
 ベンはリーブの手元のカードたちを覗き込んで言った。リーブはその言葉には苦笑を返すだけにとどめると、今度はその間に向かい側へ着席したシャルロッテの方を見た。彼女の方へは安心させるような微笑みを送る。苦笑ではなく。占いと聞いて連想されるような胡散臭さを醸し出すような笑みだ。占いでは雰囲気というものが最も大事でしょう、というのがリーブの考え。
「簡単な占いですが」
 リーブはケースから取り出したカードをテーブルの上で混ぜ合わせると中から一枚、そして少し間をおいてもう一枚引く。その場にいた全員がリーブのことを穴があきそうなほど見つめていた。皆、それほどリーブの占いに注目していたのだ。
「ラッキーカラーは青。ラッキーアイテムはプレゼント」
 数秒経ってからリーブは結果をそう告げた。
「そんなようなことは朝、テレビで毎日放送している。占いってそれだけ?」
「もう少し本格的なことは占えないのか、リーブ。例えば、来年の運勢、とかさ」
 シャルロッテとベンは口々に文句を言った。そんな二人のブーイングに他の二人もうんうんと頷いている。
「もちろん占うことも可能ですが」
 リーブは若干むきになりつつ言った。
「そうかい、じゃあそういうのをおひとつ頼むよ」そう言ったのはエルミナだ。「私たちはそういうのを求めているんだ」
 リーブはわかりましたよ、というように頷きつつ言った。「もちろん、そういった占いの方が需要があることはわかっていましたよ。けれども、そういった占いって予言みたいで嫌じゃありませんか。人の人生なんて占いで決まるわけではないのに」
「たかが占いじゃあないか」ベンはなおも占う事を渋るリーブに早くしろ、と促すように言った。「そういった占いができないわけではないんだろ」
 今度こそリーブは観念したように占い始めた。ここで駄々をこねて渋り続けるのはなんとも馬鹿らしい。
占いなんで結果を全部鵜呑みにはしないでくださいよ――」リーブは『たかが』の部分を強調して言う。その言葉の後は暫くの間、カードをめくる音だけが室内に響いた。他の見物人には現在どの部分を占っているかはよくわかっていなかったが、テーブルの上に並べられたカードたちはなにやらある一定の法則に従って並べられているように見えた。何枚か引き終えるとリーブはカードを眺めて考え込みだす。カードたちから結果を読み取ろうとしているのだろうか。
「困難が待ち受けます。しかし、それを乗り越えた先には新たな生き方を見つけられる転機の年になるでしょう」ぽつりとリーブが占いの結果を告げた。
 暫くの間部屋に沈黙が訪れる。気まずい雰囲気の嫌な沈黙だ。
「なんだか良いのだか悪いのだかわからない結果だな」そうやって口火を切ったのはベンだ。
「さんざん占えって言ってきたのにそういう反応ですか」リーブは少し不貞腐れながら言った。
「私は別に悪い結果だとは思わなくてよ」ルイーゼがその場の空気を変えるような発言をする。「だって困難さえ乗り越えられれば転機が訪れるんでしょう」
「確かにそうね」横で聞いていたシャルロッテも頷いて、ルイーゼの意見に同意した。
「けれども――」ルイーゼはその場にいる者の何人が聞き取れたのであろうか、というような小さい声で呟いた。「『新たな生き方』というのが少し不気味ね。何か引っかかるものを感じる」



[u]-εγλ 0010

「その台車をこちらへ持ってきてくれるかい」
 リーブはジャケットを脱ぎながら自分から少し離れた後方にいるスーツ姿の少々厳つい容貌をした男と赤毛の長髪の男に向かって頼んだ。
「なんだ、これは」男たちのうちの赤毛の方――レノが不思議そうに台車の上に乗っているものを覗き込んだ。
「発電機ですよ」リーブはレノの疑問に答える。「電気さえ通れば、まだ資料の検索システムが動くかもしれないのでね。膨大な数の資料から目当てのものを手探りで探し出すのはとても骨が折れる作業でしょう。人数は三人しかいないのだし、それにここは倒壊の危険もありますしね。長時間居続けるのは得策ではない――これも一緒にお願いしますよ」
