[u]-εγλ 1991
その日は風の強い日だった。
リーブはいつもよりも一段と強風が吹き荒れる新羅本社ビルのヘリポートにて、無意識に目にかかる前髪を払った。彼が何故このような日にわざわざこのような場所にいるのか。もちろん、それには理由がある。
リーブは腕に着けている時計をちらりと見、そしてヘリポートへの出入口の方をじっと見つめた。彼は人を待っているのだ。護衛対象である都市開発部門統括を。
リーブが都市開発部門統括の護衛任務を受けたのは僅か数時間前、今朝のことだった。出勤するなりヴェルドに呼び出され護衛任務の話をされ、そして任務の詳細を聞き終えるとリーブは首を傾げた。「何故、この任務に私が抜擢されたのです?」
彼がそう疑問に思うのも無理のないことだった。今回の護衛任務は至って普通の護衛任務であり――だからこそ普段じゃ有り得ないことだった。
「ああ、わかっている。君の
ヴェルドは椅子から立ち上がり、リーブの方まで歩み寄った。部屋に入る扉の方を五秒程じっと見つめる。誰か部屋の前の廊下を通る者がいないか聞き耳を立てているのだ。その間、ヴェルドの執務室には不気味にさえ思えるほどの沈黙がただよっていた。暫く経ったのち、確認をし終えたのかヴェルドはリーブの方に顔を向けた。二人の目と目が合う。
「昨今、テロリストどもの活動が活発化していることは記憶に新しいはずだ。昨日、テロリスト掃討作戦を行っていたタークスメンバーのうち四名が負傷した。全治三ヶ月だそうだ」
掃討作戦のことはリーブにとって初耳だった。作戦実行に関わった者しか知らないようなごく内密に行われたものだったのだろう。リーブもそういった任務に関わったことが数回あったため、そのことは容易に予想がついた。
「ただでさえいつも人手不足のタークスで四人も休職者が出たのだ。ここまで言えば想像できるだろう? まあそういうことだ」
「なるほど、そういった事情が、ですね。私が呼ばれた背景についてはよくわかりました」
「理解が早くて助かる。もともと護衛任務に就くはずだった者はテロリスト掃討作戦の後始末に派遣した。その者の代わりに護衛任務に就いてもらいたい――これは私の判断だ。掃討作戦の後始末の方はまだテロリストどもの残党がいる可能性が高いから戦闘になる可能性が極めて高い。戦闘経験が豊富な者を行かせるべきだ。その逆で、護衛任務の方は戦闘になる可能性は低い。都市開発部門統括はジュノンに行って会議に参加し一泊したのちミットガルに帰還するだけだからな。危険な点はほとんどないといっていいだろう。もちろん油断は禁物ではあるがな」
それにはリーブも頷いた。
「ええ、もちろん、承知致しておりますよ」
――このような経緯があり、現在ここにいるのだった。そうやって今朝のことを思い返しているとなにやら入口付近が騒がしくなる。
その騒ぎの正体は、数名の新羅兵と一人のスーツ姿の男を引き連れた初老の男性がヘリポートに現れたからであった。集団の中心にいる一番年嵩の男、あの初老の男性こそが都市開発部門統括に違いない、とリーブは思った。
「初めまして、今回護衛を務めさせていただきます、リーブ・トゥエスティと申します」
リーブは入ってきた集団に近づくとそう自己紹介をした。軽くお辞儀をするのも忘れない。
「今回はよろしく頼むよ」都市開発部門統括もリーブに釣られるようにしてお辞儀をする。「――今回の護衛は君一人だけかね?」
リーブは頷いた。
「ええ、そうです。何か問題でも……?」
「特に何も」統括ははっきりと言った。「一人で任務に就くのは大変だろう。君はまだ若いのに。ごたついているせいで君のような立場の者たちに迷惑をかけることになってしまって申し訳ないね」
その言葉からは昨日決行された作戦で起こったことを多かれ少なかれ知っていることが伺えた。
「私から統括のジュノンでの予定についてお話してもよろしいでしょうか」
統括の斜め後ろにいたスーツ姿の男は二人の会話に割り入るようにして話しかけると、リーブの返答を待たずして詳細を話し始めた。
「十一時にミッドガルをここ、新羅ビルのヘリポートから出発――今は十一時十分ですので予定を少々すぎております、説明が早口になってしまうのはご了承いただけると助かります、それで、出発のち十一時五十分にジュノン到着、暫く自由時間のち会議開始時刻が十四時から、そして終了予定時刻が――」
リーブはスーツ姿の男、おそらく都市開発部門統括の秘書だと思われる男の早口の説明をもちろん聞きつつも、ちらと統括の方を目線だけ動かすようにして見た。彼はミッドガル建設計画が立ち上がった際に招致された建築士であり、その優秀さと誠実さから現社長の信頼を得、都市開発部門の統括に抜擢されたらしい。誠実でとても正義感の強い人物であり、公正さを大切にする性格の持ち主。その性格はかつては現社長の信頼を勝ち取るのに役立ったが、現在はそのせいで揉め事が起こっているとか。統括はスラム街の開発にも着手し、スラム街の人々も正式にミッドガル市民として受け入れたいらしいが、社長はそのことには反対していた。一言でいえば、二人の方向性が合わない、ということだ。かつては同じ道を行く者同士が時間を経て道を分かつ、というのはよくある話だ。
「――という予定になっております。何か疑問点などはありますか」
そんなことを考えているうちに秘書の話は終了したようだった。
「特には。そちらから話しておくべき事項が他になければもう出発しても? せっかくのジュノンでの自由時間が削られてしまいますからね」リーブは冗談めかしながら言った。秘書は頷く。何もない、ということを意味する首肯だ。リーブは統括を手招いた。「さあ、行きましょう」
出発してから約一時間後。リーブと統括はアンダージュノンのメインストリートを並んで歩いていた――ジュノンではなく。
