一行がタニット族の元露営地にたどりついたときには既に強風が吹き始め、辺りに砂が舞い始めていた。太陽からの光はほとんどが舞い上がる砂によって遮られてしまっており、太陽が一番高く昇っているような時間帯であるにも関わらず、夜が明けたばかりの明るさしかない。
タニット族が住んでいたという露営地は、ジェイドとドクターが言っていたように、既にタニット族には放棄された後だった。しかし、一行がたどりついたとき、露営地は完全に無人というわけではなかった。タニット族の代わりに教令院所属の学者数名がいたからだ。彼らはタニット族についての研究をしているようで、数ヶ月前からこの露営地に滞在しているらしかった。
学者たちをとり仕切っているのはタンジという因論派の学者だ。彼はタニット族の教育支援を行っていたようで(それを聞いたとき、ナハティガルとボニファズは驚いた様子であった。タニット族はよそ者を嫌う性質をもっていると思っていたからだ)、そのこともあって早い段階でこの露営地の惨状に気づいたらしい。
彼が露営地の惨状を知って真っ先にやったのは、教令院へタニット族に関する研究プロジェクトの申請をしたことであった。大マハマトラがタニット族に関心をもったことも手伝い、その申請が認められたことで、支援を受けながら研究調査を続けているらしい。ティルザードはタンジと同じ因論派の学者であったが、彼がそこまでタニット族に執着する理由はよくわからなかった。タンジ曰く、タニット族は『突然消えた』らしく、その謎にでも惹かれているのだろうか。学者の本質というのは、謎――未知のものを解明したいという好奇心にあり、多かれ少なかれ学者たちは皆『謎』というものが好きなのだ。難解な謎に挑戦したことで自らの身を滅ぼしてしまった学者もいるくらいだ。好奇心というものは依存性のある薬物のような中毒性をもつが、ティルザードは
露営地にいた学者たちは、一行の事情を聞くと砂塵風が止むまで滞在することを快く許可した。負傷者や砂漠に慣れていない者が、砂塵風が吹き荒れる中移動するのは危険だということを、学者たちもわかっていたからだ。
負傷者たちを寝かせ、その他荷物の整理が終わってひと息つけるようになった頃、砂塵風はより強いものになっていた。ナハティガルと副首領、タンジの三人は外の様子を見に行くと言って出て行った。そして、帰ってくると口を揃えて「かなり大変そうだ」と言った。既に外は、一メートル先もまともに見ることができない状況だった。
「ひとつ問題がある」とタンジは皆の前でそう話を切り出した。
「問題?」ティルザードが尋ねる。
タンジはひとつうなずくと続けた。「そうだ。その問題というのは、私たちが水場として使っている池の場所が砂塵風に当たらないと行けないようなところにあることだ。水場自体は高い崖に囲われていて砂塵風の影響を受けない場所にあるのだが――残念なことにこの居住スペースとは内部で繋がっていないのだ」
「水を貯めておく場所はないのか?」ボニファズが聞いた。「調理場にはだいたいそういったものがあるはずだと思うんだが」
「あるにはあるが、ここにもともといた人数を考慮した大きさのものしかないんだ。君たちを入れると人数は倍以上になるからね。満杯にしたとしても、とてもじゃないが一日もたないだろう」残念そうな表情でタンジが答えた。
「だったら水を汲みに行く係が必要になるな。誰か一人がずっとやるのは不公平だから、当番制にして順に回していけばいいんじゃないか」腕を組みながらナハティガルが言った。
「あたしたちはそれで問題ないよ」
傭兵団を代表してジェイドが了承の意を示す。彼女の後ろでタンジたち学者もうなずいた。
「ティルザードさんもそれで問題ないよな」とナハティガルはティルザードに聞いた。
ティルザードは不本意ながらもうなずく。「わかった。あまり気は進まないが。食料の方はどうなんだ?」
「それについては先ほどタンジさんと話したよ」ナハティガルが答えた。「俺たちが商品として持ってきた分もあるし、ここに備蓄してある分もある。この人数でも十日くらいはもつだろう」