 そう言いながらリーブは台車の上に先ほど脱いだジャケットを置くと、腕まくりをして『電気室』と書かれたプレート(ビルのあちこちが崩落している影響でこのプレートも本来の位置より斜めにずれた場所についていた)が掲げてある一室のドアをこじ開けようとした。このドアは外開きになっているのだが、ちょうど廊下側にある瓦礫がドアに引っかかってしまいなかなか人が通れる程には開かない。そうなってくると自然とリーブの腕にはだんだんと力が入っていく。
「……倒壊の危険があるのではなかったか」
 もう一人のスキンヘッドの男――ルードがぼそりと言った。
「確かにルードの言う通りだ、と。無理やりこじ開けて大丈夫なのか?」レノもルードの意見に賛同すると、リーブの行動を制止した。そして左手に持ったロッドをリーブに向かって見せつける。「ここにいいものがあるんだぞ、と」
「お願いしますよ」それを見て取ったリーブは一歩二歩、三歩と後ろに下がった。
 レノはその不良のような風貌に似合わず手先の器用な男だった。ドアに引っかかっている瓦礫の下にロッドを差し込み数回上下に動かし位置を調節すると、梃子の原理を用いて簡単に瓦礫持ち上げてしまうくらいには。
「ルード、リーブさん、そっちを持ち上げてくれないか」
 二人はレノの言うとおりに梃子によって少しばかり持ち上がった方を持ち、さらに持ち上げてドアに引っかからないような向こうの方へ転がした。
「おっと」
 レノはぶつからないように転がってきた瓦礫を上手く避ける。その避け方もなんとも器用な感じで、最小限の動きでそつなく避けてみせたのだった。
「さて、システムが動けばいいのですがね」
 そう言いながら電気室に入っていくリーブの後を台車を押しながらレノとルードもついて行く。
「良かった、ここの破損は少ないので部品を少々変えれば動きそうですね」リーブは電気室の配線盤の中身を見るなりそう言った。「そこの工具箱を。地下三階の電気系統を一時的に使えるようにするだけなのでそう時間はかからないはずです」
 そう言うなり作業に取り掛かり始めたリーブをレノとルードの二人は見守った。工具がぶつかって鳴る音だけが暫くの間響いていたがふいに沈黙を破るようにしてレノが発言した。
「しかし驚いたんだぞ、と。リーブさんが総務部調査課――タークスのオフィスが何階に存在しているのかを知っていたなんてな。神羅の統括というのは他部門の機密事項についても知っているものなのか?」
 リーブは顔に苦笑を浮かべた。二人にはちょうど影になって見えない位置ではあったが。
「そうですね……そうかもしれませんが、おそらく私は他の統括より公にできないような機密事項には疎かったでしょうよ。まあそれでも色々と知りたくもないことを知る羽目になりましたがね」
「それに資料の検索システムのこともだぞ、と。タークスが管理していた資料室にそういったシステムがあるなんてことも案外有名だったりしたのか? 紙、電子の資料共に一括でデータベースで管理されているのはなかなか画期的であったしな。他の部署が管理する資料室にも俺たちが管理していた資料室にあったような検索システムが備わっていてもおかしくないか、と」
 レノは初耳だという雰囲気だった。隣のルードも首を少し傾げつつ「確かに気になるな」と言っているところをみるとレノと同じように感じているのだろう。
「検索システムは――まあ、たまたま知る機会がありましてね。少なくとも都市開発部には電子化されていない紙の資料を検索するようなシステムは存在していませんでした。電子化されている資料のみの検索システムはありましたがね。そのせいで昔の、電子化が始まる以前の資料の整理が全くできておらず、古い資料のデータベース化は都市開発部が抱える問題の一つではありました」リーブは昔のことを語りつつ最後のパーツをはめ込んだ。「これでいけるはずです。発電機のスイッチを」