リーブは隣を歩く統括に気づかれないくらいのごく小さな溜息をついた。何故このような事態になっているのか。それは二人がジュノンのヘリポートに着いてすぐにあった出来事まで遡る。
それはジュノン飛行場の入口を出、すぐ目の前にあるタクシー乗り場へ向かおうとしている時のこと。急に統括は立ち止まり、そのままタクシー乗り場へ向かおうとするリーブを呼び止めた。そしてこんなことを言い出したのだ――「リーブ君、まだ会議までには時間がある。出発時刻が遅れたは大した問題にはならなかったようだ。それでだね」
この時点でリーブは嫌な予感を感じていた。何か言い出しにくそうな、そう例えば相手が断りそうなことを頼もうとしているときのような様子に見えたのだ。
その予感は直後に的中することとなった。
「アンダージュノンの視察をすることは可能かね」
「いいえ、できません」
リーブは統括が言い終わりかけたところに間髪入れず、ぴしゃりと言い放った。
「危険な場所へは行かないさ。人通りの多い、メインストリートを歩くだけでいいんだ」
「今回、護衛は私一人しかいないのです。承知致しかねます」
「これは単なる我儘で言っている訳ではないのだ」
「と、いうと?」
ここでリーブは何故こんなことを言い出したのかが純粋に少しだけ――本当にほんの少しだけ興味があったため聞き返した。そう、このように聞き返してしまったことが全ての運の尽きだった。
「私は他人から聞いたことをそのまま鵜呑みにするのは良くないことだと感じている。自分の目で見てみることが重要なのだと。君は私の目指していることを聞いたことはあるかね」
「風の噂では」
統括はリーブの返答に頷くと続けた。
「私はミッドガルを皆が幸せに暮らせるような都市にしたいと考えている。今の状況はお世辞にもそういった都市だとはいえない。ミッドガルは現在増え続ける人口の増加に対応できず、プレートの上の居住地が不足し、その結果プレート上の地価が驚くべき金額まで跳ね上がっている。そうなると貧しい人々は上に住むことができず、必然とプレート下に住まざるを得なくなった。その結果プレート下にスラム街が形成されたのだ。そして、悲しいことに彼らスラム街の住民はミッドガル市民とは扱われず、プレート上の住民が当たり前のように受けている福祉サービスを受けることすらできないのだ。これでは皆が幸せに暮らせる都市だとはいえないだろう? だから私はこの状況を何とかしたいと考えているのだ。噂でもそういうことになっているかはわからんがね」
一瞬の間。リーブは動揺していた。なぜなら、リーブはある種の正義感を持っている男であったからだ。しかし、それを相手にさとられないような様子できっぱりと統括に対しては反対の意見を述べた。彼にもタークスとしてのふるまいが板につきつつあったのだ。タークスは護衛対象の安全を第一に考える必要がある。理想などではなく。
「貴方の方こそ、
「そうだ。私の目指すもののためには必要なことなのだ。貧しい者たちの生活の様子を正しく知ることはね。なに、もし私に何か良くない事態が起こったとしても君の仕事に影響を及ぼすようなことはないよ。それなら問題ないだろう? 君は仕事ではなく、あくまで君自身の個人的な興味から私の街の散策に同行したのだ。うん、それがいい。そういう筋書きでいこう」言いながら、リーブの返答を待たずして、ジャケットのポケットから取り出した携帯端末に素早く文字入力を行う。「これで君の懸念事項は無くなったわけだ」
統括はリーブに携帯端末の画面を見せびらかした。そこには彼の秘書宛てのメールが表示されている。『自由時間にプライベートでジュノンを見てまわる。知り合いが一名同行する』要約するとそのような旨が書かれていた。
リーブはこの一連の流れに対してしばし呆気にとられていたが、「無くなってなどいません」となんとかこの一文だけは統括がアンダージュノンの方角へ歩き出す前にひねり出すことができた。
「そうかね? では、こう考えよう。私がプライベートで何をしようが私の勝手だ。つまり、私がプライベートでアンダージュノンへ行くのだって私の勝手だ。同じく、君だってプライベートで何をするのも自由であるし、私に同行してアンダージュノンへ行くのだって君の自由だ。そうだろう?」
「つまり?」
統括はくるりとリーブと反対の方向に振り返るとそのまま歩き出す。
「君が着いてこないというならばそれでいい、私はこのまま行く。なにせ、プライベートの時間だからね」
リーブは慌てて追いつくと統括の歩調に合わせて歩き出した。統括に気づかれないくらいの
そんなこんなで二人はアンダージュノンの街を歩いていた。ときおりすれ違う、道行く人々の顔はどこか沈んだような面持ちの者が多く感じられた。この街に漂う独特な薄暗い雰囲気がそう感じさせているだけかもしれないが。気のせいだということを裏付けるように、一秒ほど目をつぶった後に景色をみると、暗い顔をした人々ではなく楽し気に道端で遊ぶ子供たちの姿だけが目につく。しかし、さらにもう一回、目をつぶって開けると、今度は薄汚れた服を着た浮浪者たちの姿が目に入った。彼らはどこからか捨てられたものを拾ってきたのであろう空き缶を目の前に置き、施しを待っていた。
「ふむ、私は彼らのような者たちに職を与えるにはどうすればよいのかを常々考えている」浮浪者たちの横を通り過ぎると、統括は話し出した。彼の理想を。「仕事を斡旋する場所はあるが、残念ながら雇い主が求める能力を彼らは有していない。彼らは教育を受けていないからだ。私はやはり、より多くの者たちに教育を受ける機会があるように改善することから始めるべきだと思う。具体的にはミッドガル市外の者にも奨学金を与えるとかね。なかなかこういった今までにない改革を行うには越えなければならない壁が多くあるが――君はどう思う?」
「私が意見を言っても良いのでしょうか。こういったことには正直なことしか申し上げられませんが」
