ゆっくりとフレミネは水中から浮上した。水の上に顔を出すと陸地の方を振り返り、潜水ヘルメット越しにリネとリネットの姿を探す。神の目を持つフレミネはヘルメットを被らなくてもフォンテーヌの水中で潜水が可能だったが、彼はいつも潜水ヘルメットを被って水へ潜っていた。これは習慣のようなものだ。
「おーい、フレミネ」
リネの声が聞こえる。フレミネは声のした方を向く。リネがフレミネに向かって大きく手を振っているのが見える。そちらの方へ向かってフレミネは泳ぎ出した。
陸へ上がると、フレミネは潜水ヘルメットを外した。
「『公子』様の行方に繋がるような手がかりは発見できなかったよ」とフレミネは言った。
「こっちもだ。海岸近くの陸地を探してみたけれど、なにも見つからなかった」リネはフレミネに対してそう言った後、フレミネを励ますかのように明るい調子で続けた。「そんなに落ち込まないでよ。全てが予想通りにうまくことが運ぶとは限らないからね。だいたいの物事には、困難が付きものさ。とりあえず一旦、休憩をはさんで今後の行動を再度練り直そう。火を起こしたから、身体を温めた方がいい」
この時期のフォンテーヌを取り囲む内陸湖の水温は比較的高いとはいえ、身体に付着した水が蒸発する際に熱を奪っていくことには変わりはない。だから、陸へ上がった後は身体を温めないといけないのだ。フレミネはリネの言うとおり、海岸から少し離れた場所に起こしてあった火の近くへ歩いていった。火の周りには野営時に使う折り畳み式の椅子が三脚置いてあって、そのうちのひとつには既にリネットが腰掛けていた。
「ちょうどお湯が沸いたところよ」リネットは火にかけられたポットを手に取ると、左手に持っていたカップの中へ湯を注いだ。「お茶をどうぞ。熱いから気をつけて」
「ありがとう」
フレミネはカップを受け取ると、息を吹きかけて冷ましてから中に入っていた茶を口に含んだ。飲み込むと、その瞬間から身体へ温かさが広がる。リネットのお茶を淹れる腕と茶葉の選択がよいためか、簡易的な道具しか使えないのにも関わらず、フォンテーヌ廷のカフェで飲める茶と遜色ない味だった。野営時にこのレベルの茶を飲めるのは自分たちだけではないか、そんな気さえするくらいだ。
「僕にも貰えるかな」リネが言いながら、残りの空いている椅子に腰掛ける。
「もちろん、お兄ちゃんの分もある」リネットは茶を入れたカップをリネに手渡した。
「ありがとう」リネはカップを受け取ると中身を一口飲んだ。「それで、今後どう行動するかという話なんだけれど」
フレミネとリネットはリネに注目した。リネはカップに口をつけ、もう一口茶を飲んでから自身の考えを話し出した。
「ここでなにか見つかる可能性もまだ捨てきれないけど、一旦、他の場所を探してみるのもいいんじゃないかと僕は思っている。探しものをするときに、あたりをつけていた箇所と違う場所を探したら、探していたものを見つけることがあるよね。それと同じようなことが起こったりしないだろうかと思うんだ」
「でも、他の場所を探した後、あたりをつけていた場所を再度探し直したら見つかることもある」リネットは言った。「まあ、一旦、別の場所を探してみるのは賛成よ。あたりをつけていた場所を探し直すのは、
「それって、『他の場所を探す』ことが発見するための条件になっているってことかな?」とリネが尋ねた。
リネットはうなずいて、リネの言っている意味で合っている、ということを示す。それを見たリネは、今度はフレミネの方を向いて尋ねた。
「フレミネの意見はどうだい?」
「ぼくは、リネとリネットの意見に合わせるよ」
「よし、じゃあ他の場所を探すとしよう。今後の方針はそれでいいとして、次はもっと細かい部分の相談をしたいな。具体的にどこを探すかについてだ。それで僕個人の意見としては、リネットが言っていた、ここら辺にあるという別荘を使用していた人がいないか探し出して、聞いてみるのがよいと思う。まだ、聞けていないからね」
その主張を聞いたフレミネとリネットは顔を見合せた後、黙った。なにも言わずにいる二人を見て、どうしたのだろうかとリネは考える。理由として考えられるのは、なにか意見があるのか、もしくは聞きにいけない事情があるのか、そんなところだろう。リネは二人の顔を交互に見た。この二人が意見を主張したくてもなかなか言えずにいるときは静かに待つのが大事であると、リネはこれまでの経験から知っていた。