「もし、十日経っても砂塵風が去らなかったら? そのときはどうすればいいんだろうか」
ティルザードは不安気な様子で言った。後ろ向きな発言ではあるが、気にしないわけにはいかなかった。砂塵風が十日でおさまる保証などどこにもないのだ。
「そのときになったらどうするべきか考えればいいと思うよ。今は二、三日で食料がなくなるわけじゃないことを喜ばなくちゃ」
ジェイドは腰に手をあてながらそう言った。ジェイドらしい、前向きな発言だ。ティルザードはそんなジェイドの様子を見て、以前に研究調査をしたときのことを思い出していた。ティルザードは遺跡の探索中、こんな風に何度もジェイドに励まされていた。
アアル村で最後に見たときのジェイドは、ジェブライラを亡くしたばかりだったということもあり、見ていられないほど落ち込んでいた。だから、ジェブライラが生きていた頃を思わせるようなジェイドの発言を聞いて、元気だったときの彼女が戻ってきたのだとティルザードは安堵した。人は大事な人の死というものを乗り越えられるようにできているのだろう、とティルザードは思った。
前回の調査の終わりに、ティルザードがジェイドと最後に話したのはアアル村に戻ってきてから三日後のことだった。ティルザードはスメールシティへ戻るべく、旅人たちを見送った後からアアル村で護衛を引き受けてくれるものがいないか探し続けていた。砂漠とは性質が異なるが、雨林にも危険が潜んでいることには変わりない。だいたいの者はなにかが起きたときのために、戦闘が得意な者に同行してもらって街から街へ移動する。ティルザードもその大多数に漏れず、護衛に同行してもらう側だった。
ジェイドに頼むことはできなかった。彼女は父親を亡くしたばかりだったからだ。彼女と彼女の父親との別れはあまりにも突然だった。
アアル村に戻って一日経つと、ジェイドの様子は表面上いつも通りに見えた。でもそれはあくまで表面上の話だ。日中、起きている間、彼女はずっと村の人気のない場所に座り込んでいた。ティルザードは護衛を探すために村中を動き回っている際、何度か彼女のことを見かけたが、毎回、彼女の様子は心ここにあらずといった風だった。父親の死をまだ消化しきれていないのだろう、とティルザードは思った。
ジェイドのことはたしかに心配ではあったが、ティルザードにはやらねばならないことがあった。論文を書きあげるということだ。研究調査に行ったもともとの目的が論文を書くためではあったが、以前に増してティルザードは必ずこの論文を書きあげねばならないという気持ちになっていた。そうでないと、ジェブライラの死はなんだったのだということになりかねない。彼の論文は様々な犠牲の上で成り立った、もはや彼だけで書きあげたものではなかった。論文の最後に旅人とジェイドと、ジェブライラ、あとはティルザードが研究調査に行くきっかけとなった研究を残した彼の親戚の名を謝辞として記載することを、ティルザードは既に決めていた。
アアル村に戻ってきて三日目の昼、アアル村からスメールシティに戻ろうとしていた傭兵をティルザードは見つけることができた。すぐに交渉をし無事に雇うことに成功する。その傭兵は早いところシティに戻らねばならないらしく、今日のうちに出発してしまいたいとのことだった。
ティルザードは傭兵に準備をしたいと言い、日が落ちるまで出発を待ってもらえることになった。そうやって作ったわずかな時間で、今回の調査で関わった人たちに出立の挨拶をしてまわった。ナハティガルとボニファズに挨拶をした後、最後に会ったのがジェイドだった。
その日も彼女は村の外れにいた。ティルザードは座っている彼女に近づくと、「今夜村を出る」と言った。
ジェイドはその言葉に反応し、ティルザードの方を見上げた。そして、「ナハティガルとボニファズにはもう挨拶をしたの?」と聞いた。
「もちろん」
ティルザードはうなずいた。彼女はそれを聞くと、再び正面を向く。彼女が見つめる先はなにもない。ただ空中を眺めているだけだ。そして彼女は、そのままなにも言わなかった。
「その、本当に私が力になれることはないのか?」
ティルザードは沈黙に耐えかねてそう言った。