「君の率直な意見でよい。私はおべっかを使うような人間はあまり好まないからね」
そう言いながら微笑んだ統括に対して、リーブは正直に意見を述べた。今日一日色々と統括に振り回されていたので、少しばかり空気が悪くなっても良いか、と思っていたのもあったし。
「統括の理想はあるべき姿であるとは思います。ミッドガルの大学への進学を金銭的な理由から諦める者は少なくないですから。例えば私のように」
「そうか」
統括の返事からは、彼が何を考えているのかリーブには読み取れなかった。
「しかし、やはり統括の言う通り厳しい道ではあると思います」少し間をおいて、統括が言葉を続けないことを確認してから、リーブは自身の意見を述べることを続けた。「ミッドガル市民には統括のような考え方を持つ者ももちろんいるでしょうが、多くの者はそのような改革をする必要性を理解できないでしょうし、現状維持で良いと考えるでしょうからね。そして、トップも現状維持を求めている。一般的に、何か物事を変えるには、トップかもしくはトップが無視できなくなるくらい世論を大きくするしかありません。この状態を打破する方法を貴方はお持ちなのでしょうか」
「君はなんて言うか――
リーブは統括の話を聞き、なるほど、と思った。これはもちろんリーブ自身の素直な気持ちだ。そんな会話をしながら二人はアンダージュノンの名も知らぬ通り(ミッドガルと違って通りに名前はついていないのかもしれない)を歩いていたが、気づけばいつの間にか人通りの少ない街の外れの方まで来ていた。護衛としてリーブはここを離れるべきだと思い――統括に向かって「そろそろ宿へ向かいましょう」と言った。充分アンダージュノンの視察もできたはずである。
しかし、返事はなかった。
「統括?」
これはまずい、とリーブは思った。彼はすぐさま頭の中で自身がするべき行動を考える。統括の身に何があった、何か興味のある事柄があって統括自身から離れたか、それとも何者かに連れさられたのか。もし連れ去られたのなら? リーブは最悪の場合を想定して行動しようとしていた。――もし連れ去られたのなら先程まで会話をしていたのだ。まだ近くにいるはず。
わずか五秒ほどでそのように思考をまとめると、リーブは近くの路地裏へと続く道を覗いた。そこには彼の読み通りの光景があった。拘束から逃れようとする統括と、何とか統括を捕縛しようとする着古した服を身にまとった二人の男たちがいたのだ。
「離してくれ」男たちの拘束から逃れようと暴れながら統括は、男たちに向かって懇願した。そして、約三十メートル先に立つリーブを見つけたのか、男たちを説得するのは諦めたようで、リーブに向かって一言。「助けてくれ」と言った。
思考をまとめあげるのにかかった時間と同じくらいリーブの行動は早かった。もちろん、本音を言うと焦りでどうにかなりそうではあったが――平常心を保つように意識し、懐から銃を抜くと統括を拘束しようとする男に向かって銃を構えた。
「彼の拘束をときなさい」
リーブは彼らに警告する。しかし、男たちは怯まず、さらには一人に統括の拘束を任せると、もう一方の男は懐から銃を取り出しリーブに対して構えた。
「従うとでも?」
男は挑発した。一気に辺りには緊張感が漂う。
先に動いたのはリーブの方だった。二発の銃声。一発は男の腿に命中し、男はその場にうずくまる。すかさずリーブは銃を持った男に、突進するようにして駆け寄ると男の手から無理矢理武器を奪い取った。さらにその勢いのまま突然の出来事に困惑している統括を拘束する男に向かっていくと、全体重をかけるようにして体当たりをした。リーブと男の衝突の衝撃で、拘束が緩む。統括はリーブたちが倒れ込んだ方向とは逆側に投げ飛ばされた。
受け身を上手く取ったリーブは即座にその場に立ち上がったが、二人の男たちはすぐには立ち上がることができなさそうに見えた。呻き声をあげ、わずか数秒前に起こった出来事すらもまだ理解できていないような感じだ。
そんな様子を男たちを一瞥することで確認すると、彼らが状況を理解し、立ち上がって反撃に出られる前に統括を連れてその場を離れようと考え、くるりと後ろを振り返った。
――目に入ってきたのは三人目の男と、意識を失っているように地面に倒れ伏す統括の姿だ。完全に油断していた。
リーブはまだ後ろで倒れている男たちの仲間がいたことをすぐさま理解したが――しかし、頭で理解はしたが、次の行動に移すことはできなかった。抗えないほどの眠気に襲われたからだ。
リーブはその場に座り込む。現実に起こっていることをこれまでのように理解することができなかった。ただ、薄れゆく視界の中、この眠気がこれまでに経験したことがあるものの類であることだけはわかった。そしてそのまま、睡魔に抗おうとして、抗えきれず、視界は暗転した。
次にリーブの優秀な頭脳で考えることができたのは、この後頭部の痛みは何が原因なのか、ということだった。
そう考えながらリーブは頭をあまり動かさないようにして、目線だけで辺りを観察した。どうやら暗い洞窟のような場所に彼は横たわっているようだ。窓になるような穴すらなく、辺りには暗くどんよりとした空気が漂っている。
不思議なことに、明り取りの窓が無くとも、リーブのいる空間は真っ暗闇というわけではなかった。光源を探そうと少し先まで見渡すと、携帯コンロのようなもので火を起こしている人影が見えた。コンロの小さな炎だけではその人物の人相を伺うことはできない。
その人物は携帯コンロで何か料理をしているようだった。コンロの上の鍋をお玉のようなものでかき混ぜ、それに従って辺りに良い香りが漂う。しばらくかきまぜたのち、リーブからはちょうど人影になっていることで見えない位置にあったランプを鍋の方に引き寄せると、傍らにあったお椀を手に取り鍋の中身をよそった。ランプの位置が変わったことでリーブの目にもその人物の様子がだんだんとわかってくる――統括だ。