リネットとフレミネはリネと目線を合わせたくないようで、リネが二人の顔を見つめているのに気がつくと下を向いた。なるほど、とリネは思った。この様子だと、二人には聞きにいきたくない事情があるが、それを言い出せずに沈黙したままでいるのだろう。
「別荘利用者へ聞き込みをしたくない理由でもあるのかな」とリネは優しい口調で尋ねた。
「お兄ちゃん、私たちは警察隊ではないのよ」リネットがようやく口を開いた。「いきなり訪ねていっても、話を聞き出すのは難しい。相手の信用を得られないと、不審に思われてしまうでしょう」
フレミネはリネットの意見に同意するようにうなずいた。「リネットの言うとおりだよ。そして、ぼくとリネットはなんというか――そういう状況で話を聞き出すのは苦手だから」
「要するに、二人は相手からうまく情報を聞き出せる自信がないってことを言いたいんだね」
リネットとフレミネは同時にうなずいた。リネは二人のそんな様子を見た後、その場に立ち上がった。
「ここは僕の出番という感じかな。こういうのは僕の得意分野だからね。そもそも、この三人で小隊を組んでいるのは、それぞれの得意なことでお互いの苦手な部分を補うためだっただろう。だから、お互いにお互いを利用し合わないと。そうすることで『お父様』に――」
そこまで言ったタイミングでリネは口を閉じた。ここにいる三人のものではない足音を聞き取ったからだ。
リネの聞き取った足音は彼らの方へ近づいてきているようだった。だんだん音が大きくなっているのだ。リネットとフレミネもリネとほぼ同時に足音へ気づいたようで、黙ったまま辺りを警戒するように目線を動かしている。この辺りは、別荘が建っているくらいだから治安もそこまで悪くない場所ではあったが、だからといって油断はできない。宝盗団や詐欺師といった犯罪者たちは、決まった場所で犯行に及ぶわけではないのだ。今まで犯罪が起きていない場所だからこそ犯行現場となることはあるし、現にリネたち三人は、安全な場所を選んだはずの野営中に何度も宝盗団からの襲撃を受けたことがある。
足音はひとりだけだった。少なくとも人数の利は子供たちの方にある。足音の間隔から、リネは(おそらく、リネットやフレミネも)歩幅のあたりをつけた。そして、歩幅がわかれば人物のおおよその身長がわかってくる。
リネの推測では、足音をたてる人物は身長一七〇から一八〇センチくらいだ。身長からいって成人した男性である可能性が高いだろう。足音を隠そうという素振りはなく、ごく普通に歩いている。まるで、近所へ散歩に行くときのように。そして、ここの近所といえば、別荘があったではないか。
リネは息を吐いて身体の緊張を解いた。「僕たちの方から訪ねていかずとも、向こうの方から近づいてきてくれたみたいだ」
リネットとフレミネも近くを歩いている人物が散歩中、たまたま自分たちに遭遇した別荘の宿泊客であることに予想がついているようで、リネのことを見ながらうなずいた。三人共が同時に足音のする方を向く。
「お兄さんはここら辺の別荘に滞在中の人?」とリネが足音の主へ近づいていきながら言った。
足音が止まる。足音の主の顔が野営する際に炊いた火によって照らされ、露になる。予想通り、近づいてきたのは大人の男性だった。歳は若く赤毛で、フォンテーヌ人らしい風貌をしている。
「ああ、そうだよ」赤毛の青年は少し戸惑うように言った。リネが先んじて話しかけてきたことに驚いているのだろう。「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。僕が声をかける前にそちらの方から声をかけられるなんてね――この辺を散歩していたら火を起こしている人が見えたから、ちゃんと火の始末はするよう言いにきただけなんだ」
「それはよかった。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな? 僕たち、人を探しているんだ」
リネは相手によい印象を与えるような笑みを浮かべながら言った。
「もちろん。その探している人についてかな。どんな人物なんだい」赤毛の青年はリネたち三人の顔を順番に見ながら尋ねた。「子供たちだけで探しているなんて、もしかして探しているのは子供だったりする?」