「例えば?」
ジェイドは正面を見つめたまま、ティルザードの方を見ずに言った。
「教令院入学への推薦状を書くとか、シティで暮らしたいとか。そういうことならば、私は君の助けができる」
「今のあたしには必要ない。あたしは永遠のオアシスを探さなければならないから」
ジェイドははっきりとそう言った。
「だったら、永遠のオアシスを見つけ出した後でも大丈夫だ。なにか困ったことがあったら私を頼るといい」
ティルザードはそう言うと、ポケットから手帳を取り出し適当なページに自分の連絡先を書きつけた。そして、乱雑に破りとるとそれをジェイドに渡した。
「私でなくてもいい。ナハティガルやボニファズでも大丈夫だ。とにかく、困ったときは大人を頼りなさい」
ジェイドは手帳の切れ端を受けとると、ティルザードの連絡先が書かれたそれをまじまじと見つめた。そして、ティルザードの方を見上げると笑いながら言った。ジェブライラの死後、彼女が笑うところを見たのは初めてだった。
「ティルザードさんのこと、子供っぽいところがあると思っていたから、ちょっとびっくりしちゃった」
「大人だって完璧じゃないんだ」ティルザードは少々むっとした顔になりながら言った。「子供っぽいところが多少あったっておかしくない、普通のことだよ。案外大人も子供もそこまで違いはないのかもしれないな」
「じゃあ、大人と子供の違いってなに?」とジェイドは聞いた。
ティルザードは腕を組みながら少し考え込んだ後、言った。「様々なことに対して責任をもたないと行けないところかもしれないな」
「なるほどね」ジェイドは再び正面を向くと、空を見上げた。「父さんは責任をもたなければならないと思っていたから、あんな行動をとったのかな。大人だったから、自分が言ったことに対して責任をとろうとしていた」
黄金の眠り――つまり、『死』によってアフマルの権能を手にしたサミエルが一行を閉じ込めようとしたとき、ジェブライラはサミエルのことを追って一行を助けようとした。サミエルに干渉するには一方通行の道を通らねばならず、もう二度と現世に戻ってくることは叶わないにも関わらず。彼がその行動をとったのは、おそらくティルザードたちに最後まで守り切ると約束したからであろう。彼は自分がした約束に責任をもとうとしたのだ。
「そうかもしれない」
ティルザードもジェイドと同じく空を見上げた。アアル村は砂漠で、辺りの様子はスメールシティとは全く違うが、空の様子はシティで見るときとほとんど変わりなかった。
「でも、死者が本当はなにを考えていたのかなんてわからないんだ」ティルザードは静かに言った。「そして、答え合わせをするすべもない」
「大人ってずるいな」ジェイドは言った。とても悲しげな声だった。
それが、アアル村で最後にジェイドと交わした言葉だった。
その日の夜の水汲みはティルザードの番だった。昼間、一メートル先も見えないほど吹き荒れていた砂塵風は、日が暮れる頃から少しずつ落ち着きを見せていた。ティルザードは自身の運の良さに感謝した。いくら近場の水場に行くだけとはいえ、目の前もまともに見えない中移動したくなかったからだ。
ナハティガルに借りた砂よけの布を頭から被り、水を汲むための桶を持ってティルザードは砂塵風が吹く中、外に出た。
水場はタンジの言うとおり、崖に囲まれた場所だった。ティルザードは水場に近づいてしゃがむと、持ってきていた桶に水を汲んだ。ふと、上の方を見上げる。崖は中腹の辺りまでは薄らと見えるが、そこから先は風によって舞い上がる砂のせいで完全に途切れていた。頂上がどの辺にあるのか、全くわからない。ティルザードは視線を崖の方から自身の足元にある桶の方に戻した。ここに長居はしたくない。しかし、視線を戻す過程で崖の中腹の辺りの少し出っ張ったところになにかがあったような気がして、ティルザードは再度視線を崖の方に戻した。普段だったら気のせいだろうと思うくらいの違和感だったが、ティルザードは不思議とそう思わなかった。あれは見間違えではなく、たしかになにかあったのだ。
ティルザードはなにかがあった辺りを、目を凝らして見た。やはり、誰かがいる――あれはジェイドだ。