近くにいる人物が何者なのかがわからないうちは気づかれないよう身じろぎひとつしないように努めていたが、見知った人物であることが確認できると、リーブは身を起そうとした。身体は固い地面に横たわっていたためか節々が痛むが動けないということはなさそうだ。後頭部の痛みが若干強く感じるが視界には問題なさそうである。
「目が覚めたかね」起き上がろうとする音に気付いたのかリーブの方を振り返って統括は言った。「身体の調子は?」
「後頭部が痛む以外には特に」リーブはその場で座りこむ姿勢になると、辺りを再度見渡した。「何が起こったのか事態が呑み込めていませんが、統括はお怪我ございませんか?」
「問題ない。我々はどうやらスリプルで眠らされている間にここに運びこまれたようだ」統括は椀に鍋の中身をよそうと「君も食べるといい」と椀を手渡した。
「ありがとうございます」リーブは受け取ると椀の中の汁をすすり、身体に染み渡る温かさを味わった。眠りに落ちる前、経験したことがあるような感覚を感じたのはスリプルを使われたからだったのか。「箸かフォークはありますか?」
統括は頷くと使い捨ての箸を紙ナプキンに包んで手渡した。
「看守からの支給品だ」
「看守?」リーブは手渡された紙ナプキンの包みを開きながら言った。中に書かれていた文字にさっと目を通し、統括の方に目線をやる。「まるで私たちは囚人のようだ」
「囚人ではなく捕虜かな」こちらに目をやったリーブの意図を読み取ると頷いた。「奴らは私にミッドガルの詳細な設計図を渡すように要求してきた。
「彼らの目的は? 理由もなくこんな手荒な方法で設計図を手に入れようとは普通はしないでしょう。よく考えずとも褒められたようなことには使用しないでしょうね」
「我々からしたら褒められたことではないな。最近、テロが頻繁に起こっていることはリーブ君も知っているだろう」
統括は自分の椀を傾けて残りを一気に口の中に入れると飲み込んだ。その様子を見つつ、「もちろん」というようにリーブは深くうなずく。リーブが急遽、統括を護衛することになっているのも元はといえばテロ活動のせいであるし、身に覚えがありすぎた。
「そうだね――直接的な表現で言ってしまえば、いわゆるテロ集団がさらなる活動を行うためにミッドガルの設計図を要求しているようであるね。私も全て把握しきれているわけではないけれども」
リーブは「なるほど」とうなずくと自分も椀の中の具材をもらった箸で口の中にかきこんだ。そうしながら一緒に手渡された紙ナプキンに書かれていたことを思い返す。紙ナプキンにはこう書かれていた『偽の設計図を手渡して時間を稼ぐ』と。
「私たちがここに連れて来られてからどのくらい時間が経ったのでしょうか」リーブはふと、思い出したように問いかけた。
「私の時計を信じるならば我々が襲われてからは日付が変わり翌日になっているな」統括は再度リーブに目くばせすると紙ナプキンの方を見て指を小さく手招くように動かした。「おかわりはいるかね」
「ぜひ」リーブは空になった自分の椀を統括に手渡した。メッセージの書かれた紙ナプキンも一緒に。「この状況からいって、私たちはこの場で助けがくるか、犯人たちが解放してくれるのを待つかの二択しかありませんね」
「なるほど、賢明な判断だ。君は若者にしては思慮深いな」統括は椀を受け取ると鍋の中身を全てよそってリーブに再度手渡した。「私もこうやって今は食事をとる等して体力を温存しておくのが最も賢い選択だと思っておる」
「私は武闘派ではありませんからね。まあ、仮に戦闘に自信があったとしても、何人見張りがいてどのくらい入り組んでいる場所にいるかが全くわからない以上、ここで転機を待つことを選択するでしょうが」
リーブはそう言い、空になった鍋を近くのテーブルにどかしつつ、手渡された紙ナプキンをコンロの火にくべて証拠隠滅を図っている統括の方をぼんやりと眺めた。これまでの情報を頭の中でまとめ、今後の計画を練る。ちょうど統括はジュノンで行われる会議に参加しようとしていたのだから事はすぐ明るみになるだろう。ホテルにも会議会場にもいないことで、リーブたちが失踪したという事実は既に神羅側で把握していることが予想できた。問題は失踪現場がアンダージュノンであることを把握するのに時間がかかりそうであるということか。統括がアンダージュノンを訪れる予定は本来ならなかったのだ。秘書に伝えたのも『ジュノンを散策する』という内容だ。普通に考えて、まさかアンダージュノンに向かっているとは思わないだろう。
「ところで」紙ナプキンを燃やしつくしたことを確認したのか、統括はコンロの火を消すと、考え事のため黙りこくっているリーブに向かって言った。「スリプルで眠らされていたにしてはずいぶんと長く眠っていたようだが、最近はよく眠れていなかったのかね」
「ええ、まあ」曖昧な返事をする。「その、会社に泊まり込むこともあって家に帰れない日もあったりしてまして」
「なるほど」ふむ、というように統括は考え込むような姿勢をとった。「それはよくないことだ。労働環境の改善策を講じるように言わなくてはね」
そんなこんなで食事を終えると統括は犯人から渡されたであろう用紙に
どれほど時間が経っただろうか。リーブは突如あっと小さく声をあげた。
「どうかしたか?」統括は書きかけの設計図から目を離してリーブの方を見やると問いかけた。リーブのあげた声はごく小さいものであったが、近くにいた統括には聞こえるくらい、その場は静けさに満ちていたのだ。
「いえ」リーブは困ったような顔を向けた。外部の音が全く聞こえないからといってこちら側の会話が看守に聞かれていない保証にはならない。「えーっと、設計図を見ても?」
「問題ないよ。君が見ても楽しいものではないかもしれないが」言いながら統括はペンを置くと、テーブルの上にある紙をリーブの側へ引き寄せた。