「探しているのはおそらく子供ではないと思う。でも、そこまで歳もいっていないはず。成人したてぐらいの年齢といえばいいのかな――だいたいでしか言えないのは、僕たちはその人の顔は知っているけれども、年齢は知らないからなんだ。どんな顔の人物かというと、こんな顔だね」
リネは懐から写真を一枚取り出すと赤毛の青年に渡した。青年は写真を受け取ると少しの間眺めた後に、「知っている」と言った。
「数日前にここらの辺りをふらついていたから、この人に声をかけたんだ。その、僕は君たちに火の始末をしっかりやるようにと声をかけようとしたことからもわかるように、心配症の
「保護というと、今はあなたたちの滞在先にいるのかな」
「そうだね」
赤毛の青年が肯定するのを聞いて、リネはリネットとフレミネに対して目配せした。二人がうなずき返すのを横目で見ると、リネは赤毛の青年が警戒心を抱かないよう、極めて善良な人だという雰囲気の笑みを顔に浮かべながら話し出した。
「保護したという人物に会わせてもらえないかな。その人が僕たちの探している人であることをしっかり確認したいんだ」
「ああ、構わないよ」
赤毛の青年はそう言うと、子供たちの顔をそれぞれ見た。観察されるような鋭い視線を、子供たちは感じる。
数秒間そのようにして眺めた後、赤毛の青年は言った。「ただし、僕たちの保護した人が君たちの探している人物だったとして、引き渡すことはできないな」
「なぜか、理由を聞いても?」
リネは自身の顔に浮かべた笑みが消えそうになるのを堪えつつ尋ねた。
「君たちのことを疑いたくはないが、アヤックスがなにかしらの被害者で、その加害者に君たちが手を貸している可能性はあるよね。だから、君たちの身分をはっきりと証明できない以上は、彼を引き渡すことはできない。今回、彼を保護したのが僕たちではなく警察隊だったとしても、同じようなことを言うだろう。これは、理にかなった主張だ」
リネは赤毛の青年の発言に対して、「あなたたちは警察隊ではないし、『公子』を引き渡せる相手かどうかあなたたちが判断して決めるというのはおかしいだろう」と言いたくなったが、すんでのところで踏みとどまった。これも理にかなった主張ではあるが、だからといって今この場で言うべきことではない。もし言ったのならば、相手の反発を招いてしまってこの交渉が決裂してしまう可能性があるからだ。
「わかった。あなたの言うことはたしかに理にかなっている。言われてみれば、僕たちは警戒されて当然だ。僕があなたの立場だったとしても、急に記憶喪失で保護した男の知り合いだと言ってきた人がいたら、疑うだろうからね。とりあえず、今日はそのアヤックスと名乗る人物が、僕たちの探している人かどうかを確認することだけに留めておくよ。本当に本人であるならば、『お父様』に見つけたことを報告して、身分を証明できるよう準備を整え、後日また来る。これならいいよね」
リネがそうやって赤毛の青年に向かって話す途中で、リネットがなにか言いたげな様子でリネの方を見る。ちょうど、『お父様』という単語をリネが口にしたときからで、おそらくリネットはわざわざ『お父様』について口にしなくてもよいということを言いたいのだろう、とリネは思った。『お父様』という単語をリネが会話の中で出したのは、出発前に『お父様』本人から「手に負えないことが起きたら、報告するように」と言われたからだ。探している人物が記憶喪失で、加えて彼を保護した人物が身分を証明できないならば渡せないと言っている。これは充分、手に負えないことであり、『お父様』の方が適任である事態だろう。特に理由もなく言ったわけではない。
「お父様?」
なにか言いたげな様子であるのはリネットだけではなかった。赤毛の青年も『お父様』の言葉の意味を考えようとしていそうだ。たしかに、彼が疑問に感じるのも無理はないだろう。リネは赤毛の青年が『お父様』という単語に反応を示していることに作成通りだと思いつつ、彼の反応の理由を考える。『お父さん』や『パパ』、『親父』はリネたちのような年頃の子供たちが父親を呼ぶとき、よく使われるものであるが、『お父様』はなかなかお目にかかれない。家柄のよいお坊ちゃんやお嬢様は使うかもしれないが、そのような家は数が少ない。相対的に、そういったお坊ちゃんやお嬢様の数も少なくなるから、なかなかお目にかかれないのは当たり前だ。そのような珍しい呼び方であったからこそ、赤毛の青年は反応し、そのような呼び方を使う意味を推理しようとしているのではないだろうか。