 レノが言われた通りにスイッチを入れるとぶーんという低い作動音が鳴り響いた。このフロアには特に大きな変化はなさそうに見えたが、リーブは配線板についているランプが緑色に点灯し通電がしっかりなされていることを確認し、自分の仕事が成功していることを知ると二人を促した。
「さあ、行きましょう」



 レノがパスワードを入力すると検索システムは奇跡的に作動した。いや、奇跡的ではない。作動することはリーブには予測できていた――過去の経験から。リーブはこのシステムの管理担当だった経験があり、どのくらいの障害が発生すれば利用できなくなるのかについてよく熟知していた。神羅の叡智を集結させたこのシステムは数年動かなかったくらいでは起動しなくなったりはしない。
 レノとルードの二人は自分たちの目当ての資料の居場所を調べ終えると資料を回収しに棚がたくさん並ぶ区画の方へ向かった。ここ地下三階にある資料の大半はまだ回収がなされていなかった。神羅ビル跡地に残る大量の資料や機材や薬品などの処分・回収をどうするのかということはリーブたちWROが抱える大きな課題のうちの一つだった。機材や薬品はもちろん、それの危険性を理解していない者による盗難にあってしまい、盗人当人だけでなくその他罪を犯していない周囲の街人に被害が発生してしまう危険を孕んでいるものが多数存在している。それに資料類にはこれからの役に立つものも多く存在している。神羅は最先端の研究を数多く行っていた企業だったからだ。倫理的に問題がある研究も数多く行っていたが、だからといって一般的な観点からみても問題のない方法で行われていた研究結果までも頭ごなしに破棄してしまうには惜しいものも多々存在する。ここらへんの匙加減については難しいところだが、WROの幹部の間で今後取り上げていくべきだ。神羅カンパニーの裏の面の調査も含めて――リーブはこれら惨状を実際に目の当たりにすることでこれまで考えていたことを再度決意することになった。
 しかし、もう既に失われてしまっている情報も数多く存在していることをリーブは既に予測していた。各部門の統括は正規の手続きを経て退任したわけではなかったし、プレジデント神羅も息子のルーファウスにきちんと引継ぎを行って社長を退任したわけではなかった(彼ら全員この世に既に存在していないところが何とも皮肉なところだ)。その過程で失われた情報は多々あるだろう。リーブは神羅カンパニーの統括の役職についていたときの経験から神羅という組織の隠蔽体質についてよく熟知していた。統括だったといえど、他部門に流していない情報、はたまた社長のみしか知らない情報も存在していたに違いなかった。しかし、もう失われた情報についていつまでも考えていても仕方がない。リーブは目先の問題を片付けようと気を取り直した。
 まずはルイーゼ博士について調べることに決めたリーブは検索ワードに彼女の名前を入力した。すると関連する情報がリストになって表示される。ⅠNSプロジェクト、世界初クローン――何年も前にリーブが調べた際にでてきた記事や論文が目につく。リーブは検索結果が新しい順番にソートされるように端末を操作した。
 一番上にきたのは『ⅠNSプロジェクト中止』という見出しの記事だ。このことはよく覚えている。リーブの元に正式な書面として渡されたものでもあったからだ。随分前の話だが。この記事は今回調べたいことには直接は関係してこないため、二番目に新しいものを見る。
 二番目の見出しは『科学部門博士、他一名射殺』と書かれていた。リーブは見出しを選択し、詳しい内容にアクセスしようとする。調べる際にどの端末を利用するかによってアクセス制限により閲覧が不可な情報もあったが、この記事(記事というより報告書といった方が正しいかもしれない)はここの端末からだと閲覧することが可能であった。リーブがかつて勤務していた都市開発部門にあった端末からアクセスした際はこうはいかなかったであろう。この記事が紙媒体であったから都市開発部門の検索システムではヒットしなかった、という理由ではなくアクセス制限に引っかかってしまったから、の方だ。