統括が現在書いていたのは全体を俯瞰するような位置からみたミッドガルの設計図のようだった。リーブは設計図を覗き込みながらちょうど壱番街であろう箇所に転がしてあるペンを取ると、傍に置いてあった紙ナプキンの残りのうち一番上にあったものに文字を素早く書いた。『コンタクト トル ホウホウアリ タメシテミル』
紙ナプキンに文字を書きつけるのを見ていた統括はリーブの方を見あげた。二人は数秒間顔を向き合わせていたが、何か思うところがあったのか、統括は不思議そうな顔をしつつも軽くうなずいた。リーブもこのような態度をとられることは予想できていた。信じるには材料が足りないからだ。そんな中でも託してくれて助かった、と統括に対してリーブは心の中で感謝した。
「改めて見ると、ミッドガルはなんというか、造形美を感じる都市ですね。この設計図もまるで芸術的な絵画のようだ」
リーブは看守に悟られないよう、違和感を感じなさそうな会話を続けた。うんうんと統括は頷く。
統括は会話を終えると再び作業に戻った。またもや二人の間に沈黙が横たわる。
そんな中、作業を続ける統括を横目で見つやりつつ、リーブは牢の石壁の方を向いた。先程考え付いた方法を早速試してみるのだ――彼には既にこれから起こる脱出ゲームの勝ち筋が見え始めており、そのためか気分も高揚しつつあった。
まず最初にやることは、何度もやった
どれほど時間が経ったのだろうか。酷く長く感じられる(実際それほどは経っていないだろう)時が過ぎたあるとき、何かと繋がる感覚があった。実験のときと同じように。
リーブは過去に何度もやった準備運動のように、対象物が歩くイメージをした。いつもと違って目を開けても対象物が目に入ってこないせいだろうか、だんだんとまるで対象物と一体になっていくような心地がする。そうしていくうちにリーブは対象物そのものになっていく。比喩ではなく、本当にその言葉の通りに彼には感じられていた。
対象物と一体となった彼はとある瞬間、見覚えのある倉庫にいることを認識した。記憶が確かであれば、だだっ広い実験室に繋がっているはずのあそこだ。一呼吸おいたのち、倉庫に誰もいないことを確認すると、他の実験機材を倒さないよう機材と機材の間を縫うように慎重に進み出した。
ひとりでに保管していた機材が動き出したのだ。こういった新羅カンパニーが保有する倉庫には機材を監視しておく仕組みがだいたいは存在していることを一社員であるリーブは知っていた。勝手に保管品がどこかにいくようなことは一大事には違いないから、彼の予想ではそう時間のかからないうちに誰かと接触できるであろうと踏んでいた。もちろん、その
そうこうしているうち、倉庫に唯一ある扉の前まで辿り着いていた。リーブはふむと思案する体勢になり、どうやってここを出ようかと考えをめぐらせた。いくらタークスに所属しているといっても管轄外であるここの扉のコードは知らない。つまり、強行突破するしか方法はないか――そう思いつつ、構えを取った瞬間、扉の向こうで小さくピピッと電子音が鳴り、突然扉が開いた。
眩しく感じるほどの明かりが差し込んでくる。倉庫の中と違って外は明るかったため、リーブは扉を開けた人物についてすぐ認識することができずにいた。数秒経ってだんだんと目が慣れ始めてくると、扉を開けたのはかなり小柄な人物であることがわかった。リーブの今の身体がかなり大きな機械であることを抜きにしてもだ。
「何事?」その小柄な人物は訝しげな様子で一言口に出した。「警報が鳴っていたので様子を見にきたのだけど」
リーブはその声を聞き、『シャルロッテ? ああ、良かった。事情を知っている人に会えて』と言おうとして、この機械には発声機能が未搭載だったことを思い出した。リーブはシャルロッテと意思疎通を図るため、何度も書き物をしているジェスチャーをすることで筆記用具が欲しい旨をなんとか伝えようとする。シャルロッテはその必死な素振りをじっと見つめていたが、三回ほど書き物をしているジェスチャーをしたところで「あ!」と思いついたような声を上げ、慌てて着ている服のポケットを探り出した。そうやって取り出したペンとメモ帳を近くに山積みになっていたダンボールの上に置き、一歩後ろに下がるとこちらを見上げ、「どうぞ」という意思を伝えようとしてくる。
その様子を見たリーブはこくりと小さく頷くと、ダンボールの上に転がされたペンを器用に持ち上げた。力加減を用心しながら、若干ぎこちない動作で文字を書きあげる。
《私はリーブです》
書き出しには少々迷ったが、まずは自分が誰であるかをはっきりさせた。
《私と統括は現在監禁されています。おそらく、アンダージュノン付近に。このことをタークスのヴェルドという人に伝えてここに呼んできてほしい》
――なにせ、この姿で社内を歩き回るわけにもいきませんからね、とも付け加えたくなったが、緊急事態において自重する気持ちがあったのと、単純に文章を長く書き連ねるのは時間がかかる状態だったというのもあって、このことはリーブの心の中だけに留めておいた。
シャルロッテはリーブの書いた内容を見るとすぐに事情を把握したようで、「わかった」とうなずくと、駆け足でヴェルドを呼びに部屋を飛び出した。ふう、と息を吐き出し(これは比喩だ。実際には、この身体でいる間は息を吐き出すことなんてできやしない)、束の間の休息時間で緊張をほぐそうとした。今のところ順調で、リーブの
そうやって待っていると、体感で二十分も経たないうちに、シャルロッテがヴェルドを連れて戻ってきた。彼女は息を切らしており、大分急いで呼びに行ってくれたらしいことが伺える。
「話は聞いた」ヴェルドは手に丸めて持っていた大きい地図を近くにあった荷物たちをテーブル代わりにして広げると、アンダージュノンの辺りを指さした。「監禁されるまでの経緯を聞いても?」
《了解》