「なるほど、そういうことだったのだね」赤毛の青年はなにかに思い至ったようで、納得したようにうなずいた。「ちなみに君たちは、今日はここで寝るつもりなのかい?」
「そのつもりだった」とリネは言った。
「なら、僕たちが滞在している家で今夜は寝るといい。けっこう広い家を借りているんだ。もちろん、ベッドの空きは君たち三人分ある。今の時期はそれほど寒くないとはいえ夜は冷えるし、魔物や宝盗団に襲われるかもしれない。家の中だったらそれらの心配はないはずだ。これから、アヤックスが探し人であるかを確認しに来るのだろう? そのついでだと考えればそれほど手間もかけないし、どうかな」
子供たちは顔を見合せた。
「それってついでの範囲に入るのかな」とリネの後ろでずっと黙ってやり取りを聞いていたフレミネが、赤毛の青年に向かって尋ねた。
「ああ。少なくとも、僕の中では範囲に入っている」
赤毛の青年はにこやかな顔でフレミネに向かって言う。その様子を見たリネは、この人はずいぶんなお人好しであるようだという印象を感じた。
お人好しと一口にいっても、お人好しである理由にはいくつか種類がある。悪意を抱いた人間に今まで出会ったことがないだとか、親切にすることでなにか見返りがないか期待しているだとか、あるいは自身の中にある種の基準があってそれに従って行動しているだとか、主に挙げられるのはこの三つだ。お人好しである理由の中で、リネは『親切にすることでなにか見返りがないか期待している』お人好しのことだけは好ましく思っていた。要するに、ギブ・アンド・テイクの関係にある者のことだ。こういうタイプの人間は信用がおける。逆にいうと、それ以外のタイプのお人好しのことは信用ができない。
赤毛の青年はどの理由でお人好しなのであろうか、とリネは考えた。少なくとも、見返りを期待して親切にしているわけではなさそうである。
リネはため息をつきたくなるのを抑えつつ、「じゃあ、一晩お世話になりたいな」と言った。
彼がそう言ったのは、この状況でそれ以外の返答の選択肢がなかったからだった。
赤毛の青年は自身のことをルージュと名乗った。
ルージュが借りている家はここら辺にあるもののうち、ごく一般的なタイプの貸別荘であった。大きすぎもせず、小さすぎもしない。子供のいる家族が使うのにぴったりな大きさだ。
「ロッキー、アヤックス、帰ったよ」ルージュは自身が借りているという家の玄関扉を開けると、家の奥に向かって呼びかけた。そして、リネたちの方を振り返る。「さあ、どうぞ。遠慮なく、くつろいでいくといい」
三人が家の中に入ると、ルージュは玄関扉をゆっくりと閉めた。その様子を横目で見ながら、子供たちは家の中の様子を観察する。この家は外観の形状からいって、二階建てのようであった。一階には、見える範囲の扉の数からいって少なくとも、今子供たちがいる部屋の他に二部屋はありそうだ。
「ロッキー?」
フレミネが部屋の中央の方へ行きながら、疑問の声を上げた。初めて聞く名前だ。
「ああ、ロッキーというのは……」
ルージュはなにかを言いかけたが、それは三つある扉のうち、部屋の奥にあったものから男が入ってきたことにより中断される。子供たちは新たに登場した人物に注目した。入ってきた男はかなり体格のよい人物だった。ルージュよりも頭ひとつ分は背が高く、加えて服の上からでもわかるほど筋肉質な体形をしている。
「彼がロッキーだ」とルージュは入ってきた男のことを指さしながら言った。
「ロッキー・アヴィルドセンといいます。どうも」ルージュに紹介された男はお辞儀をしつつ、そう言った。
「彼は、僕とここに滞在している仲間だ」とルージュがつけ加える。続けて、ロッキーの方に向かって説明し出す。「この子供たちは、人探しをしている途中でこの近辺を調査していたらしい。野営をしていたところに僕が声をかけてね。それで、話を聞いていくとアヤックスが探している人物である可能性が高そうであったから、ここに連れてきたんだ」
「なるほど」ロッキーは腕を組んだ。「今回の件、やはり警察隊の力を借りた方がよかったのではないでしょうかね」
「それはおすすめできないな。警察隊という組織は融通が利かないんだ。アヤックスはフォンテーヌで探しものがあるって言っていただろう? 彼の記憶は失われてしまっているようだけど、探しものがあるという感情は残っていたんだ。きっと、探しているのは大切なものに違いない。彼が探しものをするのだったら、警察隊に引き渡さない方がいい。警察隊のところにいたら、自由に動けなくなってしまうからね」