 リーブは報告書の最初の部分をざっと読み、この報告書が目当てのルイーゼとシャルロッテが死亡した件に関するものだということを確かめた。死亡時の状況、死因――死因ははっきり調べられたわけではなさそうだ。死亡時の状況から見て銃弾が命中したことによる出血死であろう、とある。二人の遺体が埋葬された場所――ミッドガルではなく、射殺された場所近くの村だそうだ。ここまで読んで、リーブはこの件で死んだ二人について検死も行われていなければ身元確認も死亡者の持ち物の確認と顔を写真と見比べることで行ったとあり、二人がこの報告書で死亡したと書かれているときに確実に死んだのだ、とはっきり述べることのできる材料が揃っていないと感じた。さらにいえば死亡したとされる女性二人がルイーゼとシャルロッテであるということさえも本当なのか少々怪しい。この事件には医者などの神羅以外の者が介入している形成が見られず、このような第三者が一切関わっていない報告書はいかようにも改ざんができるからだ。リーブは性格上、根拠が明確にできないようなことを鵜呑みにすることはなかった。彼は二人が埋葬された村の名前を頭の中に記憶しておく。この後で二人が、ルイーゼとシャルロッテが確実に死亡している、という証拠を探すことになりそうだと考えたからだ。
 次にリーブは『ベン・ゲインズブール』とベンの名前をフルネームで入力し検索をかけた。
「ゲインズブール――聞き覚えがある苗字だな、と」脇からレノが端末を覗き込んで言った。
 夢中になっていたリーブはレノとルードの二人が目当ての資料を集め終え、ここに戻ってきていたことに話しかけられるまで気がついていなかった。そのため、一瞬驚き、すぐにその特徴的な喋り方からレノに話しかけられたのだということを理解はし飛びずさることは防げたが、変な汗をかいてしまうことを止めることはできなかった。
「急に話しかけないでくださいよ」
 リーブはレノに文句をつけた。レノはまさか気配に気づいていないとは思っていなかったんだ、とはいいつつも謝る。
「ゲインズブールってエアリスの姓がそんなのではなかったか」
 ルードはリーブとレノが何やら言い合いをしている間も一人静かに記憶をたどっていたようだった。
「そういえばそうだな」レノはそれはそれで、という感じで考え込む。「なぜ、エアリスの血縁者について調べている?」
「いえ、きっかけはエアリスではなくてですね……」
 ここでリーブは二人に今回この崩落した廃墟跡へ調べ物をしに来ることになった経緯を話さざるを得なくなった。エアリスの義母、エルミナの元へ爆弾つきの手紙が届いたこと。リーブの元へ届いた手紙のこと。そして、リーブとベンの繋がりについても。
「それで? リーブさんが関わっていた何とかっていうプロジェクトにエアリスの義母のエルミナの旦那も被験者として参加していたってことか、と。要するにエアリスの義父が」
「ベンがエアリスの義父だというのは少し語弊がありますね。彼女がエルミナによって迎え入れられる前に彼は死亡していますから。ええ、そのという証拠を今回探しに来たのです。なぜなら――」
「なぜなら、そのエアリスの義父……じゃない、ベンって奴が今回二つの手紙を送り付けた犯人ではないかと疑っているからか?」
 リーブはレノが立てた予想を完全には否定をすることはなかったが、かなり否定寄りの意見を返した。
「可能性として、ほんの少しだけはありますね。けれども考えてもみてください。普通、いきなり何年も経って自分の家に手紙を送るようなんてことあるでしょうか。まあ今回のことに普通なんて当てはめるのも可笑しな話ですがね。そう、ですから、ルイーゼ博士かシャルロッテが犯人であるという線はかなり濃厚だと私は思いますよ。事を引き起こしているのは一人ではないかもしれませんが――どちらかが本当は生存していて今回の事を起こしている犯人だと考えるのはとても自然なことなのです。私が知っている情報からだとね」