リーブが動かす機体はできるだけ素早く文字を紙に書く。もし学校の課題であったら再提出になってしまうような内容で、文章と文章の繋がりが若干おかしく、さらに少々乱雑な字になってしまっているが気にしない。
《十一時五十五分――予定より五分遅れでジュノンに到着。会議時間までの自由時間で、統括の希望によりアンダージュノンの視察を実施。その最中、何者かに襲われ眠り薬を使用され、現在、都市開発部門統括とリーブ・トゥエスティの計二名が岩壁の、洞窟のような場所に監禁中》
「なるほど、了解した」ヴェルドは地図を見ながら、腕組みをした。「犯人たちの目的は?」
《ミッドガルの設計図の入手だと。統括は現在、犯人たちに強要され、設計図を作成中。統括の提案により、実際の設計とは違う偽のものを作成して渡すことで情報をしばらくの間は秘匿できる》
「つまり、まだ犯人たちには重要な情報は渡っていないということだな」
リーブはこくりと頷いた。実際に頷いたのは生身のリーブではなく、彼の分身ともいえる機体であったが。
「現在テロリストたちによる活動が頻繁に起こっているということで、既に気にかけておくべき団体というのをピックアップし、詳細な情報を集めている。今回、統括を誘拐した犯人グループはそのリストにある団体のどれかである可能性が高い。それでいて、アンダージュノン近郊で活動している組織となると、わずか四つほどに絞られる」
ヴェルドは姿勢を正すと地図から顔を上げ、機体の目と思われる部分をしっかり正面から見つめた。その先にいるはずのリーブの気配を感じとろうとするように。
「四日――いや、三日後だ。この期間で情報を収集し、今から三日後の日没時刻に我々は君たちが監禁されているアジトに突入する。それまで、渡そうと作成している地図が実際の設計と異なるものであることを相手方に悟られないように頼みたい。できるか?」
《できる限りは》
「頼んだ。検討を祈る」
ヴェルドは力強く頷きながら部下に対して労いの言葉をかけた。たったの三日だ。たった三日間だけ耐えればいい。リーブは機体を通して、ヴェルドとシャルロッテを見た。二人の顔を見ていると漠然とではあるが、この作戦は成功できるという気がだんだんしてくる。
リーブはゆっくりと瞬きをした。先ほどまで目の前にいると
うまくいった、とリーブは思い、ふうっと息を吐いた。リーブが意識をとばす前と変わらず作業を続けていることから、彼がインスパイアで遠くの無機物に意識を繋げていたことについては、統括さえも気づいていないらしいことが見て取れた。もちろん看守にも違和感を感じる隙は少しもないだろう。
リーブは統括の方を見やった。彼の足元には何枚もの紙が散らばっている。リーブが意識をとばしていた間が彼自身の認識している通りの時間であるならば、とても早い速度で完成させていることになる。いくら実際のものとは違う想像上の設計図だといえどもすごいことだ。
一番近い側にあった設計図を手に取ると、ざっと全体に目を通した。彼自身の記憶では、それは実際のミッドガルの地図と寸分違わぬもののようにみえる。そんなはずはない、とじっくり時間をかけてリーブは頭の中で記憶の中のミッドガルの地図と手元の設計図をゆっくり照らし合わせていくと、確かに実際の設計とは重要なところで異なるようだ。
感心しつつ統括を見ると、ちょうど紙一枚分書き終えたようで、彼は線で埋め尽くされた紙を地面に落とし、脇にあるまっさらな紙を手に取っている。そしてリーブは床に増えつつある紙の山を見ながらふと、設計図同士の繋がりはわからなくなってしまわないのだろうかと思った。
リーブが懸念していた通り、設計図同士の繋がりは書いた本人以外にはわからなかったようで、翌日、設計図の作成状況を確認しに来た、リーブたちを誘拐したテロリスト一味の構成員のうちの一人であろう男はそのことについて指摘した。
「と、言われても私の仕事ぶりはいつもこんな感じだから、どうにかしてくれと言われてもね」
統括はさも当然のことのようにぼやく。テロリストを目の前にしてこのような態度を取れる者もそういないだろう。
「お前たちは自身が置かれている立場について理解しているのか」
男は一気に機嫌が悪くなった様子で統括を脅した。
「統括」助け舟を出すようにしてリーブは彼らの会話に口を挟んだ。「流石にこんな乱雑な状態で各種データを保管していたわけではないでしょう。普段、どうしていたんです?」
「私が紙に描いた設計図は部下がデータ化してくれていた。それらの管理方法に関してはほとんど部下に任せっきりで、私はよくわからないんだ」
リーブは考え込んだ。まだヴェルドたちが助けに来るまであと二日もあるのに、ここで相手方の機嫌を損ねてしまうのは非常によくない。自分たちの計画を相手に知られてはまずいのだ。
「ならばこうしましょう」リーブは暫く考え込んでいたが、提案を思いつくと話を切り出した。「私が設計図をデータ化し、整理するのをやりましょう。なので設計図作成のためのソフトウェアがインストールされているPCを貸し出してもらえないでしょうか。別に外部と連絡をとろうというのではありません。連絡がとれないように細工がしてあるものを貸していただければよいので。ミッドガルという規模の都市の設計図を全てアナログで描いて管理するというのは貴方たちにとっても大変でしょう」
「確かにそうだな。だが」男は提案を受け入れてくれそうな雰囲気を醸し出しつつも、納得がいっていない部分があるらしかった。「こちらには建築学の基礎を学んだ者がいる。そいつに手伝わせた方がよいのでは? 君はただの護衛だろう」
確かに二人が拘束された際の状況からいって、リーブが護衛ではないというのは無理のある話だった。リーブは反論が紡げず黙ってしまう。
「ふむ、彼が私の護衛だというのは事実だがね」統括は何か問題でもあるのか、と言った風に言い出した。「彼の父親はミッドガルの建設にも携わっていた建築家であり、彼自身も基礎的な知識は有しておる。だから、彼を私の助手にすることには何も問題はないと思うが?」