「探しもの?」横でルージュとロッキーの会話を聞いていたリネットが、疑問の声を上げた。
「ああ。アヤックスはたしかにそう言っていたはずだ。呼んでくるから直接話してみるといい」
そう言うと、ルージュは隣の部屋に入っていった。
ルージュがアヤックス――つまり、タルタリヤを連れてくるのを待ちながら、リネは先ほどのロッキーとルージュの議論について考えを巡らせていた。ルージュという人物は警察隊の内部事情について詳しいようだ。過去に警察隊へ所属していたか、あるいは、警察隊の内部について詳しく知ることのできる立場にいたことがありそうだ。そして、彼は警察隊を信用していない。一般的な市民が警察隊を信用していないということはないだろうから、ルージュには過去になにかしらあって警察隊に不信感を抱いているのではないか。その不信感の要因となったできごとは、彼が警察隊と関わる立場から離れることになった理由である。そんなストーリーを考える。
そこまで考えたところで、ルージュが先ほど入っていった部屋へと繋がる扉が開いた。中から出てきたのはルージュではなかったが、リネたちのよく知る人物であった。赤みのある茶色の髪に、フォンテーヌよりさらに北の地域でよく見かけられるような顔立ち――『公子』タルタリヤだ。着ている服は執行官の制服ではなく、ごく普通のフォンテーヌで働く労働者が日常で着るようなものであったが、間違えようもなく(子供たちは何度もタルタリヤの写真を見ていたから間違える方が難しかった)タルタリヤ本人であった。
「先ほど話した、君を探しているという子たちがこの三人だ」タルタリヤの後について隣の部屋から出てきたルージュは言った。「なにか思い出せそうかい」
タルタリヤは子供たちの顔を見つめた。記憶を探り出せないか試してみているような雰囲気だ。
一分ほど経ったところで、タルタリヤは首を横に振った。「だめだ。なにもわからない」
「彼の問題は根が深そうだ」ルージュはそう呟いた後、タルタリヤから子供たちの方へ向き直った。「それで、彼は君たちの探している人物で間違いなさそう?」
子供たちは三人とも同時にうなずいた。
「間違いないよ」とリネが代表して言った。
「となると、ここへ来る前に言ったように、君たちへ彼を引き渡すことはできないな」
リネはうなずこうとする。しかし、リネがそうする前に「ちょっと待ってくれ」とタルタリヤが慌てたように口をはさんだ。
「どうするかは俺が考えることだろう。たしかに俺は記憶がないけれども、どうするか考えることはできる。その結果、今はここにいるのだし、俺の意見を聞いてくれたっていいんじゃないかな」
「では、アヤックスの意見は?」
「それはまだはっきり言えない。状況を飲み込みていないからね――君たちは記憶を失う前の俺について知っているんだよね?」
タルタリヤが子供たちの方を見ながら尋ねる。三人はうなずき、リネが「そうです」と口にした。
「だったら俺の意見を出すのはこの子たちの話を聞いてからだ」
「本当に今の君に判断がつけられるのか? この子たちは『お父様』という人物の命令を受けて君を探しに来ているようだし、彼らが話すこと全てを鵜呑みにすることは勧められないな。彼らが知っている君についての情報は、他の誰かから聞いたものなんだ。だから、君についての正確な事実を彼らが知っているとは限らない」
「正確な事実であると信じるか信じないかも俺が決める」とタルタリヤはきっぱりと言った。
ルージュはまだ納得がいっていないようで、さらになにかを言おうとして背後から肩をロッキーに叩かれる。ルージュはロッキーの顔を見つめた。彼らは言葉こそ口にしていなかったが、それでもなにか意見の交換をしているように見えた。しばらく経って、ルージュは大きく息を吐いた。ゆっくりと――しぶしぶといったふうに、「わかった。アヤックスの意思を尊重しよう」ということをルージュは口にした。
「よし、じゃあ話を聞かせてもらおうかな」とタルタリヤが言った。
リネたち三人はお互いに顔を見合せた後、タルタリヤの他にいる人物たちを横目で見た。彼らが考えていたのは、どこまでここで話してよいのだろうかということだった。ルージュやロッキーはファデュイに関わりのない人物であり、もちろん彼らに聞かれてはまずい内容も、子供たちが知る情報の中にはあった。