 リーブはそこまで言い切ってクラウドにはリーブの元に届いた手紙の内容を詳しく話していなかったな、と思った。今度彼に会って詳しく話さなければならない。
「死んでいたと思っていた知り合いが実は生きていた、ね。確かに小説や映画の中だったら盛り上がるいいストーリーだ、と。でも今回のことはフィクションの話ではない、現実の出来事だ」レノが言った。彼の意見も尤もだ。「なぜ、リーブさんはそこまで確信に近いものを抱いているんだ? 手紙にはなんて書いてあったんだ、と」
「『ⅠNSプロジェクト 被験者様』」
「それだけなのか?」
 今までずっと黙って話を聞いていたルードがあまりに驚いたのか反応する。
「いえ、あとは旧式の記録媒体が。あまり内容は詳しく言えませんが、記録媒体の中身のほとんどはⅠNSプロジェクトに関するデータでした。それも公にあまりなっていないようなデータです。実際に研究に関わっていた者しかしらないであろう」
だって? つまり、研究データ以外にも何かあったってことだろ、と」レノはほとんど、のところを強調しつつ言った。
「貴方たちはごまかせませんね」リーブは苦笑を交えつつ言った。もともと隠し通せるとは思っていなかったが実際に目の当たりにするとやはり感嘆の声をあげざるを得ない。「確かに一つだけ奇妙なファイルがありました」
「それにはなんと?」
「『私は生きている。私は生き延びたんだ。そして私たちを売った貴方を許さない。L』最後の『L』は署名ですね、おそらくこれの送り主の」
「L、か。だったら、ルイーゼLuiseが犯人なのではないのか」ルードが自分の予想を述べる。
「確かにその通りではありますね。けれども、シャルロッテCharlotteはLから名前が始まりませんが、しかし彼女はロッテLotteという愛称で皆から呼ばれていた。シャルロッテが送り主であるという線も捨てきれません」
「なるほどね」レノはここまで聞いてやっと納得した。「それで? 容疑者は二人いるわけだが犯人であることを立証するには証拠が必要だろ、と」
「もちろんそうですよ。疑わしいからというだけで決めつけるのは早計ですし、とても愚かなことですからね。これは私の持論ではありますが、世の中の様々な物事というのは案外、よりもの方がずっと重要なことだったりするのですよ」なにやら哲学的な表現だな、とレノとルードの二人は思った。さすがは都市開発部門の統括だっただけはある。二人にはそこまでの考えに及んだ経験は一度もなかった。「エルミナの家に届いた手紙はもともとベン宛てのものだったのですから、初めに彼について調べるというのは至極当然に思いつくことです。もちろんレノの初めの予想のようにベンが犯人であるという線も僅かばかり存在しますしね。ただ、彼が確実に死亡しているという証拠を見つけることに於いて重要なのはそこではありません。今回、故人の元へ届いたのです。何故、犯人は当人に届くことが決してない手紙を送付したのでしょう? 二つの場合が考えられませんか。一つ目は犯人は既に受け取り人が故人であると知りつつも目的があって送付したという場合。これは少々たちが悪いです。何故やったのか、という点で考えるとエルミナに何らかの恨みがあって送った、というのが濃厚になりますから。二つ目は単純に、犯人がベンが故人であるということを知らなかった場合。これは単純な理由であるからこそ一番ありえそうだと私は思っています。この件は映画や小説の中のフィクションの話ではないですから。小説などでは読者を楽しませるために前者の理由をとりがちですが、現実ではそんな複雑なことは滅多に起こり得ません。読者のような存在は現実には存在しませんからね。作者――現実に於いては犯人ですね、は私たちが想像する以上にわりと単純な理由で動いていると思いますよ。複雑に考えすぎることで迷宮入りしてしまうのは避けなければなりません。それで、ベンが故人であるという証拠を見つけたいのです。彼が故人であることを知らない人物を探すのに重大な手がかりになりますからね。ベンが死亡していることを知らない、かつⅠNSプロジェクトのことを知る人物、というのは大分限られてきますからおのずと犯人が特定できるのではないかと踏んでいます」