ジェイドは崖の出っ張りに座って、この視界の悪さでは遠くなど見渡せるはずないのに遠くの方をぼんやりと眺めていた。どこか変わった様子のジェイドをティルザードはしばらくの間下から見上げていたが、あるとき意を決したように頭から被っていた砂よけ用の布を口元にまでもっていき、砂が口へ入らないようにしてから「おーい」と大声で呼びかけた。
ジェイドはすぐにティルザードが呼びかけていることに気がついたようだった。ティルザードが呼びかけてすぐ、その場に立ち上がった。そして、立ち上がった勢いのまま、下に飛び降りる。彼女がいた場所から地面までは三メートルほどの高さがあったが、そのくらいの高さなどなんともないとでもいうように、軽やかに地面に着地した。
「こんな天気の中なにをしているんだ?」と降りてきたジェイドにティルザードは聞いた。
「ちょっと昔のことを考えていたんだ。ティルザードさんは水汲み?」
「そうだ」
ティルザードが答えると、それからしばらくの間、二人は黙り沈黙の状態が続いた。砂を巻き上げる風の音だけが時折耳に聞こえてくる。
先に沈黙を破ったのはティルザードの方だった。
「永遠のオアシスは見つかったのか?」
ジェイドは驚いたような顔でティルザードのことを見つめた。そして、ひとつうなずきを返した。イエス、つまり見つかったということなのだろう。
「どんな場所だった?」とティルザードは詳細を尋ねた。
「夢のような場所だった」とジェイドは答えた。
「それは比喩的な意味で? 夢の中のように素晴らしい場所ってことなのだろうか」
「そう、比喩的な意味で
「そうなのか」
ティルザードはそう言った。結局のところ、永遠のオアシスというのは、見た人がそう呼んだだけなのだろう。永遠に続きそうであったから、『永遠のオアシス』という名前なだけで実際にそうであるというわけではない。ものの名前というのは性質を正しく表すものになっているとは限らないのだ。
なんにせよ、ジェイドが永遠のオアシスを見つけたというのならば、もう一度シティにこないか聞くチャンスだとティルザードは思った。彼は『永遠のオアシス』についてから話題を変えようとして、違う話をし出した。
「君が傭兵団を率いているのには驚いたよ」
「あたしは、ティルザードさんが砂漠へ研究調査にまたきたということに驚いたけれども。前回きたとき、もう十分調査し尽くしたのだと思っていたから」とジェイドは言った。
「学者っていうのは、なにか素晴らしい研究成果をあげた後でも研究は続けないといけないんだ。部屋にこもって文献を読み漁るだけでは限界があるから、再び砂漠まできたんだよ。私だってできることならきたくなかったさ」
「きたくなかったのはインドア派の学者だから?」
ティルザードはうなずいた。「そうだ。でも、こういうのも悪くないと今は思っている。思いがけない再会もあったからね。再び砂漠を訪れなければ、君やナハティガルやボニファズに会うこともなかった。なにが起こるかわからないものだな」
「ティルザードさんはずいぶん変わったね」とジェイドは言った。「前に遺跡調査したときとは違う」
そうだろうか、とティルザードは少し考え込んだ。自分では気づいていなかったが、他人から見ればそうなのだろう。でもそれはジェイドにも当てはまることだ。
「君だってそうだ」とティルザードは言った。
「私は大人になったからね。傭兵団の首領としてメンバーが砂漠で生きて行けるよう責任をもたなければならなくなったから」ジェイドは言った。
ティルザードはジェイドがそう言うのを聞いて、彼女にシティへこないかと誘うのは辞めようと思った。ティルザードはシティで暮らす方がジェイドにとっていいのだと前から思っていたが、彼女にそのことは当てはまらないのだと思い直した。ジェイドには砂漠が合うのだ。雨林の生活ではなく。だから、傭兵団を作ったのだろう。砂漠で生きるには仲間を作る必要があるから。
「大人になった感想はどうだい」とティルザードは尋ねた。
「うーん」ジェイドはしばらくの間、考え込んだ後、言った。「あんまり子供だったときと変わらない」