今度は男の方が黙る番であった。男はしばらく考え込んでいた様子だったが、何も反論が見つけられなかったようで「降参だ」と両手を挙げた。
「必要なものは手配する。用意出来たらここに持ってこよう」
男はそう言うと後ろを振り返り、唯一ある出入口を二回ノックした。そして、少し間をおいて最初のノックよりゆっくりと三回叩く。すると、向こう側から扉が開き、男は部屋から出て行った。
「建築の知識?」
リーブは扉の向こうから何も音が聞こえなくなったことを確認すると、誰にも聞かれないよう用心しつつ、統括にしか聞こえないような小さい声で言った。
「心配することは何もない」統括は苦笑いしつつ言った。「君がやる仕事は機械が苦手な私より君の方が適任だよ。リーブ君が情報を収集したり情報を操作したりすることに長けていることは君の上司からよく聞いている」
半日後、男が約束した通り外部通信ができないように細工されたPCがリーブの元に届けられた。それから二日間の間、特別大きな問題が起こることもなく、二人はひたすら作業に没頭していた。助手――リーブの仕事ぶりは素晴らしいものであった。大量の情報を集めて仕分けることはもう何十回とやっていることであったため(これが普段の彼の仕事だ。再度言っておくと今回の護衛任務のような仕事の方が例外であるといえる)、仕分ける情報が変わったといえどもわずか数時間で仕事の要領をつかみ、統括が満足いく内容の仕事ぶりを発揮できたのだ。
そんなこんなで約束の三日が経ち、リーブは喜び半分、不安半分の気持ちで朝食をなんとか完食しようと躍起になっていた。こんな色々な感情が渦巻いてモヤモヤする気持ちでいては食欲なんて湧くはずがない。そう思いつつ、隣で同じく朝食をとる統括を見たところ、彼はこの三日間毎日見ていたのと同じ様子で、椀の中身を飲み干していた。統括にも看守の様子を見つつ今回の救出作戦についてはだいたい説明してあったが、彼は特段緊張するような事態には至っていないようだ。
だが、リーブが緊張するような気持ちを抱いていたのは朝食のときまでで、食事後いつものように設計図の作成作業に入るとそのようなことは気にならなくなっていた。緊張を忘れてしまうくらい集中できてしまうほどリーブにとって面白い作業であったのだ。昼食を挟みながら作業を進めること数時間、日没の時間は刻一刻と近づいていた。
薄暗い岩壁の空間に、リーブがキーボードを打つ音と統括が紙にペンを走らせる音だけが響き続ける。そんなありふれた日常――この三日間だけではあるが――が動いたのは一瞬のできごとだった。牢の扉越しでもわかるほどの彼らが閉じ込められている空間全体が揺れる衝撃の後、何やら外がだんだんと騒がしくなっていくのを感じる。
――来たのだ、ヴェルドたちが。
統括とリーブは作業の手を止めた。
リーブの予想では、今自分たちがいるこの牢は、テロリストたちのアジトの中でかなり奥まった方にあるのだと思っていた。これは彼のなんの根拠のない勘ではなく、これまで得てきたテロリストたちのアジトに関する情報から予測したものだ。多くのアジトではこういった要人を監禁しておく部屋というものは(今いる場所は部屋というより穴蔵に扉をつけただけの代物であったが)、最奥に近い場所に設置してあった。
リーブは統括に指示を出し、二人して部屋の隅の入り口からは死角にあたる場所に移動した。部屋に入ってくるのは味方だけとは限らないからだ。後に引けなくなった犯人たちがリーブたちを盾にしようと連れ出しにくる可能性もある。しばらくの間、二人は死角にあたる物陰に身を潜め、あまり聞こえがいいとはいえない環境ではあったが、それでも外の音を聞き取ろうと耳をすましていた。その甲斐あってか、あるとき、リーブの耳はコツコツという足音がだんだんとこちら側へ近づいているのか大きくなってくるのを聞き取る。
リーブは統括にここで待つよう身振りで合図すると、そっと物陰から抜け出し扉の近くに移動した。移動する過程で、地面に落ちている手頃な石の破片を手にするのも忘れない。丸腰でいるよりましだ。
足音はだんだんと近づき、ぴたりと牢の扉の前で止まった。リーブは石の破片を目の前に構え、扉の前にいる人物が牢に入ってきた場合、すぐに飛び出していける体勢をとる。
無音。静かすぎて心臓の音が聞き取れそうなほどだ。リーブは他のことを一切考えず、意識を扉だけに向け続ける。
重い音をたてながら扉が開いた。
その瞬間リーブは飛び出していた。手に持った破片の特に鋭い側を部屋に入ってきた陰の首元であろう場所をめがけて走っていく。入ってきた人物は手練れの者のようで、飛び込んできたリーブを見て取るととっさに横に飛びのいた。リーブの渾身の攻撃は外れたのだ。
体勢を整えて二発目を繰り出そうと考え、身体を動かし始めようとしたところで、入ってきた人物の顔のことを認識するとリーブは攻撃しようとしていた動きを中断した。相手はよく見知った顔――というのもそのはずで、入ってきていたのはリーブの上司であるヴェルドだったのだ。
「やられる前に君が気づいたようでよかったよ」冗談めかしてヴェルドは言い、すぐさま姿勢を正すと険しい顔で辺りを見渡した。「統括は無事か」
「ああ無事だ」
リーブが返答する前に部屋の奥の物陰から統括がはい出てくる。ヴェルドの様子を見る限り、とっくに片はついているのかもしれない。
「私たちを見張っていた者たちは」
リーブは状況を確認しようとヴェルドに尋ねた。
「大方制圧し、残党がいないか確認中だ」ヴェルドは土で薄汚れている三日間程囚人だった二人のことをざっと観察した。「特に怪我はなさそうだが……念のため、医者の元に連れて行こう。そのまま診てもらって問題なければ、聴取の方にご協力願いたい――統括もそれで問題ないでしょうか?」