 三人はベン・ゲインズブールの情報を見た。彼は神羅に所属していたこともあり詳細なプロフィールがデータベースには残されていた。身長、体重、年齢……訓練でのスコアなんかも。そして、彼は戦争に派遣された兵士であったから死亡診断書もあった。機密事項も含まれるから、といった理由で家族には詳細に伝えられなかった資料が。
 三対の目が文章を追った。どうやら彼の死亡は当時神羅に関わっていた医者により確認されているらしい。夜間の襲撃により多くの兵士が殉職した。彼もそのうちの一人だったのだ。
「彼の死亡診断を行ったレナード医師という人物の身元については信用しても大丈夫だと思うぞ。俺らも何回か世話になったことがある。特に何か研究を行っていたとかそういうのはない、普通の医者だ。神羅に関わっているってだけのな」ルードが腕組みをしながら言った。
「宝条とは違ってマッドサイエンティストではないから安心していいんだぞ、と」
 レノが冗談めかして茶化すように言う。
「一九九一年に派兵され、その約一年後にはこの世を去るとはね。後から聞いた話だと彼は近いうちに休暇でミッドガルに一旦戻る予定だったそうです。そんな中での死。彼は運が悪すぎた」
 リーブが友人のことを想って言った。
「たしかに今俺たちが生きているのはかなり運がいいのかもな、と」先ほどまでとは打って変わって真面目な調子でレノが言った。「ミッドガルで、いや、世界規模で起きたあの大きな災厄を乗り越えたんだ。一歩間違えれば俺たちは今この場にいないのかもしれないんだぞ、と。生き続けるのって案外、運が大事なのかもしれないな」



 リーブたち三人が作業を終えて神羅ビル跡地を出たのは既に日が落ちかけている頃であった。レノとルードが行きより積載量の増えた台車を押して歩くのを横目に見ながら車までの道を歩いていると、ふと一人の人影がリーブの目についた。ここから少し先、リーブたちがつい先ほどまで通った道はすぐ行ったところで立ち入り禁止の規制線が引かれている。神羅ビルは大部分が崩壊しており倒壊の危険性がある――というのは表向きの理由で実際は貴重な資料や機材などをよからぬものたちに荒らされないようにするための現場保存の意味合いが大きな意味合いを占めていた。
 つまり、神羅ビル崩壊後直後ならともかく、今となってはここに近づくものはほとんどいなかったのだ。リーブは不思議に思いながら斜め後ろを歩く二人の方を振り返った。レノとルードの二人とも、明らかに台車の大きさに見合っていないほど載せられた荷物を倒さないように運ぶのに必死で人影には気がついていないようだ。リーブは荷物を運ぶ二人が他愛もない話をしながら歩いているのを見て微笑ましく思った。タークスの面々は神羅が存在していた頃は常にピリピリとした緊張感のある空気を身にまとっていたが、今はそんな空気は微塵も感じられなかった。エージェントとしては失格なのかもしれないが、リーブにはこちらの方がずっといいように感じられた。
 そんなことを考えながら歩いていると、人影の顔や背格好が認識できるような距離まで近づいていた。人影は男性であった。歳は老人、といって差し支えのないくらいの年齢で紳士然とした雰囲気の服を身にまとっている。その老紳士の顔をみて――リーブは今年の中で一番、驚愕することになった。まだ今年は始まったばかりではあるが。