「俺が使わせてもらっている部屋で話は聞こうかな。ここでは話しにくいからね」とタルタリヤは子供たちの表情を見た後、子供たちの考えていることに思い至ったのかそう言った。
後ろでルージュが小さくため息をつくのが聞こえる。リネは、そのことは気にしないようにしながら、「その方が僕たちも話しやすいです」と言った。
そして、歩き出したタルタリヤの後ろについて行きながら、執行官というのは記憶をなくしても洞察力はなくさないのだな、ということをリネは思った。
タルタリヤの使わせてもらっているという部屋に入ると、タルタリヤは部屋の隅から木製のスツールを三脚引っ張り出した。
「どうぞ座って」とタルタリヤは椅子を勧める。
子供たちは礼をいい、勧められた椅子にそれぞれ腰掛けた。
「じゃあ、さっそく話を聞いていこうかな」タルタリヤは自分用にも椅子を隅から引っ張り出すと、それに腰掛けながら話し出した。「まず、君たちと俺の関係は?」
「それを説明するには僕たちの立場についてから話さなければなりません。僕たちはフォンテーヌ廷にある、ブーフ・ド・エテの館と呼ばれている建物に住んでいます。ここはファデュイ執行官である『召使』が運営する
リネの問いかけにタルタリヤはなにか記憶を手繰り寄せているかのようで、無言のまま考え込むような姿勢を見せた。しばらく経って、「覚えてないな」と言った。
「ファデュイというのは、スネージナヤにある組織の名前です。どのような組織かというと説明が難しいですが――あなたはフォンテーヌ政府機関についてはご存知でしょうか?」
「ああ、知っている」
「ならいい例えがあります」リネは笑みを顔に浮かべた。「フォンテーヌでは、執律庭、共律庭、検律庭に枢律庭というように役割ごとに組織が分かれているでしょう。それら全ての組織を合わせたようなものがファデュイです」
「わかりやすい例えだ」タルタリヤは腕を組んだ。「それで、俺もそのファデュイの一員であったのかな。同じくファデュイに所属する君たちが俺のことを探しに来た。話の流れからいってそうじゃないかと思ったんだけれど、違うかな」
「ほとんど正解ですが、そのストーリーには足りていない情報があります」
「いったいなんだろうか」
「あなたが、ファデュイの幹部である十一人の執行官のうちのひとり、『公子』タルタリヤであるということです」
リネはその言葉を口にした後、タルタリヤがどのような反応を見せるか様子を伺った。リネの予想に反して、タルタリヤはさほど驚いていないようだった。少しの間、無表情である一点を見つめた後、顔を上げて何度もうなずき出した。
「なるほど、なるほど。ようやくストーリーが俺の中で繋がったよ。つまりこういうことだろう。君たちは俺の同僚である執行官『召使』の部下だ。そして、彼女の命令を受けて君たちは俺を探すことになり、探す過程でルージュたちに出会ってここまでやってきた」
「合っています」とリネは言った。
「俺のことを探しに来たわけもよくわかる。国が擁する巨大な組織の幹部のひとりであるというのなら、当たり前だ」タルタリヤは納得したように言った。「よし、俺の意見は決まったよ。君たちについていこうと思う」
「本当ですか」と子供たちが三人とも同時に、声を上げた。
「ああ。それで、残る問題としてあの二人のことをどうするかというのがあるけれど、彼らのことは俺の方で説得しよう」
「大丈夫なのでしょうか」とフレミネが不安気な様子で言った。
「しばらくの間、彼らと共に過ごしたからね。それなりに彼らの性格についてはわかっているから、説得方法については目処がたっている。それに、彼らにとっても君たちの『お父様』が来ることにならない方がいいはずだからね」
「では、明日の朝ここを出発しましょう。僕たち、一晩ここに泊まることをルージュさんと既に約束してしまったんです」とリネが言った。
「ちょうどいいよ。俺もルージュたちを説得する時間がほしかったからね――君たちはお腹は空いているかい?」
そう言った後、タルタリヤは子供たちの方を見つつ顔に優しげな笑みを浮かべた。
「ロッキーが作る料理は美味いんだ。お腹いっぱい食べていくといい。ただ、食後に勧められるコーヒーティーは俺の好みではないかな。俺はいつも断っている」