「問題ない」服についた土をはらいつつ、統括は言った。手で軽くはらったくらいでは服の汚れはほとんど落ちなかったようで、途中であきらめた様子で一言付け加えた。「その前にシャワーを浴びたい」
「もちろんです」ヴェルドは統括に手を差し伸べた。「加えて温かい食事も」
ヴェルドに先導され、統括とリーブは穴蔵の外に向かって歩き出した。彼らが監禁されていたこの施設はそれほど大きな施設ではなかったようで、わずか一分ほどで外に出てしまう。
外はもうすっかり暗くなってはいたが(日没まで待って作戦を決行したのは、地下の薄暗い空間に長時間いたリーブたちの目が太陽の光を眩しく感じることを考慮したためなのかもしれない)、星と月の明かりがここが外であることを改めて認識させた。
統括を無事に外に連れ出すことができたのだ、とリーブは夜空を見上げながら安堵した。
医者の診察を受け、湯浴みをし、食事を軽くとってから眠りにつけたのは深夜をまわってからであるが、興奮する気持ちが醒めないのかリーブはいつも通りの時間に目を覚ました。そのまま、クリーニングしたばかりのスーツに袖を通し、いつも通りの朝のルーティーンをこなしてから職場に向かう。
リーブは始業時間とほぼ同じ時刻に、ヴェルドの執務室の扉を叩いた。
「今日は君は休暇のつもりでいたんだけどね」ヴェルドはそう言いながらも、リーブを部屋に招き入れた。「どうぞ」
ヴェルドの執務室の様子は数日前に護衛任務を引き受けたときと変わった様子は特になかった。リーブにとってあの監禁されていた三日間はひどく長い期間のように感じられたが、世間一般的には三日などそれほど長い期間ではない。リーブはヴェルドに招かれるままソファに座り、向かい合う位置に彼の上司が座るのを待って切り出した。
「統括の様子は?」
「問題ない」ヴェルドは上司が部下を労うときのような若干柔らかい口調で言った。「君が比較的早い段階で我々に統括とアンダージュノンで拉致され、付近で監禁されている情報を伝えてくれて助かったよ。そのおかげで事件発生から迅速に解決に導くことができた」
「統括と二人でアンダージュノンへ行ったことのお咎めはないのでしょうか」リーブは恐る恐る訊いた。「アンダージュノンへ行かなければ今回の事は起きなかったわけでして、然るべき処分が下ってもおかしくないと思っています」
「それについては問題ない」ヴェルドは先ほどとほとんど変わらない調子で言った。彼が言う通り問題はないのだろう。もし問題があれば、このように柔らかい態度はとらないだろうから。「都市開発部門統括が君に処分を与えないようにおっしゃっていてね。自分が頼み込んだせいで渋々といった様子で連れて行ってくれたのだと――ああ、統括の事情聴取は既に完了していてその際に言っていたんだ――とにかく、そういうことだから君に処分が下ることはない。だから気にする必要は微塵もないし、今週の残りの出勤日は全て休みにしてもいいくらいだ。事件の報告書だけは仕上げてもらわなければならないが、それは自宅でもできるだろう」
そこまで言われては、ということでリーブは上司の言う通り、今週の残りの数日間を家に引きこもって過ごすことに決めた。彼は会社を出たままの足で家の近所の食料品店に寄ると、食料品を十分なほど買い込み両手いっぱいに買い物袋を下げながら帰宅した。普段と比べるとだいぶ早い帰宅時間だ。そのまま職場で仕事をする雰囲気でもなかったので、ヴェルドと話した後はすぐに退勤してしまったし、帰宅までに寄り道をしたといえどもお昼ご飯もまだかというような時間だ。
彼はたくさんの食料品たちを帰宅後まず、冷蔵庫に入れると昼食の準備を始めた。自炊をするのは久しぶりかもしれない。最近仕事で忙しかったというのもあるが、何より監禁されていた間の食事を作る担当は自然と統括のみが担っていたので。
のんびりと昼食を作り、食べ終えるといい時間になっていた。彼は食後の眠気覚ましのコーヒーを淹れ、PCを立ち上げた。連休を満喫するためにも、やっかいなことは先に片付けておくに限る。つまり、報告書の作成だ。
リーブは神羅カンパニーの社内ネットワークに接続すると、社内である一定の権限を持つもの以上が閲覧できる(リーブはタークスの一員だったためこういったページを閲覧できる権限を持っていた)、情報集約ページのトップにある更新情報一覧を眺めた。さすがにではあるが、まだ統括誘拐事件のことは社内にすら発表されていないようだ。左手に持ったマグカップからコーヒーを一口口に含む。苦味のためか、睡眠不足による眠気が一気に覚めるような気分がする。マグカップを持つ手と反対側の手で画面をマウスでスクロールさせていく。少しいったところで手が止まった。
そこに書かれていたのは、『科学部門のルイーゼ博士 研究成果持ち出す』という見出しだ。
科学部門のルイーゼ博士といったらあのルイーゼのことではないか、それしかリーブには考えられなかった。何か嫌な予感がする。恐る恐る見出しをクリックし、詳細な内容が書かれているページにとぶ。
こういうときの感はよく当たるものだ――詳細ページにはこう書かれていた。
〇月×日、神羅カンパニー科学部門の職員Aが、職場の同僚であるルイーゼ博士の研究室が、研究成果である彼女のクローン体と研究資料を全て持ち出した状態であることを発見する。神羅カンパニー上層部は彼女らが、情報を外部に売り渡す目的で逃亡したとした。逃亡発覚から翌日、ミッドガルのスラム街にて彼女たちの目撃情報あり。情報に従って調査したところ、ルイーゼ博士と彼女のクローン体を発見した。研究資料の受け渡しを博士に要求したが、彼女はそれを断固拒否。規則に従い、クローン体への発砲が許可され、神羅兵一名がクローン体の射殺を試みた。一発目、ルイーゼ博士が彼女のクローン体を庇う動作をしたことで、博士に命中。その数時間後死亡が確認される。二発目は、クローン体に命中。こちらもその場で死亡が確認された。報告は以上とする。