「統括、統括ではないですか」リーブは思わず老紳士に向かって話しかけていた。「お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか、私です。リーブです」
 老紳士は急に向こうからやってきた男性に話しかけられ最初こそ怪訝そうな面持ちでリーブの言葉を聞いていたが、リーブが喋り終わる頃には彼もこの目の前で親し気に声をかけてきた男が昔の知り合いであるということを認識したようだった。
「お、おお……リーブではないか。何十年ぶりかね」老紳士はリーブのことをリーブであると認識し、驚いているようにも見えた。ほんの一瞬ではあったが。「まさかこんなところで会うなんて。偶然かね、つい最近エッジのダイニングバーで君のことについて話す機会があってね。これは今日のことが起こる前触れだったのかもしれない」
「そうだったんですか。いや、統括が未だご健在だったとは、なんとも嬉しい限りです」
「おい、統括だってよ」レノは隣のルードを肘で小突きつつ小声で囁いた。「と呼んでるぞ、と!」
「俺たちが神羅に入社する前に統括の役職に就いていた人なのかもしれないな」ルードはそう小声で返事をすると黙り込み、二人の統括の会話を盗み聞くことに再び集中し始めた。
「色々ありましたからね。お互い生きて再び出会えるなんて奇跡のようです。いつからエッジへ?」
「つい最近だよ。まさか自分がまたミッドガルの地を訪れるとはね。自分でも驚いている」
「ええ、ほんとうにそうです。貴方が神羅を辞めた後ミッドガルを離れたと聞いたとき、ああもう、一生ミッドガルの地を訪れるつもりはないのだな、と思っていました。ミッドガルが無くなったため、こちらを訪れようという気になったのでしょうか」
 リーブは不思議に思いながら尋ねた。老紳士には昔色々と何かしらあったらしい。
「実をいうと不治の病を患っていてね。医者によるともうそう長くないらしいんだ。もちろん、星痕症候群ではないよ。あれは数か月前までは不治の病であったが今となっては必ず直すことのできる病だ。不治の病はこの世の中にたくさん存在しておるが、その中でも私はがんを患っておる。この病は私くらいまで進行してしまうともう治すことはできない」そう話す老紳士の言葉の調子はそこまで暗いものではなかった。「なに、そこまで驚くことではない。人は皆いずれか死ぬ。私にもそのときがきたというだけさ。寧ろあとどれくらいで死ぬのかわかっている私は幸せ者だね。こうやってここへ来れたのだから」
「なぜここへ? あまりここ――神羅ビル跡の周辺は治安の良いとは言えない場所です」
 リーブは純粋な疑問からそう言った。こういった人気の少ない場所では何らかの事件が起こりやすい、と相場が決まっている。
「ここの瓦礫の山は私が一番人生で輝き、そして自分がやったことで何が起こったのかには目を向けることなく、ただひたすらに自分のやりたいことを追求していた頃の傑作だ」老紳士ははっきりとは言わなかったがリーブには彼が何を言わんとしているのかをひしひしと感ずることができた。「私は死ぬ前に、最後にこの景色を見たかったのだよ。この崩壊したミッドガルをね」
「貴方が作り上げた都市をこのようにしてしまって申し訳ありません」
 リーブは申し訳なさから老紳士の目を見ることができず、神羅ビルの方を見上げつつ言った。
「いや謝るのは私の方さ」老紳士は神羅ビルの残骸を見上げつつ言った。「君は兎に角優秀だった。当時の私は物事を一方から見ることしかできていなかったのだよ。私は真面目で心根の優しい君を――非情になりきれない君を次期統括に指名してしまったんだ。この立場が会社のためどれだけ多くのことを見て見ぬふりをしなければならないのかを知っていながら! 自分が神羅を辞めたいがゆえに早急に後任者を指名する必要があったんだ。私は君に全てを押し付けて逃げたのだよ」
 ここまで、話を後ろで聞いていた二人は会話の内容を全て理解することはできていなかったが、大方のあらましの想像はついていた。
「あの老紳士――リーブの前任者は神羅のやり方に納得していたわけではなさそうだな」
 ぽつりとルードが自分の見解を漏らした。
「ああ。それに円満に統括職を退任したわけでもなさそうだぞ、と」
 二人はそう自分らの見解を話し終えると再び、前統括と元統括同士の会話に聞き入った。
「貴方があのとき私を推薦していなかったら今の私はありません」リーブの言葉は気を使って言っているものでは決してなかった。「私は後悔していませんよ、今も昔も。過去があるからこそ今があるのです。私はいつだって最善を尽くしてきたつもりだった。色々及ばぬこともありましたが、それはひとえに自分の力が及ばなかっただけです」
 ここまで断言されるともう何も言うことができず、老紳士はこれ以上自分の主張を伝えることをあきらめざるを得なかった。彼は年長者としてこういったときは一旦黙って一呼吸おくことが大事であるということを心得ており、その結果この結論に至ったのだ。
「ところでそちらのお二人は?」老紳士は話題を変えるようにして後方のレノとルードを指した。
「ああ、彼らは私の部下です。WROのメンバーですよ」リーブはさらっと言った。さも本当であるかのように。
 いつから俺たちはリーブさんの部下になったんだ、と一言いいたい気分ではあったがレノも老紳士を見習って自分の主張を声に出さないように努めた。
「はじめまして、前都市開発部門統括殿。私はレノと言います――こっちはルード」レノは自分の口癖を忘れたかのような口調で言った。完全によそ行きの顔である。
「リーブの手伝いをしていたのかね、君たちは。長話をしてしまってすまなかったね。まだ荷物を運び終えていないのに彼を呼び止めてしまって。これからもリーブのことをよろしく頼むよ」
 レノとルードはその言葉に少々複雑な気持ちで頷いた。彼らは今までもそしてこれからもリーブの部下になるつもりはさらさらなかったからだ。彼らにとっての主人は一生この人である、と決めている人物も既にいることだし。
「統括はあとどのくらいの期間ミッドガル――いえ、エッジに滞在されるのですか?」
「来週いっぱいまでは。少なくとも」言いながら老紳士はポケットから取り出した紙切れに何やら書きつけると、書いた部分だけを破り取りリーブに手渡した。「私の滞在先の住所と電話番号だ。もしまた会えそうだったらここへ連絡してくれ。私は一日の大半は暇を持て余しているからいつでも」
 リーブはメモを受け取った。
「ええ、自分の予定を確認してからまた連絡します」
 レノとルードは会話の終わりを察し、台車の上の荷物が運ぶときの振動で倒れたりしないよういい塩梅に積み重なるように調整し出した。
「ところで」支度を始めた二人を無視するようにして老紳士は話し始めた。どうして、老人の話は終わりそうだと思ったところで再び始まるのだろうか、とレノとルードは作業の手は止めないままひそかに思った。「いや、特にたいしたことではないのだがね。なんて言うのだろうか――最近何もなかったかね」
「特に何も」リーブは怪訝に思って首を傾げながら答えた。
 ならいいんだ、と老紳士は言い今度こそ話が終了する雰囲気になった。
 レノとルードはその空気を感じ取り、今度こそはと台車を気を付けて押しながら歩き始めた。後ろでリーブと老紳士が言葉を交わしているのが聞こえてくる。また待つことになるかもしれないことを危惧しつつやっと五十mほど先に進んだところでリーブが話を終えこちらに走ってくるのを感じた。
 レノは空を見上げた。神羅ビル跡から出た直後に落ちかけていた太陽は既に完全に落ち、辺りは暗くなりつつある。
「なんであんなことを最後にリーブさんに聞いたんだろう?」
 レノがそう呟いた言葉は夜の空に吸い込まれるようにして消えていった。


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